剣客商売二 辻斬り [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  鬼熊酒屋  辻斬り  老虎  悪い虫  三冬の乳房  妖怪・小雨坊  不二楼・蘭の間   解説 常磐新平    鬼熊《おにくま》酒屋      一  その日。  秋山|小兵衛《こへえ》は、妙なもの[#「妙なもの」に傍点]を見た。  妙なものは、人間であった。  人間そのものが、異様だったのではない。  しかも、その老爺《おやじ》の顔を、小兵衛は月のうち何度か、見ているし、相手も小兵衛を見知っている。  老爺は、本所《ほんじょ》・横網町《よこあみちょう》にある居酒屋〔鬼熊〕の亭主で、名を熊五郎という。  年のころは、 「あのおやじ[#「おやじ」に傍点]。わしより四つ五つは上だろうよ」  小兵衛は、そう見ていた。  おのれが店の名を〔鬼熊〕などとつけるほどの熊五郎だから、普通《なみ》の老爺とは、いささかちがう。  熊五郎が、養女《むすめ》のおしん[#「おしん」に傍点]を相手に、ひとりで店を切りまわしていたころは、 「なんで、あんなじじい[#「じじい」に傍点]のところへ、銭をつかって飲みに行くのか、行く奴《やつ》の気が知れねえ」  と、近辺の評判であった。  繁昌《はんじょう》はしないが、さりとて客足も絶えずに、もう十余年も店をやって来られたのは、 「酒がよくて、勘定が安くて、食いものがうまい」  からだそうな。  客に愛想《あいそ》ひとついうではなし、気に入らぬ客なら一目見て、 「お前《めえ》にのませるものは、水のひとしずくもねえよ」  と、熊五郎は剣突《けんつく》をくわせてしまう。  客と大喧嘩《おおげんか》になり、追いはらったときはよいが、強い相手だと熊五郎のほうがなぐりつけられ、顔中血だらけにしながらも屈せず、心張棒《しんばりぼう》をつかんで、 「死ぬなんて怖かあねえ。さあ、殺せ。殺しゃあがれ!!」  死物狂いに立ち向う態《さま》は、凄《すさ》まじいものであった。  近所の人びとは、熊五郎のことを、 「霜枯《しもが》れの閻魔《えんま》さま」  だとか、 「女難|除《よ》けの本尊」  だとかいい、熊五郎とは、ほとんど口もきかぬ。  背丈《せたけ》は高いが、まるで骨と皮ばかりの体の上へ、目玉のついた髑髏《されこうべ》のような老顔が載っているのだ。それが、大蛸《おおだこ》の目玉ほどもあって、いつもぎょろぎょろ[#「ぎょろぎょろ」に傍点]と無気味に光っている。  四、五年前に、文吉《ぶんきち》という若者がおしんの聟《むこ》になり、熊五郎にとっては初孫のおかよ[#「おかよ」に傍点]という子も生まれ、それから、いくらか〔鬼熊〕の空気も変ってきたようだ。文吉はおだやかな気性で、口やかましい舅《しゅうと》と、おとなしい女房の間をうまくとりもち、客あしらいもよく、庖丁《ほうちょう》もかなりにつかう。  秋山小兵衛が〔鬼熊〕へ立ち寄るようになったのは一年ほど前からで、それというのも、親しく交際をしている本所・亀沢町《かめざわちょう》の町医者・小川|宗哲《そうてつ》のところへ遊びに行った帰りに、めずらしい店の名にひかれて入ったのが、そもそものはじまりなのである。  現に、小兵衛は一昨日の夜、宗哲老先生と碁をかこみ、夕飯を馳走《ちそう》になってから辞去し、おはる[#「おはる」に傍点]が待つ鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ帰るさ、 (あの因業《いんごう》じじいめ、どうしているかな?)  ふと思いつき〔鬼熊〕へ立ち寄っている。  その夜は熊五郎、近くの藤堂和泉守《とうどういずみのかみ》・下屋敷(別邸)の渡り中間《ちゅうげん》と大喧嘩をし、出刃《でば》庖丁を突きつけ、乱酔ぎみの無頼中間を、みごと追い出してしまった。 「大したものだな、爺《とっ》つぁん」  小兵衛が、声をかけると、熊五郎がじろりと見て、 「ふふん……」  鼻で笑い、奥へ引込んでしまったものだ。  その熊五郎が、今日、おもいがけぬ場所で、妙な様子をしているのを、小兵衛が目撃したのである。  この日。  秋山小兵衛は朝のうちに、おはるが船頭をする小舟で大川《おおかわ》(隅田川)をわたり、息《そく》・大治郎《だいじろう》の道場へあらわれた。  実は〔御老中《ごろうじゅう》毒殺〕事件で、首つり自殺をとげた、田沼意次《たぬまおきつぐ》の家来・飯田《いいだ》平助の一人息子の粂太郎《くめたろう》が、佐々木|三冬《みふゆ》のはからいで、大治郎の道場へ稽古《けいこ》に来ているときき、それを見に来たのだ。  あのような不始末をしでかした家来の飯田平助の未亡人・米《よね》と息子の粂太郎を、田沼意次は浜町《はまちょう》の中屋敷の長屋へ移り住まわせている。  まことに、度量がひろく大きい。  田沼家中の人びとも、米も粂太郎も、なんで飯田平助が自殺をとげたのか、すこしも知らぬ。  それはさておき……。  少年の飯田粂太郎が汗みどろになり、大治郎に稽古をつけてもらっている態《さま》を見てから、小兵衛は浅草・今戸《いまど》の本性寺《ほんしょうじ》へ行き、亡妻や剣友・嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》の墓参をすませ、ぶらぶらと引き返し、浅茅《あさじ》ヶ原《はら》へ出た。  浅茅ヶ原は、梅若丸《うめわかまる》の伝説にゆかりのあるところで、近くの名刹《めいさつ》・総泉寺《そうせんじ》の地つづきである。  西へひろがった田圃《たんぼ》の際《きわ》の松林の道をたどって来た秋山小兵衛が、 (や……?)  おもわず立ちどまったのは、田圃に面した堤の下の草むらに、〔鬼熊〕の熊五郎が突伏し、草をつかんで、のたうちまわっている姿を見たからであった。  人影はなかった。  文月《ふみづき》(現・八月)中旬《なかごろ》の、昼近い時刻で、まだ夏の名残りの強い光をたたえた陽ざしが、あたりにみなぎっていた。  法師蝉《ほうしぜみ》が、松林に鳴きこめている。  堤の上から小兵衛が、ひそかに見ているとも知らず、熊五郎は必死にうめき声を堪《こら》えつつ、もがき、苦しみ、何やら白い液を口中《こうちゅう》から吐き出したかと見るまに、 「あ……あ……」  ぐったりと、草の中へ倒れ伏し、死人のように、身じろぎさえしなくなった。  かつて、このように弱々しい姿を、だれにも見せたことのない〔鬼熊〕の熊五郎だったはずである。  このとき秋山小兵衛は、熊五郎へ声をかけなかった。  しかし、それから半刻《はんとき》(一時間)ほどのちに、熊五郎が、ふらふらと堤の上へ出て来て、両手を腹のあたりへあてがいつつ、よろめくがごとく去って行くのを、木陰から小兵衛は見とどけていた。      二  翌日、小兵衛は大川をわたり、息・大治郎の道場へ出かけた。  今日も、飯田粂太郎が道場へ来ている。  少年にしては、大治郎がつける激しい稽古《けいこ》に、よく堪《た》えていた。  稽古が終り、 「かたじけのうございました」  きちんと両手をつき、大治郎へあいさつをする飯田粂太郎を見て、小兵衛がひとりうなずく。  帰って行く粂太郎の足どりが、すこしもつれていた。  なまなかな稽古ではないからである。 「せがれよ。あの子どものすじ[#「すじ」に傍点]は、どうじゃな?」 「よいとおもいます」 「む。わしも、そう見た」 「父親が、あのような死様《しにざま》であったためか、当人も何やら覚悟があるようにおもわれます」 「ほう……」 「御存知のごとく、本人は、何故に父親が自害などをしてのけたか、それがわかっておりませぬ。ですが、田沼様は粂太郎が成人のあかつきには、お取り立て下さるそうで、なればこそ粂太郎も一所懸命に、文武の道へいそしまねばならぬと決心しているものと見えます」 「そうか、そうか……それならばよい。それでよいのじゃ」  粂太郎が入門のときに、つきそって来て、大治郎へ礼儀正しくあいさつをしたという女武芸者・佐々木三冬は、その後、一度もあらわれぬらしい。  このごろの三冬は、田沼家の上屋敷へ寝泊りをするようになった。  それというのも、父・田沼意次が、ひそかに毒殺されんとした事実を知っただけに、出来るかぎりは父の身辺にいて、父の身を、 (おまもりしよう)  と、考えてのことにちがいない。  ということは、それだけ、田沼意次に対する三冬の考え方が、以前と変ってきていることになる。  先ごろの毒殺未遂事件における意次の態度と、こころがまえを知って、三冬もいささかおどろいたらしい。  幕府最高の実力者にしては、それにふさわしい貫禄《かんろく》とか勿体《もったい》とかに無縁な……外目《そとめ》には風采《ふうさい》のあがらぬ父親の、おもいがけぬ心構えの強靭《きょうじん》さと大きさひろさを目《ま》のあたりに見て、三冬は、これまでの認識を、 (あらためざるを得なかったようじゃな)  と、秋山小兵衛はおもった。  この日。  小兵衛が大治郎の道場を出たのは、昨日と同じ刻限であった。  昨日と同じに本性寺へ行き、墓参をすませ、昨日と同じに浅茅ヶ原へやって来た。  そして昨日、〔鬼熊〕の老亭主・熊五郎が苦しみ|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》いていた田圃《たんぼ》の草むらを、堤の上からのぞいて見た。  ところが……。 (今日は、いない……)  のである。  小兵衛は、堤の草の上へ腰をおろし、しばらく、法師蝉《ほうしぜみ》の鳴き声に聞き入っていた。  陽ざしは強いが、大気には秋の気配がただよってい、汗も浮いてはこない。  しばらくして小兵衛は、立ちあがった。  それから大川の西岸を、ゆっくりと両国橋《りょうごくばし》まで行き、橋をわたって本所へ入り、亀沢町《かめざわちょう》の小川宗哲を訪ねた。  宗哲老人は、ちょうど往診から帰ったところで、 「待ちかねていたよ、小兵衛さん」  すぐさま、碁盤を持ち出して来た。  もとより小兵衛は、そのつもりで訪問したのであるから、すぐさま碁石を手にとった。  夕暮れまで、小川宗哲と碁をかこみ、時間をつぶすつもりなのだ。  それから〔鬼熊〕へ行き、熊五郎の様子を、ぜひとも、 (見たい)  と、おもっている。  剣士としての名誉も立身出世もあきらめ、孫のように若いおはる[#「おはる」に傍点]を得て、気楽な隠居暮しに入った小兵衛なのだが、そうなると、急に、他人の暮しに興味をひかれるようになってきた。 (老人《としより》の、いけないくせ[#「くせ」に傍点]だな……)  と、おもうのだが、やめられない。 (それほどに、わしは退屈をしているのかな……?)  おもわず、苦笑が浮いて出るのであった。 (たしかに、熊五郎の爺《じじ》いめ、重い病気にかかっている)  小兵衛は、昨日の熊五郎の苦悶《くもん》の体《てい》を見て、そうおもっていた。  浅茅《あさじ》ヶ原《はら》のあたりを通りかかっているとき、急に、発作でも起ったものか……。 (もしや、寝込んでしまっているのではないか……?)  それが、気がかりになってきた。 (鬼熊に、あの爺いがいなくなっては、もう行ってみてもつまらぬからな……)  であった。  他の人は知らず小兵衛は、因業《いんごう》な熊五郎あっての〔鬼熊〕だとおもっている。  この前と同様、今日も碁をうっている間、小川宗哲は、先日の毒薬の件について一言も口に出さなかった。  小兵衛の人柄を信じきっていてくれるからであろう。  こういうところが、宗哲老人のたのもしいところである。      三  夕飯をよばれてから、秋山小兵衛が小川宗哲邸を辞去したのは六ツ半(午後七時)をすこしまわった刻限であったろう。  武家屋敷がたちならぶ通りを、回向院《えこういん》の北側へぬけ、小泉町《こいずみちょう》の角を藤堂|和泉守《いずみのかみ》・下屋敷へ突き当り、土塀《どべい》に沿って右へ折れ曲ると、前方に、津軽越中守《つがるえっちゅうのかみ》・下屋敷の大屋根が、闇《やみ》の中にもくろぐろと浮いて見える。  道の右側が横網町で、その先が松前伊豆守《まつまえいずのかみ》の本邸であった。  その松前屋敷と道をへだてて、津軽屋敷の北面の三角地帯の突端に、居酒屋〔鬼熊〕がある。  ここは、横網町の飛地《とびち》というわけだ。  店の中は、さよう、七坪ほどもあろうか……。  土間に、入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の畳敷きが十畳ほど。それだけのものであった。  奥に、板場があり、熊五郎の養女・おしん[#「おしん」に傍点]の夫、文吉が庖丁《ほうちょう》をにぎって懸命にはたらいている。  それへ熊五郎が、 「おい、文吉。早くしねえか」  とか、 「何をぐずぐずしていやあがる。手前《てめえ》のようにもったいぶって庖丁をつかっていたんじゃあ、居酒屋のおやじはつとまらねえのだ。おれの跡をつぎてえのなら、さっさ[#「さっさ」に傍点]としろい」  とか、 「ここにいる客どもの口へ入《へえ》る食いものをこしらえるのに、汗をかくことがあるものか。なんでもいいから早く出せ」  なぞと、大声に怒鳴りつけながら、酒の燗《かん》をつけたり、文吉がこしらえた食べものを客の前へ運んだりしている。  なれない客なら、いっぺんで飛び出してしまい、二度と来ない。  それが、なじみになると、なんといっても吟味した酒が安くのめるのだし、おとなしくのんでいれば、熊五郎の気にさわることもないので、病みつきのようになってしまい、土地《ところ》の無頼《やくざ》どもの中には、 「日に一度、鬼熊のとっつぁんの毒口《どくぐち》をきかねえと、ねむる気がしねえ」  などと、いうやつもいるそうな。  さて……。  この夜、秋山小兵衛が〔鬼熊〕へ立ち寄ったときも、熊五郎の様子はいつもと変りがなく、折しも、悪酔いをして管《くだ》を巻きかけた津軽屋敷の中間に、出刃庖丁を突きつけ、 「てめえらのようなやくざどもに、安い酒をのませてやっているありがたさを忘れ、つまらねえことをくだくだならべやがると、その鼻の穴へ出刃庖丁を突っこみ、鼻糞《はなくそ》ぐるみ、その形のよくねえ鼻っ柱《ぱしら》をえぐりとってやるからそうおもえ!!」  わめきたてているところであった。  その中間は、庖丁を突きつけられ、青くなって、ちぢこまった。それを見ている他の客が、おもしろそうにささやき合っていると、熊五郎が屹《きっ》と振り向き、 「野郎ども、ここは見世物小屋じゃあねえ。おとなしく、そっちを向いてのんでいやがれ!!」  と、きめつけた。  客どもは、いずれも風体《ふうてい》・人相のよくない無頼どもなのだが、熊五郎の一喝をくらうと、くびをすくめておとなしくなる。  それは熊五郎が空威張りをしているのでもなく、脅しているのでもなく、 (おれの気に入らねえことをする客は、このいのちにかけても追い払ってしまうか……または、おとなしくさせる)  その決意が尋常のものでないからだ。やることはばかげていても、熊五郎の気魄《きはく》に、 (捨身のものがこもっている)  と、小兵衛は、かねがねおもっていたのである。  入れこみの一角にすわりこんだ小兵衛を、じろりと見た熊五郎が近寄って来て、 「酒かい?」  と、きいた。 「うん」  小兵衛が素直にうなずく。  いつであったか、酒かい、ときかれて、 「ここへ来て、ほかに何があるんでえ」  と、やり返した男がいた。  すると熊五郎が、 「つべこべいうな。飯だけを食う客もいるのだぞ」  いきなり、手に持っていた二合入りの徳利《とくり》を、その男のあたまへ叩《たた》きつけたものだ。熱い酒をあたまから浴び、割れた徳利の破片であたまを傷つけられ、血をながしながらその男は、這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》で戸外《おもて》へ逃げ出して行ったのを、小兵衛は目撃したことがある。  とにかく、この夜の熊五郎は、とても病体とはおもえなかった。うす暗い燈火《とうか》の中で、ことさらに青ぐろい顔が無気味に見え、張りあげる声が、すさまじいほどの迫力をもっていた。 (昨日、浅茅ヶ原で、このおやじ、下痢でも起したのか……)  板場の文吉と、客たちへ浴びせる熊五郎の怒声・罵声《ばせい》をききつつ、小兵衛は二合の酒を、おとなしくのみ、間もなく鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ帰った。  そして、浅茅ヶ原で見た熊五郎の姿を、いったんは忘れてしまったのであるが……。  それから四、五日して、大治郎の道場へ出かけた帰途、いつものように本性寺へ墓参りをし、そのとき、ふと熊五郎のことをおもい出し、 (もしや……?)  と、浅茅ヶ原へまわってみると、 (いた!!)  のである。  この前と同じ場所で、熊五郎は腹を押え、死人のごとく横たわっていた。      四  小兵衛は、このときもまた、ひそかに熊五郎を見るにとどめておいた。  ちから[#「ちから」に傍点]なく、弱々しく、おとろえきった熊五郎の姿が浅茅ヶ原から消え去るまで、小兵衛は物陰から、これを見まもっていたのである。  それから、いったん鐘ヶ淵の我が家へもどり、日暮れになってから、おはる[#「おはる」に傍点]と共に夕餉《ゆうげ》をすまし、 「ちょいと、出てくるよ。戸じまりに気をつけてな」  いいおいて、本所へ出かけて行った。  小川宗哲邸へではない。すぐに小兵衛は〔鬼熊〕へ行った。  熊五郎は、いた。  この前のときと同様に、土地《ところ》の荒くれどもを怒鳴りつけ、酒をのませ、聟《むこ》の文吉を叱《しか》りつけ、すさまじいばかりの精気をみなぎらせていたのである。  小兵衛は、だまって酒二合をのみ、帰って来た。  月もない暗夜の大川端を北へたどりながら、 「さて……」  ふといためいきを吐《つ》いて、 「わしが、あのおやじにしてやれることはなんだろう?」  われからわれにいいきかせるがごとく、つぶやいたものだ。 「よけいなことかも知れぬなあ……」  くび[#「くび」に傍点]をふりふり、小兵衛は歩んだ。  この夜から雨になった。  翌日も、その翌日も、小兵衛は引きこもったまま、どこへも出て行かなかった。  雨空が、いつまでもうごかない。  ぼんやりと雨の音につつまれ、小兵衛はさらに二日をすごした。 「先生。いったい、どうしたんですよう」  おはるが、小兵衛の冴《さ》えぬ顔色を心配そうにうかがい、 「体でも悪いんですか?」 「いや、そうじゃない。そうじゃないのだよ」 「でも、先生……」 「なあに、こっちのことだ」 「けれど、毎日、そんなに浮かない顔をしているから……」 「わしも、もう六十になったのだもの。若いお前には、おもいおよばぬ屈託があろうというものさ」 「くったく……?」 「老人《としより》だけがわかるこころもち[#「こころもち」に傍点]なのだよ」 「まあ、いやな……」 「よし、よし。今夜は久しぶりで、お前と二人きりで酒もりをしようかえ。そして大いに酔っぱらおう」 「あっ……先生。四日ぶりで笑った。やっと、笑った」 「ばか」  小兵衛が、むっちりとしたおはるの体をひざ[#「ひざ」に傍点]の上へ抱えこみ、やさしく頬ずりをしてやりながら、 「なれど、わしは、しあわせものさ。あのおやじにくらべたなら、まだまだ丈夫だし、こうして、若いお前を可愛《かわい》がることもできるし……」 「どこの、おやじ……?」 「地獄の釜《かま》の湯気があたりかかっているおやじのことよ。ふ、ふふ……あのおやじ。おそらくこれまでに、二人三人の人のいのちを、わが手にうばいとっていようなあ」 「まあ、こわい」  翌日、雨があがった。  秋の大気が、さらに冷え冷えとただよってきた。  昼ごろ、小兵衛は本所・横網町の〔鬼熊〕へ出かけた。  店は、まだ開《あ》いていない。  閉っている油障子を開けると、板場の傍《わき》の板敷きで、文吉とおしん[#「おしん」に傍点]の若夫婦が、四つになるおかよ[#「おかよ」に傍点]をまじえ、たのしげに昼飯を食べているところであった。 「あ、いらっしゃいまし」  文吉夫婦も、小兵衛の顔をおぼえている。 「すまぬが、茶をいっぱいくれぬか、この前を通りかかって、喉《のど》が、かわいていたものだから……」 「さあさあ、おかけなすって……」 「ありがとうよ」  腰をおろした小兵衛へ、文吉が、 「一本、おつけしましょうか?」 「いいのかえ、店を開けていないのに……」 「へい。おとっつぁんがいたら大変でございますが……」 「今日は、いないのかえ?」 「へい。このごろは、ときどき……」 「ふうん」 「なんでも、下谷《したや》の広徳寺《こうとくじ》の近くに住んでいるむかしの友だちのところへ出かけて、将棋をさすのが、たのしみになったようで……」 「ほう……将棋を、ね……」 「さようでございます」 「こういってはなんだが……あの、おとっつぁんといっしょに住んでいるのは、大変だろうなあ」  文吉とおしんが、顔を見合せて笑い、 「そりゃあ、まあ……」  文吉が、わるびれずに、 「御存知のような人でございますから……」 「よく辛抱をしている」 「ですが御隠居さん。ああ見えても、根はさっぱりとしておりますんで……私もなんです、はじめのうちはびっくりいたしましたが、この女房に惚《ほ》れこんでしまったもので、覚悟をきめて入りこんでみますと、何事も馴《な》れというやつで、あまり、気にならなくなりました」 「お前さんは、どうして、この家と?」 「へい。私も五年前には、ここの客だったんでございますよ」 「あ、なるほど」 「そのころの私ぁ、三ツ目の松平能登守《まつだいらのとのかみ》さまの御下屋敷の中間部屋にいたわたり者[#「わたり者」に傍点]で、いやもう、箸《はし》にも棒にもかからねえ奴《やつ》でございまして」 「なるほど。そこを、ここのおやじに見込まれたのじゃな」 「これはどうも、恐れいりました」  文吉は、二十七、八歳に見える。  熊五郎のような男のむすめを女房にし、もう五年もいっしょに暮し、黙々と、しかも落ちつきはらってはたらいているところを見ると、 (こやつも、只者《ただもの》でない)  と、小兵衛はおもっていたが、いま、こうして語り合ってみて、考えていた以上に、文吉がしっかりしていることがわかった。  文吉の過去もまた、 (ひとすじ縄では行かぬ……)  ものだったにちがいない。なればこそ、熊五郎をあやなしきって、びく[#「びく」に傍点]ともせぬのであろう。  おしんは、おかよに飯を食べさせてやりながら、わずかに微笑をうかべ、口をさしはさまず、それでいて小兵衛の酒肴《しゅこう》に気をくばってくれる。 「や、突然にあらわれて、とんだ厄介をかけた。ありがとう、ありがとう」  秋山小兵衛は二分金《にぶきん》を置いて立ちあがった。 「あ、こんなに……」 「なあに、とっておいてくれ」 「こりゃあ、どうも、申しわけがございません」 〔鬼熊〕を出た小兵衛は両国橋をわたり、急ぎ足となった。  浅茅《あさじ》ヶ原《はら》へ着いたのは、八ツ(午後二時)をまわっていたろう。  雨あがりの日和《ひより》だけに、このあたりを散策しがてら総泉寺へ参詣《さんけい》する人びとが多い。 (や……)  小兵衛は、つと[#「つと」に傍点]、松の木陰へ身をかくした。  彼方《かなた》の松原の中をふらふらと、こちらへやって来る熊五郎を見たからであった。  まるで、幽鬼のような物凄《ものすご》い顔かたちで、熊五郎が近づいて来る。道行く人びとはこれを見て、逃げるように避けた。熊五郎は手ぬぐいを出して顔の下半分をおおい、地面へのめりこむような足どりで、小兵衛の眼前を通りすぎて行った。      五  翌日の昼ごろ。  小兵衛は、またしても浅茅ヶ原へ足をはこんだ。昨日の晴天は一日きりで、今日の空には灰色の雲が重くたれこめている。  風が、冷たかった。  昨日にくらべて、総泉寺や浅茅ヶ原に人影がすくなかった。現代とちがい、二百年も前のそのころは、外出《そとで》の人びとにとって、雨空は何より嫌なものであった。しかるべき乗物もなく、道は悪く、何から何まで自分の足と手でしてのけねばならないのだから、何事によらず、天候が人びとの生活を大きく支配していたのである。  ところでこの日。  秋山小兵衛は、浅茅ヶ原の松林から田圃道《たんぼみち》をたどり、彼方の玉姫稲荷《たまひめいなり》の社《やしろ》へ向って行く熊五郎の後姿を発見した。  玉姫稲荷の杜《もり》が、浅草田圃のひろがりの中に、浮島のように見える。  熊五郎が、その杜へ消えてから、しばらく間を置き、小兵衛が田圃道を歩む足を速めた。  小兵衛の白髪あたまへ、ぽつり[#「ぽつり」に傍点]と雨が落ちてきた。  玉姫稲荷の境内には、まったく人影がない。  いや、ただひとり、熊五郎がいましも、御手洗《みたらし》の水を柄杓《ひしゃく》にくんで、あたりを見まわしながら絵馬堂《えまどう》の陰へ身を屈《かが》めたところであった。  これを、小兵衛は玉垣の際《きわ》の銀杏《いちょう》の木陰から見まもった。  熊五郎は、さらに、きょろきょろとあたりをうかがったかとおもうと、ふところから、何やら粉薬のようなものを取り出し、手早く服用し、柄杓の水を一気にのんだ。  のんで、柄杓を放り出し、しわだらけの老顔をしかめ、両手に胸と腹を押え、 「う……うう……」  かすかにうめき声を発し、しばらくは、うずくまったままである。  社の杜に、雨音が高まってきた。  ようやくに顔をあげ、落ちた柄杓を拾い、熊五郎が腰を浮かしかけて、 「あっ……」  愕然《がくぜん》となった。  いつの間にか、秋山小兵衛が絵馬堂の廂《ひさし》の下へ入って来ているのに気づいたからだ。  白い、ぎょろりとした目玉をむいて、熊五郎が小兵衛をにらみつけた。  小兵衛は、しごく真面目《まじめ》な顔つきで、視線を熊五郎の両眼から逸《そ》らせずに、 「妙なところで、出合ったのう」  しずかに、熊五郎の前へ屈みこんだものである。 「な、なんでえ、てめえは……」 「わしの顔を、忘れたのかえ?」 「ここは、酒をのませる場所じゃあねえ」 「さようさ。薬をのむ場所でもない」 「な、な、なんだと……」  激怒した熊五郎が裾《すそ》をまくって仁王立ちとなり、手にした柄杓を、小兵衛の脳天へ叩《たた》きつけた。  実に、この瞬間である。  屈みこんだままの姿勢を、いささかも崩すことなく、秋山小兵衛の右手が颯《さっ》とうごいたかと見る間に、頭上へ叩きつけられた柄杓が三つに切断されて地に落ちた。  そして……。  小兵衛の腰間《ようかん》からすべり出た堀川|国弘《くにひろ》一尺四寸余の脇差《わきざし》の光芒《こうぼう》は、早くも鞘《さや》におさまっていたのだ。 「霜枯れの閻魔《えんま》さま」  のごとき熊五郎の顔が、空間に貼《は》りついたようになった。  熊五郎の、長くて骨の浮いた脛《すね》が、わなわなとふるえはじめている。  なまなかの六十余年の人生を送って来たのではない熊五郎だけに、小兵衛の早わざが尋常のものではないことを、すぐさまのみこんだものと見てよい。  何事もなかったように、小兵衛がいった。 「こんなのは、子どもだましさ」 「う……」 「ま、そこへ腰をおろしたらどうだな。案ずるなよ、爺《とつ》つぁん。だれも見てはいない」 「ち、畜生……」 「それとも、もう一度、わしに飛びかかってみるか」  細い小兵衛の両眼が、きらりと光った。  熊五郎は、沈黙した。 「ま、すわれ」 「う……」  いわれるままだ。熊五郎が絵馬堂の石畳へ腰を落した。 「爺つぁんよ。なにも、こんなところまで出て来て、薬養生をすることはない。よかったら、毎日でもいい。わしの家《うち》へあそびがてらにやって来ぬか、どうじゃ?」 「よ、よけいな事《こっ》た」 「わしは、お前のことなぞ、だれにもいわぬよ。わしとお前だけの隠し事だ。な、それならいいだろう?」 「…………」 「よくよくの意地っ張りと見える。お前は、おのれが病んでいることを、むすめにも、むすめ聟《むこ》の文吉にも知らせたくない。いや、知られたくないのだろう、どうじゃ」 「う、うるせえ……」  熊五郎の声は、弱々しかった。 「お前は、これまで、何事にも、他人へ弱味を見せずに生きて来たらしいな。すこしの弱味、わずかな隙《すき》を見せても、他人に乗ぜられる。いや、世の中に甘く見られるというので、お前は、どうやら若いころから精いっぱいに肩ひじを張り、他人を叩きつけ、蹴倒《けたお》して、今日まで生きて来たらしい。いや、見あげたものよ」  あきらかに、熊五郎は病んでいる。  それも、 (死病じゃな)  と、小兵衛は看破していた。  死病であることを、聟の文吉夫婦にさとられてしまったら、 (おやじはもう、長いことはねえ)  というので、文吉もおしん[#「おしん」に傍点]も、これまでの養父への畏怖《いふ》をかなぐり捨てて、 (おれに、辛《つら》く当るにちげえねえ)  熊五郎は、そうおもいこんでいるのであった。 (おれは、あいつらにさえ、やさしいことば一つ、かけたことはねえ。甘やかしたこともねえ。何でも彼《か》でも、おれのいいぶんを通し、一言《ひとこと》の口ごたえもゆるしはしなかった)  からである。 (だから、ちっとの隙も、あいつらにさえ見せちゃあならねえ)  のである。それが熊五郎の信念であった。熊五郎の、これまでの体験が生んだ信念なのだ。 「おい、爺つぁん……」  いいさして秋山小兵衛が立ちあがり、 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》のあたりで、秋山小兵衛ときけば、すぐにわかる。わしがところには将棋盤もあるぞ」 「し、しょうぎ……」  熊五郎は、あわてふためいた。 「うむ。相手をするよ、いつでもな……」  そして小兵衛は、家から持って出た雨傘を、うなだれている熊五郎の前へ置き、 「さして帰れ。ぬれては毒じゃ」  やさしくいい残し、絵馬堂から出て行った。  小兵衛の雨傘はない。  ふりしきる初秋の雨をものともせず、玉姫稲荷の境内を去る小兵衛の後姿を、〔鬼熊の熊五郎〕は茫然《ぼうぜん》と見送るのみであった。  それから三日の間、秋山小兵衛は家に引きこもったまま、一歩も出なかった。  しかし、熊五郎はあらわれない。  四日目の夕暮れになって、たまりかねたように小兵衛が、 「おはる[#「おはる」に傍点]。ちょ[#「ちょ」に傍点]と出て来るぞ」 「あれまあ先生。いま、お膳《ぜん》を出そうとおもっていたのに……」 「すぐに帰る。帰って、お前といっしょに食べよう。待っていておくれ」 「あい。でも、どこへおいでなさる?」 「急用をおもい出して、本所の小川宗哲先生のところへ、な」      六  そのころ、本所・横網町の〔鬼熊《おにくま》〕には、すでに三人の客がいた。  いずれも三十前後の浪人たちだ。  このあたりをぶらぶらしている浪人どもに、 「ろく[#「ろく」に傍点]な奴《やつ》はいない」  のだという。  たとえ剣術が強く、学問があっても、このせせこましい世の中に、浪人を召し抱えて家来を増やそうとする大名や旗本なぞは、どこにもいない。それでなくとも家来を減らしたいのが現状なのだ。世の中がぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]になるにつれ、武家の諸式は高騰《こうとう》するばかりであって、その利益は、すべて町人のふところへ入ってしまうのだから、たまったものではない。  浪人の数は、増えるばかりで、しかも大小二本の刀の手前、身を落して人夫をはたらくわけにもゆかず、したがって、大小の刀に物をいわせ、悪行へ走る浪人が、江戸のような大都会ではすくなくない。  この日の夕暮れに、〔鬼熊〕へあらわれた三人の浪人も、そうした類《たぐ》いのやつどもであった。  このところ連日、石原町の内藤|山城守《やましろのかみ》・下屋敷の中間部屋でひらかれる博奕《ばくち》場へ入りびたり、そこで〔鬼熊〕の評判を耳にしたらしく、 「喧嘩《けんか》を売って酒を売るというおやじは、どやつだ?」 「けしからん。客商売の身分をわきまえず、威張り返って酒を売るとは、まことにもってけしからん」 「われわれ三人は、ちょいと、そこらあたりのごろつき[#「ごろつき」に傍点]とわけがちがうぞ。さ、そのつもりで喧嘩を売れ、酒を売れ!!」  などと、入って来たときから浪人たちは、したたかに酔っていたようである。  熊五郎は、青ぐろい顔をうつ向け、めずらしく板場の中へ入ったまま、無頼浪人の相手になろうとはしなかった。  この日の熊五郎は、朝から妙に、いつもの威勢がなく、文吉夫婦や、孫のおかよ[#「おかよ」に傍点]にも口をきかなかったという。  もっとも、幼いおかよなどは、熊五郎がたまさかに、苦虫を噛《か》みつぶしたような顔つきで、 「おかよ。こっちへ来な。回向院《えこういん》へあそびに行こう」  なぞといおうものなら、ひきつけを起さんばかりに恐怖の色をうかべ、母親のふところへしがみついてしまう。  はじめは、文吉やおしん[#「おしん」に傍点]が店へ出て、浪人たちへ酒肴《しゅこう》をはこんだ。たちまちに、二合|徳利《どっくり》で五本が空になった。  あとから入って来た客たちは、見るからにすさまじい形相の浪人たちを見るや、  早々に、 「また、あとで来るぜ」  と、引きあげてしまう。 「その因業《いんごう》おやじの面《つら》が見たい」 「ふうん。われわれが怖くて、出て来ぬと見える」 「くそ。おもしろくもない」  三人の浪人は、しきりに気炎をあげつつ、合わせて八本の徳利をあけてしまったあげく、 「勘定は、はらわんぞ」  と、わめいた。 「因業おやじが面を出さぬのなら、酒代《のみしろ》は、はらわん」  文吉は、さからわずに、 「へい、へい。ようございますとも」  一時も早く、浪人どもに出て行ってもらおうとしたのだが、 「待ちゃあがれ。ようございますともとは、なんてえことだ。この大|馬鹿野郎《ばかやろう》め!!」  文吉を叱《しか》りつけた熊五郎が、ついに、板場から飛び出してしまった。  この場合、文吉へ怒声をあびせたことは、とりも直さず三人の浪人へ当てつけた[#「当てつけた」に傍点]ことになる。 「ふむ。こいつ、おもしろい」 「とうとう出たな、因業おやじめ」 「酒代がほしければ、そこへ土下座をしろ。両手をついて、わん[#「わん」に傍点]と吠《ほ》えてみろ」  無頼浪人が、いっせいに立ちあがった。  もとより熊五郎が、こやつどものいうことをきくはずはない。 「何をぬかしゃあがる。二本差しが怖くておひざもと[#「おひざもと」に傍点]が歩けるか。てめえらのような犬畜生にも劣るけだものに、人間さまが吝《けち》をつけられてなるものけえ!!」  早くも熊五郎は、出刃庖丁《でばぼうちょう》をつかんでいた。 「おとっつぁん。出て来ちゃあいけねえ」  店へ出ていた文吉も、さすがに顔色を変えて熊五郎へ組みつき、これを板場へ押しもどそうとした。  その文吉の襟首《えりくび》をつかんだ浪人のひとりが、 「おのれは引っこんでいろ!!」  わめくや、文吉を熊五郎から引きはなし、 「な、何をするんで……」  いいかけた文吉のひ[#「ひ」に傍点]腹へ強烈な当身をくわせた。 「むうん……」  文吉は倒れて、悶絶《もんぜつ》した。  おしんが悲鳴をあげて、文吉へしがみついた。 「この野郎ども。ふざけたまねを……」  血相を変えた熊五郎が庖丁をふりかざし、文吉とおしんを庇《かば》って立ちはだかるのへ、 「うぬ!!」  すすみ出た別の浪人が、差しぞえの脇差《わきざし》を抜き打ちに、熊五郎を斬《き》った……。  いや、斬ったと見えた転瞬、その浪人は異様な叫びを発し、脇差を放り捨て、両手にあたまをかかえて横ざまに転倒していたのである。  戸外から風を切って投げこまれた石塊《いしくれ》が、浪人の後頭部を強打したのだ。 「あっ……」 「ど、どうした?」  ぎょっとして振り向いた、残る二人の浪人へ、戸外から声がかかった。 「出て来い。わしが相手だ」 「何だと!!」 「熊五郎にかわり、このじじいが、おのれらの相手になってやろうというのさ」  秋山小兵衛の、笑いをふくんだ老顔が、油障子の向うからひょい[#「ひょい」に傍点]とあらわれた。 「こいつ、おもしろい」 「後悔するなよ!!」  浪人たちは、小兵衛が老人だと知って、尚《なお》さらにいきり立った。  ぱっと道へ飛び出し、ふたりが大刀を引きぬいた。  引きぬいて、顔を見合せた。  暗い大川の川面《かわも》を背にふらりと立っている小兵衛の、あまりにも細く小さい体躯《たいく》を見て、拍子ぬけがしたものらしい。 「じじい。帰れ」  さげすみの声を、ひとりが小兵衛へ投げると、たちまちに、 「それほどに、わしが恐ろしいのかよ」  と、小兵衛の声が返ってきた。 「なんだと……」 「かまわん。叩《たた》きのめして大川の水をのませてやれ」  あたまからあなどりきって、肩をそびやかし、小兵衛へ近寄った浪人が、 「それっ」  大刀をひっさげたままの右腕はそのままに、左腕で小兵衛の胸板を突き飛ばした。  突き飛ばした……と、おもった浪人の左腕は、空間に泳いでいる。 「あっ……」  と、おもったときには、その浪人の巨体がふわり[#「ふわり」に傍点]と宙に浮き、大川へ水しぶきをあげて落ちこんで行った。  腰の脇差を抜こうともせず、 「さ、今度はお前だ」  すっ[#「すっ」に傍点]と、残る一人へ小兵衛が近寄って来た。 「うぬ!!」  猛然と、浪人が大刀を叩きつけて来た。  体《たい》をひらいてかわした小兵衛へ、すかさず踏みこんだ浪人は、 「たあっ!!」  必殺の一撃を送りこんできた。  相当なつかい手[#「つかい手」に傍点]である。  だが、小兵衛をなぎはらったその一撃も、いたずらに闇《やみ》の幕を切り裂いたのみであった。  小兵衛の体が、宙に七尺ほども飛びあがり、浪人の太刀風を足下《そっか》にながしたと見るや、国弘《くにひろ》の脇差を抜き打ちに、 「む!!」  浪人のくびすじを峰打ちに一撃して、小兵衛が地に足をつけた。  浪人が、がくりと両ひざをつき、大刀を落した手を前へ突き出し、声もなく身をふるわせたかとおもうと、そのまま前のめりに倒れ伏した。  国弘を鞘《さや》におさめ、小兵衛が〔鬼熊〕の中へ入って、 「や。どうした、熊五郎」  熊五郎が仰向《あおむ》けに倒れ、これを文吉とおしんが抱きかかえ、奥へはこびこもうとしている。  熊五郎の口、あご[#「あご」に傍点]のあたりから胸へかけて、血に染まっているではないか。 (斬られた……)  はっ[#「はっ」に傍点]として見やると、はじめに小兵衛が石塊を投げつけて打ち倒した浪人は、まだ、うつ伏せのまま気をうしなっている。 「どうしたのだ。これ……」 「急に、おとっつぁんが、血を吐いたんでございます」  と、文吉がこたえた。      七  秋山小兵衛の知らせをうけた小川宗哲は、近くの亀沢町《かめざわちょう》からすぐに駆けつけて来てくれた。  むりやり[#「むりやり」に傍点]に、何やら散薬をのませると、熊五郎は昏睡《こんすい》状態となった。 〔鬼熊〕の中二階の一間が、熊五郎の部屋である。  そこへ寝かせて、宗哲が診察をすませ、 「あとで、薬を取りにおいで」  と、文吉夫婦にいい、小兵衛へ目くばせをし、先へ戸外へ出た。  曇った夜の闇《やみ》が、妙にむし暑い。 「どうですな、宗哲先生」 「小兵衛さん。あれが評判の鬼熊かね。わしは、はじめて見た」  肩をならべ、大川端の道を津軽屋敷の塀外《へいそと》まで来て、 「どうも、おどろいたな。あのおやじ、よくもまあ、いままで生きていたものだ」 「さほどに?」 「めちゃめちゃになっているな、体中が……血を吐いたのは胃袋が破れたのだろう。そればかりではない。労咳《ろうがい》(肺病)もひどいものだね」 「ふうむ……」 「死ぬなあ」 「いつごろに?」 「今日明日ということはあるまい。わしが薬をあたえて、さよう……四日、五日は保《も》たせようが、あとはいけない」 「さようでござるか」 「さようでござるよ」  翌日の午後になって……。  小兵衛が〔鬼熊〕をたずねると、文吉夫婦がひれ[#「ひれ」に傍点]伏さんばかりにして、礼をのべた。 「ま、そんなことはいい。おやじは、どうしている?」 「へえ、それが……まるで、人が変ったように、おとなしく寝ておりますんで」 「あがっていいかえ」 「さ、おあがり下さいまし」  中二階へあがり、小兵衛は目顔で、文吉夫婦を去らせた。  熊五郎は、ぼんやりと天井を見つめている。 「どうだ、ぐあいは?」  傍《そば》へすわると、熊五郎は仰向いたままで、 「お前さんにゃあ、かなわねえ」  ほろ苦く笑って、 「これまでに、あたまが上らなかったのは、お前さんひとりさ」 「昨夜のことを、おぼえているかえ?」 「うむ……」 「なぜ、出刃なぞ持ち出して、あいつらに立ち向ったのだ。勝てるとでもおもったのかえ?」 「うんにゃ……ひとおもいに、斬《き》られて、死にてえとおもって、ね」 「ほう……」 「もう、生きているのは、あきあきしたよ。だからといって、てめえでてめえのいのちをちぢめるのは、なかなかにこいつ、むずかしいこった」 「お前ほどの男でもな」 「そりゃあ、そうさ」 「薬をのんでいたほどだものなあ」 「なあに、生きのびたくってのんでいたのじゃあねえ。生きている間の痛みと苦しみから逃げてえだけのことだったのさ」 「なるほど」 「おらあ、弱虫よ。弱虫だからこそ、世間に噛《か》みついて、生きてきたのだ」 「今日は素直だのう」 「もうじき、死ねるとわかって、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたのだ、御隠居さん」 「それは、よかった」 「それにしても、よ……お前さん、じじいのくせに、強いねえ。まるで、天狗《てんぐ》さまだ」  この日、またも雨がふり出している。 「おらあねえ、御隠居さん……」 「なんだな?」 「越後《えちご》の片隅の、小《ちい》せえ村に生まれて、物ごころついたときにゃあ、もう、両親《ふたおや》がいなかったよ」 「ふうむ……」 「それから、角兵衛獅子《かくべえじし》に売り飛ばされた」 「なるほど」 「それから、ずいぶんと、いろんなことをやって来たものだ」 「人も殺したろうな」 「ああ、殺《や》った……」 「二人か、三人か……」 「さてね……五人ばかり」 「わしが考えていたのより、多かったな」 「五人とも……みんな、おれと同じような悪い奴《やつ》らばかりだったよ」 「そうかえ」 「その中のひとりが、下にいる、おしん[#「おしん」に傍点]の父親だ」 「それを、知っているのかえ?」 「おしんが、かい。とんでもねえ。口が裂けてもいうものじゃあねえや」 「それならいい」 「ああ……」  ふかい、ためいきを吐《つ》いて、熊五郎がいった。 「つまらねえことを、いっちまったなあ……」 「だれにもいわぬよ、安心しろ」 「ふ、ふふ……」 「何が、おかしい?」 「御隠居さんも、妙なお人さ」 「それにしても、お前が、浅茅《あさじ》ヶ原《はら》で病を養っていたとはなあ……」 「なあに、あそこの草むらの中で、だれにも見られずに苦しみ痛がることができて、いっそ、せいせいしていたのだ」 「この、見栄《みえ》っ張りめ」 「もっとも、それだけじゃあねえ」 「なに……?」 「たとえ一刻《いっとき》二刻ほどでも、おれが、ここにいねえとなりゃあ、文吉もおしんも、だれに気がねもなく……それ、いろんなまね[#「まね」に傍点]を、してのけられようというものじゃあねえか。え、そうでござんしょう、御隠居さん」 「いろんな、まねをな……」 「そうさ。いろんなまねを、夫婦水入らずでよ。おれがいるときには、この、せまい家の中で、したくってもできねえことが、気がねなく、できようというものさ」  秋山小兵衛は、急に、だまりこんだ。  熊五郎は天井を仰いだままで、先刻から一度も、小兵衛の顔を見ようともせぬ。  その、熊五郎の、ひからびた老顔へ泪《なみだ》がひとすじ、尾を引いて落ちるのを、小兵衛は見た。 「薬は、のんでいるかえ?」 「ああ、のんでますよ。楽に……楽に、死にてえからね」 「明日、また来よう」 「好きにしなせえ」 「うむ、うむ……」  階段を下りかけて、小兵衛が振り返ると、熊五郎は、かたくなに天井を見上げたままであった。  雨音が、しずかにこもっていた。  三日後の朝。  熊五郎は息をひきとった。  その朝も、雨であった。     辻斬《つじぎ》り      一  冷え冷えとした夜の闇《やみ》の中を、提灯《ちょうちん》を手に秋山小兵衛が、余所目《よそめ》にはとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]した感じで歩いている。  やせて、小さな老人が、おぼつかなげに闇の幕をかきわけているように見えた。  小兵衛は、一乗寺《いちじょうじ》前から善光寺《ぜんこうじ》坂を横切り、松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》の下屋敷(別邸)に沿った道へ入った。  左側は、鬱蒼《うっそう》たる上野山内の森であった。 (おや……?)  急に、小兵衛は立ちどまり、くび[#「くび」に傍点]をかしげた。  が、それも一瞬のことで、すぐに前と同じような歩調で歩みはじめた。  この日。  小兵衛は、谷中《やなか》の三浦坂上にある長円寺《ちょうえんじ》をおとずれ、久しぶりに覚順和尚《かくじゅんおしょう》と碁をかこみ、歓談をたのしみ、酒食のもてなしをうけてから辞去し、帰途についたのである。  すでに八十をこえて、矍鑠《かくしゃく》たるものがある覚順和尚は、小兵衛の亡師・辻平右衛門《つじへいえもん》の親友であり、むかしはよく、麹町《こうじまち》の辻道場へあらわれたものだ。  この和尚、若いころは、檀家《だんか》の女房と情事《いろごと》をして、大分にさわがれたこともあるとかで、年老いてもさばけた気分の、おもしろい人なのである。 (おや……?)  またしても、小兵衛が足を止めた。  右側の松平屋敷の塀外《へいそと》をすぎ、道が不忍池《しのばずのいけ》への下りにかかったところであった。  まっ[#「まっ」に傍点]暗闇である。  その中に、小兵衛の提灯だけがぽつん[#「ぽつん」に傍点]と赤い。  先刻もそうだったが、いまも、前方の闇が殺気にふくらむのを小兵衛は知った。 (む、今度は……)  直感したとたんに、突如……。  闇の幕が裂け、するどい太刀風と大兵《たいひょう》の男が、矮躯《わいく》の小兵衛を押し潰《つぶ》さんばかりに襲いかかった。  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と、小兵衛の体《たい》が変って、 「辻斬《つじぎ》りか?」  叩《たた》きつけるようにいったとき、小兵衛の手の提灯は消えていなかった。 「う……」  二の太刀を振りかぶった大男が、微《かす》かにうめき、打ち込みかねた様子だ。  見るからにたよりなげな老人と見て、必殺の一撃を送りこんだのに、これを事もなげにかわした相手の、手の提灯のあかりが微動だにせぬ。  大男は、おどろいたらしい。  おどろいたが、引込みもつかぬ。 「やあ!!」  大声を発し、猛然として掬《すく》い切りに斬りつけて来た。  ふわり[#「ふわり」に傍点]と小兵衛の矮躯が沈み、同時に、 「うわ……」  大刀を取り落した大男が、胸もとを小兵衛の拳《こぶし》に強打され、のめりこむように倒れ伏した。 「こやつめ」  近寄った小兵衛が提灯を突きつけ、大男の面体《めんてい》をあらためようとしたとき、その背後から二人の男が抜刀して走り寄った。  もとより小兵衛に、油断のあるわけがない。 「あっ……」  という間に、この二人も当身をくらって転倒してしまった。 「さて、それからだが……」  と、翌日。息・大治郎の道場をおとずれた小兵衛が語るには、 「……大よ。それからわしはな。物陰にひそみかくれ、やつら三人が息を吹き返すまで待っていたのじゃ」 「やはり、辻斬りでしょうか?」 「と、おもうな」 「ふうむ……」 「それでな。三人は前後して息を吹き返すと、きょろきょろあたりを見まわしていたが……その、はじめの大男が二人を叱《しか》りつけ、あわてふためいて立ち去ったわい」 「それで……?」 「後をつけたよ」 「父上が……?」 「さようさ。三人は、神田|駿河台《するがだい》の旗本屋敷へ入った」 「ほう……」 「これから、その屋敷をしらべに行こうとおもっているのじゃ」 「父上も物好きな……」 「いかにも、な。六十になったいま、若い女房にかしずかれて、のんびりと日を送る……じゃが、男というやつ、それだけでもすまぬものじゃ。退屈でなあ、女も……」 「さようなものでしょうか……」 「では、ちょいと行って来る。退屈しのぎにな」 「様子をおきかせ下さい」 「よいとも。では、夕飯をわしが家で、いっしょに食おう。それまでには帰る」 「はい」 「おお……今日も、よい秋|日和《びより》じゃ。このように晴れわたっては、きっと夜が冷えるぞ」      二  夕暮れになり、近所の百姓の女房で、唖《おし》のおこう[#「おこう」に傍点]へ、手まねで「夕飯の仕度をしなくともよい」と知らせた秋山大治郎が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父の隠宅へ出向くと、 「おお、待っていたぞ」  すでに帰っていた小兵衛の声が、縁先からきこえた。 「大治郎。落ち鱸《すずき》のよいのが手に入った。塩焼きにして酒をのもう。それに、あとで栗飯《くりめし》を炊《た》こうと、おはる[#「おはる」に傍点]がいっている」 「父上。あれから、どうなりましたか?」  めずらしく大治郎が、興味|津々《しんしん》といった顔つきで、 「どこのだれなのです?」 「さ。それがさ。おどろくではないか、幕府《こうぎ》の御目付《おめつけ》衆で千五百石の直参《じきさん》・永井|十太夫《じゅうだゆう》の屋敷であったよ」 「では、永井家の……」 「あるじらしい」 「まさか……?」 「永井十太夫は直心影《じきしんかげ》の剣術が自慢で、六尺あまりの大男だそうな」 「すると……やはり、辻斬《つじぎ》り……」 「うむ。新たに手に入れた刀の、ためし[#「ためし」に傍点]斬りにでも出たのだろうよ」 「大身旗本ともあろう身が、辻斬りを……」 「いまの世に、な」  千五百石の御目付衆といえば、幕府高官の中でも、ひときわ目立つ存在といってよい。  目付役は、若年寄《わかどしより》の目ともなり耳ともなって、幕臣を監察する。その役目はきわめてひろく、規則・礼式の監察や布令《ふれい》、御用部屋からまわされて来る願書・伺《うかが》い書・建議書などの検討、江戸城中の巡視、評定所への列席。それに危急の際における諸役の活動を監視したりもする。定員は十人であるが、この目付役の下は〔御徒《おかち》目付〕をはじめ十余の役職があって、だから三千人余の下役を抱えていることになる。  さらに御目付衆は、わが意見を直接に、将軍へ申し立てることができるという〔特権〕をもつ。  ゆえに、幕府最高の権威をもつ老中や若年寄といえども、御目付衆には、 「一目置く」  ことにもなるのである。  それほどに隠れたる威勢をもつ御目付衆なのだが、彼らを監察するものはだれ[#「だれ」に傍点]か……ということになると、これがまた同役の目付が、たがいに監視し合うのだ。  ために、目付衆は、同役の者に失敗や欠点があれば、これを摘発して、どしどし蹴落《けおと》してしまう。 「いや、まったく恐ろしい役目じゃ。なまなかの者にはつとまらぬ」  と、小兵衛がいった。  永井十太夫が、御目付衆として、どれほどのはたらきをしているものか、その評判はどうなのか……。 「そこまでは、まだ、しらべてはおらぬが……」  十太夫は四十がらみの、まだ血気|旺盛《おうせい》な巨漢で、家来たちの中にも武芸自慢の者たちが多いそうな。  その先祖は、初代将軍・徳川家康の父、松平|広忠《ひろただ》のころから忠勤をはげんだというだけに、数ある直参の中でも〔名門〕の家柄といえよう。 「ふ、ふふ……」  と、小兵衛が盃《さかずき》を口にふくみつつ、妙な笑い方をしたので、あまり酒をのまず、鱸の塩焼きに専念していた大治郎が、箸《はし》をとめ、 「どうなさいました?」 「いやなに、おもしろくなってきそうじゃ」 「どうなさるつもりですか?」 「さて……ちょいと、からかってやろうかとおもっている」 「永井十太夫を?」 「そうさ」 「ですが、まだ永井十太夫と決めこむのは、早いかとおもいます」 「なあに、剣術自慢の大男ときいたからには、きゃつめにちがいない。ま、わしの退屈しのぎにもなるが……そればかりではない」  きらりと、小兵衛の眼が光って、 「あのようなやつを見のがしておいては、これからも諸人が迷惑をする。いや、これまでにも永井十太夫め、先夜のごときまねをして、おのれが刃《やいば》に罪なき人びとの血を何度も吸わせているにちがいない。そうおもわぬか、どうだ」 「はい」 「これが市井《しせい》の無頼どもでもあることか、れっき[#「れっき」に傍点]とした旗本。しかも公儀高官の威勢を笠《かさ》に着て、ちから[#「ちから」に傍点]まかせの剣術を自慢にして、あのような非道をおこなうとは、もってのほかだ。ぜひにも懲《こ》らしめねばならぬ」  いつになく烈《はげ》しい小兵衛の語気に、秋|茄子《なすび》へ水|芥子《がらし》をあしらった味噌汁《みそしる》をはこんであらわれたおはるが、目をみはって、 「あれ、先生。何を怒っていなさる……」  というのへ、小兵衛が、むしろ、いらだたしげに、 「いつまでも先生はよせ。お前の強《た》ってののぞみ[#「のぞみ」に傍点]で盃事をしたからには、あなたとか旦那《だんな》さまとか、お前さんとか呼んだらどうだ。先生先生と呼ばれると、どうも、わしは老《ふ》けこんでしまいそうになるのじゃ」 「へえ……」  おはるが、盆を持ったままうつむいてしまったので、小兵衛が、いつも、 「野暮てんの骨頂」  と評しているせがれの大治郎が、さすがにこらえかねて、ぷっ[#「ぷっ」に傍点]とふき出した。  庭に、月があかるい。  虫が、鳴きしきっている。      三  それから、五日ほど後の夕暮れ近いころおいに、神田・昌平橋《しょうへいばし》の西方、淡路坂《あわじざか》の上にある太田姫|稲荷《いなり》の社《やしろ》の玉垣に沿った道を、永井十太夫の家来・内山弥五郎が歩いている。  秋雨が、霧のようにけむっていた。  あの夜、内山は、主人の十太夫が刀だめしの辻斬《つじぎ》りの供をして上野山内へ入りこみ、主人もろとも、秋山小兵衛の当身をくらって悶絶《もんぜつ》した三十男である。  右手は、神田川の上の堤。左は武家屋敷がたちならんでいる。  この日。内山弥五郎は非番で、本所の親類を訪問し、駿河台《するがだい》の主人の屋敷へ帰ろうとしていた。  傘をかたむけ、淡路坂をのぼって来た内山が、ひょい[#「ひょい」に傍点]と向うを見ると、鈴木|弾正《だんじょう》という旗本の屋敷の角からあらわれた町駕籠《まちかご》に、若い浪人ふうの男がつきそい、こちらへやって来るのが見えた。  内山は、別に、気にとめなかった。  町駕籠と浪人が、内山とすれちがおうとした。  と……。  駕籠のたれ[#「たれ」に傍点]がぱらりと開き、乗っていた老人が内山へ、 「おい、これ……」  と、声をかけた。秋山小兵衛である。 「……?」  見やって内山弥五郎、とっさに判断がつかなかった。 「わしじゃよ。先夜、上野山内で、お前さんの主人もろとも、わしが料理してやったのを、おぼえていような」 「あ……」  内山が、ぽっかりと口をあけ、わなわなと、ふるえ出した。 「おもい出したかえ」 「むう……」  そのとき、駕籠につきそっていた秋山大治郎が、物もいわずに内山のひ[#「ひ」に傍点]腹へ拳《こぶし》を突きこんだ。 「う……」  ぐったりと倒れかかる内山弥五郎を、大治郎が抱きとめたとき、早くも小兵衛は、駕籠から外へ出ている。 「それっ」  と、気をうしなった内山を駕籠の中へほうりこむや、 「急げ!!」  と、小兵衛が、なじみの駕籠かきへ声をかけた。  駕籠と大治郎が、淡路坂を昌平橋の方《かた》へ下って行ったあと、小兵衛はそこに立ちつくし、あたりの様子をうかがった。  だれひとり、目撃者がいないと見てから、小兵衛はゆっくりと、淡路坂を下って行った。  それから三日目のことであった。  あの夜。内山弥五郎と共に永井十太夫の辻斬りの供をして上野山内へ出かけ、秋山小兵衛にあしらわれたもう一人の家来・木村又平太が、主人・十太夫の使いで、田安御門外に屋敷をかまえる旗本・森清右衛門方へ使いに出ての帰るさ、今川小路の手前の俎板橋《まないたばし》をわたりかけると、 「おい、これ……」  橋のらんかん[#「らんかん」に傍点]にもたれていた小さな老人が声をかけてきた。 「なんだ、おれのことか」 「そうさ」 「なんの用だ」 「威張るなよ、これ……」 「な、なんだと」 「お前さんは、永井十太夫の家来だな」 「それが、どうした」 「先夜、上野山内で、主人《あるじ》の辻斬りの供をして、このわしに当身をくらい、ぶっ倒れたのう」 「な、な、なんだと……」 「もうひとり、お前の同僚で内山なにがしというやつが、行方知れずとなり、永井屋敷では大さわぎをしているのではないかえ。どうだ」 「く、くく……」 「青くなったのう」 「お、おのれは、何者……」 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》に住む秋山小兵衛という者じゃ。よくよく、お前の主人に、このことをつたえておけ」 「うぬ……」 「ぬけるか。その刀が、ぬけるかよ」  日中である。  往来の人びとが、二人の、ただごとでない様子を見て、立ちどまっている。  木村又平太は、小兵衛の眼力のすさまじさに圧倒され、いったんは刀の柄《つか》へ手をかけはしたものの、どうにもならず、なんともいえぬうめき声を発したかとおもうと、いっさんに橋をわたって逃げ去った。  この日の夕暮れに、隠宅へ帰って来た秋山小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]へこういった。 「さ、これから、関屋《せきや》村へ行こう」 「どうしてだよ、先生」 「すこしの間、実家《さと》へ帰っていなさい」 「なぜですよう」 「ここにいると、ちょいと物騒なことになるかも知れない。お前がいては、わしのはたらきのさまたげになるからな」 「また、何か、めんどうなことをしなすったのだね、先生」 「この腹の中の虫がさわいだのさ」 「まあ、いやな……」 「わしが送って行こう。そして今夜は、わしも関屋村へ泊るよ」 「ほんとう?」 「ほんとうだとも。ま、とにかく夕飯を食べてから、ゆっくりと出かけよう。それほどの間には何事もあるまいよ」 「ねえ、ねえ……」 「何だえ?」 「気をつけて下さいよう、ほんとうに……」 「いいとも、いいとも」      四  秋山小兵衛は、その夜、おはる[#「おはる」に傍点]と共に関屋村へ泊った。  翌朝おそくなってから、小兵衛がひとり、鐘ヶ淵の家へもどって来ると、堤の上に、見たこともない二人の男が立ってい、小兵衛が近づくのを見るや、急に、身をひるがえし、堤下の木立へ消えた。  その二人、浪人のようにも見えたが、身なりも小ぎれいで、髪のかたちから見て、 (剣術つかいのような……)  とも、おもえた。 (ふうむ……早くも、手をまわしにかかったようじゃな)  小兵衛は、苦笑をもらした。 (あの二人、斬《き》りつけてくるかな……)  見かえりもせず、ゆっくりと我が家へ入って行ったが、追いかけて来る気配はなかった。  いずれにせよ……。  昨日。俎板橋《まないたばし》の上で、小兵衛に声をかけられた木村又平太は、永井屋敷へ駆けもどり、主人の永井十太夫へ、これを報告したに相違ない。  となれば、行方不明となった内山弥五郎の安否の鍵《かぎ》も、小兵衛がにぎっていることを知ったであろう。  しかも小兵衛は、堂々と、 「鐘ヶ淵のあたりに住む秋山小兵衛」  と、名乗りをあげたのだ。  こうなれば永井十太夫も、だまってはいられぬ。  第一に、幕臣の手本ともなるべき御役目についていながら、ひそかに夜の闇《やみ》へまぎれ、無辜《むこ》の市民を辻斬《つじぎ》りにしていたことが公《おおやけ》になったら、これは、 「ただごとではすまぬ」  ことになる。  将軍にも幕府にも傷がついてしまうし、十太夫自身も御役目をとりあげられるばかりではなく、同僚の目付衆の取調べをうけるのだから、これはたまったものではない。  当然、 「切腹おおせつけらる」  ということになろう。  十太夫にしてみれば、何とか事を未然にふせがねばならぬ。  そのためには、唯一《ゆいいつ》の生証人である秋山小兵衛を、 「始末してしまわねばならぬ」  のである。  それも、できるだけ早いうち[#「早いうち」に傍点]に、だ。  いま、堤の上にいた男たちは、小兵衛の家を下見に来たのやも知れぬ。  小さな、見るからにたよりなげな老人にすぎぬ秋山小兵衛の、端倪《たんげい》すべからざる手練《しゅれん》を十二分に味わった永井十太夫としては、 (一日も早く、あの老いぼれを始末してしまわねばならぬが……では、どのような手段をもってしたらよいか?)  おもいなやんでいるにちがいなかった。  あの男たちが永井十太夫の意をふくみ、ここへ偵察にあらわれたのなら、これは十太夫に、 (雇われた剣客どもか……)  と、小兵衛は考えた。 (ともあれ、いよいよ、ゆだん[#「ゆだん」に傍点]のならぬことになったわい)  久しぶりで、血がおどってくる。 (刺客どもは、先《ま》ず、この家へ斬りこんで来ようが……それは今夜か、明日の夜か……)  であった。  やがて、昼餉《ひるげ》の仕度にかかろうと、小兵衛が腰をあげたとき、大治郎がやって来た。 「父上。その後、いかが相なりましたか?」 「ま、あがれ」  父が語るのをきき終えた大治郎は、さして昂奮《こうふん》するでもなく、 「私、今夜から、ここへ泊めていただきましょう」  と、いった。 「そうじゃな……」  小兵衛は、しばらく黙考したのちに、 「それもいいだろう」  と、こたえた。 「お前の手なみを、見せてもらおうか」 「おそらく、四人五人の人数ではありますまい」 「ふむ」 「相手は、父上の手なみを、じゅうぶんにわきまえております」 「この小さなあばら[#「あばら」に傍点]家《や》を押し包むほどに押しかけて来るかな」 「あたりに人家はありませぬし、やりかねないとおもいます」 「そうなると、おもしろい」  小兵衛は立って行き、奥の戸棚から一振《ひとふり》の刀を持ち出して来た。  これは、いつも腰に帯びている堀川|国弘《くにひろ》一尺四寸余の脇差《わきざし》ではない。  摂津《せっつ》の住人・河内守《かわちのかみ》藤原国助二尺三寸一分の大刀であった。  この刀は、小兵衛の亡師・辻平右衛門が江戸を去るにあたって、 「形見じゃ」  と、小兵衛にあたえたものである。  すらりと抜きはなって小兵衛が、地鉄《じがね》の小板目のつみ[#「つみ」に傍点]も美しい刀身をうっとりとながめ、 「久しぶりに、これ[#「これ」に傍点]をつかってみるかな」  無気味なつぶやきを、もらしたのである。  だが……。  数年ぶりに父子《おやこ》ふたりが枕《まくら》をならべて寝《しん》についたこの夜、刺客の襲撃はなかった。      五  翌朝の五ツ(午前八時)ごろであったろうか……。  大治郎がこしらえた朝餉《あさげ》をすましたところへ、 「ごめん、ごめん。秋山小兵衛殿は御在宅か?」  土間の戸口で、野太《のぶと》い声がきこえた。  大治郎へ目くばせをした小兵衛が、事もなげに、 「庭先へまわっておいで」  と、いった。  声の主が、ぬっ[#「ぬっ」に傍点]と縁側の向うへ姿を見せた。まぎれもなく剣客の風体で、筋骨たくましい堂々たる体格をしている。腰の大刀も長かった。もみあげにたくわえた毛が濃く、一文字に引きむすんだ口。炯々《けいけい》たる両眼。  見るからに強そうな男で、そのうしろから二人、これも剣術つかいらしい男が、肩を怒らせてあらわれた。 「豪傑どの。何用かな?」 「秋山小兵衛殿か」 「さよう」 「拙者《せっしゃ》、中《なか》ノ郷《ごう》・横川町に直心影流の道場をかまえる市口《いちぐち》孫七郎と申す」 「うけたまわった。して、御用とは?」 「永井十太夫様の使者として、参上いたした」 「ほう……」 「これを、先《ま》ず……」  いいさして市口孫七郎が、門人と見える二人の男をかえりみると、そのうちの一人が、手に抱え持っていた包みを縁側へ置き、包みをひらいた。  大きな桐《きり》の菓子箱が出て来た。  麹町《こうじまち》平河町二丁目の菓子舗・桔梗屋《ききょうや》の将棋落雁《しょうぎらくがん》をつめた箱のふた[#「ふた」に傍点]を、小兵衛がはねあげ、中の菓子を指でほじり出すと、上側のみが菓子で、中味は一両小判がびっしりとつまっているではないか。 「ふむ。これを、永井十太夫さんが、わしにくれるというのだね」 「いかにも」 「もらったら、どうする?」 「永井様家来、内山弥五郎を引きわたしてもらいたい」 「たしかに、内山という男は、わしがあずかっているがね」 「どこにいる?」 「いえぬな」  市口が、物凄《ものすご》い目つきで、小兵衛をにらんだ。  大治郎は、うつむいて眼を伏せ、おとなしくしている。市口の眼には、それがたよりなく映った。  小兵衛がにやりとして、 「内山を引きわたし、このわしが、金と引きかえに目をつぶり、口を噤《つぐ》めばよいというわけだな」 「その通り」 「いやだね」  小兵衛が、こたえた転瞬……。 「たあっ!!」  裂帛《れっぱく》の気合声を発した市口孫七郎が、飛鳥のごとく縁側から座敷へ躍りこみ、腰間《ようかん》の大刀ぬく手も見せずに小兵衛のくび[#「くび」に傍点]を薙《な》ぎはらった。  その、すさまじい刃風を頭上にながし、小兵衛が鵯《ひよどり》のように逃げた。  その背中へ、 「ぬ!!」  二の太刀を浴びせかけた市口の面上へ、横合いから大治郎が煮えたぎった味噌汁《みそしる》の鍋《なべ》を叩《たた》きつけたものである。  ひっそりと、たよりなげにうつむいていた大治郎へ、ほとんど神経をつかわなかった市口孫七郎だけに、間《かん》、髪《はつ》を容《い》れぬこの奇襲をうけて、 「ああっ……」  さすがに、まともに顔へはうけなかったけれども、熱い味噌汁が市口の顔から胸へかけて飛び散った。  あわてて庭先へ飛び退《しさ》った市口孫七郎の面上へ、 「それっ」  小兵衛が、逃げながら掴《つか》み取った行燈《あんどん》の油差しを投げつけた。  銅製の油差しは、みごとに市口のあたまを強打し、 「う……」  市口は、よろめきつつも身をひるがえし、逃げ去った。  つづいて逃げにかかる市口の門人たちへ、 「ほれ。忘れものだ」  小兵衛が手早く、くだん[#「くだん」に傍点]の菓子箱を風呂敷《ふろしき》へ包み、投げてやった。  門人の一人がこれを拾いあげ、這《ほ》う這《ほ》うの体《てい》で逃げて行った。  見送って秋山小兵衛が、 「大治郎。あの市口孫七郎とかいうやつ。かなりつかうな」 「はい」 「ふ……ちょいと、おどろいたよ」 「さて、これから、相手がどう出ましょうか?」 「見もの[#「見もの」に傍点]だなあ」  庭の南天《なんてん》の、ふさふさとたれた赤い実に、秋の陽が光っている。  どこかで、しきりに頬白《ほおじろ》が鳴いていた。      六  その翌々日の朝であった。  あれから泊りこんでいる大治郎が、庭を掃いていると、石井戸のうしろから、見おぼえのある顔がのぞいた。  市口孫七郎の供をして来た門人のひとりだ。 「何用か?」  大治郎に、声をかけられ、門人がおずおずと、一通の書状をさし出し、 「こ、これを……」  大治郎が近寄って受け取ると、 「秋山、小兵衛殿へ、わたして下され」 「返事は?」 「い、いただきたい」 「では、待っていなさい」  書状は、市口孫七郎からのものであった。  ちょうど、厠《かわや》から出て来た小兵衛へ、書状をわたすと、一読して、 「果し状じゃ。承知したとつたえろ」  と、小兵衛がいった。 「はい」  外へ出て大治郎が、 「承知したと、つたえなさい」 「は。では、これにて……」  門人が、あたふたと駆け去った。  市口孫七郎の果し状は、およそ、つぎのようなものである。 「今日、七ツ(午後四時)刻《どき》に、本所中ノ郷・横川町の自分の道場へまいられたい。余人をまじえずに、勝負を決したい。勝負は真剣のこと」  よほどに市口は、くやしかったらしい。  それに、おそらくは大金をつまれて永井十太夫からたのまれた〔小兵衛殺し〕を、なんとしてもやってのけねばならぬ立場にあるのだろう。 「余人をまじえず、は、よかったな」  小兵衛が、わたしてよこした果し状を読んで、大治郎が、 「父上。私がお供をしてよろしいでしょうか?」 「いいとも」  すこしもこだわらぬ小兵衛であった。  中ノ郷・横川町は、法恩寺《ほうおんじ》対岸の、横川のながれに沿った西河岸になっている。  このあたり、古くは武州《ぶしゅう》・葛飾郡《かつしかごおり》・中ノ郷村とよばれていたが、貞享《じょうきょう》年間に、幕府が江戸市中の内として、代地をあたえたものである。  むかしは、いちめんの田畑だったそうであるが、地所が低いために出水が多く、このため横川べりに土手を築き、瓦《かわら》焼きの職人たちの家や瓦置場が密集していた。  市口孫七郎の道場は、北|割下水《わりげすい》と横川が合する角地にあり、塀をめぐらしたかまえも、なかなかどうして相当なものだ。  これは、永井十太夫の庇護《ひご》がなみなみのものでないことをものがたっているし、永井の家来たちの大半は、市口道場の門人であったことが、のちにわかった。  さて……。  秋山小兵衛・大治郎父子は、約束の時刻のすこし前に、法恩寺まで行き、門前の茶店で足を休めてから、 「そろそろ、行こうかね」 「はい」  うちそろって、横川にかかる法恩寺橋をわたり、市口道場へ向った。  市口道場の西側は、幅二|間《けん》の道路で、南側は二百坪ほどの空地になっていた。  そして北面は北割下水。東面は土手を背にして横川がながれている。  門を入ると、正面が玄関がまえで、その前に、今朝、市口の果し状を持って来た若い門人が、顔面|蒼白《そうはく》となって立っていた。  玄関の扉《と》は、閉ざされている。  ほかに、人の気配もない。  道場の内外は、しずまり返っていた。 「お出迎え、御苦労」  小兵衛に声をかけられ、門人がぴくり[#「ぴくり」に傍点]と体をふるわせ、 「こ、こちらから、道場へ……」  先に立ち、左手の内塀にもうけてある小さな門へ入って行った。  秋山父子が、その後からつづく。  この日の小兵衛はめずらしく、国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》のほかに、藤原国助の大刀を腰に横たえている。  殺風景な庭に面して、わら[#「わら」に傍点]屋根の大きな道場がある。  道場の戸も、すべて閉ざされていたが、右傍《みぎわき》に、板戸一枚ほどの出入口が、ぽっかりと口を開けているではないか……。 「ここから入るのかえ?」 「さよう。な、中に、市口先生が、お待ちかねでござる」  いうや、その門人が蒼惶《そうこう》として何処《いずこ》かへ去った。  秋山父子は、顔を見合わした。  あたりは、あくまでも、しずまり返っていた。 「父上……」 「む?」 「私が、先《ま》ず、入ってみましょう」 「そうか……」 「いけませぬか?」  ちょっと考えてから小兵衛が、厳《おごそ》かにいった。 「よかろう。何事も、修行じゃ」 「はい」 「行け」 「は……」  たもとから出した革紐《かわひも》を、大治郎が襷《たすき》にまわし、大刀の鯉口《こいぐち》を切った。それが一瞬の動作に見えた。  黒く口を開けている出入口から、秋山大治郎が、するりと道場へふみこんだ。  ふみこんだとたん、足をすべらせて仰向《あおむ》けに倒れた。  道場の床板《ゆかいた》いちめんに、なんと、油がながしてあったのだ。 「わあっ……」  鳴りをしずめていたうす[#「うす」に傍点]暗い道場内に、十余人の喚声が、いっせいにわき起った。  倒れた大治郎を、小兵衛とおもったのか……。  市口孫七郎はじめ、門人十余人が大治郎へ殺到したとき、倒れながら早くもぬきはらった大治郎の大刀が、門人二人の足を切り払っていた。  同時に……。  秋山小兵衛は、藤原国助の大刀を引きぬきざま、道場の戸を蹴破《けやぶ》って、中へ飛びこんでいた。 「うわ……」 「ぎゃあっ……」  門人たちの絶叫と悲鳴と、血飛沫《ちしぶき》とに、道場内がぬりつぶされた。  初太刀を仕損じたとなれば、いちめんに油をながした道場の床板は、市口一門の奴輩《やつばら》にとっても、不利となるは必定《ひつじょう》であった。  秋山大治郎は、油のながれた床板へ、すわりこんだまま、門人たちを切りはらった。  秋山小兵衛は、一度も足をすべらすことなく、ひょいひょいと飛びまわりつつ、大刀をふるった。  だれが、どうして、どのように斬《き》り殪《たお》されたか、よくはわからぬ。  市口孫七郎も、小兵衛の一刀を浴びて即死した。 「父上……」 「ようやった」  眼と眼を見合せて刀身をぬぐい、鞘《さや》におさめた秋山父子が戸外《おもて》へ出たとき、道場内の死体は十四を数えた。      ○  御目付衆・永井十太夫が、幕府から切腹をいいわたされたのは、それから半月ほど後のことである。  なんといっても、秋山小兵衛が、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》にたのんで監禁させておいた十太夫の家来・内山弥五郎が、すべてを白状したことによって、永井十太夫の罪状は明白となったのである。  加えて秋山小兵衛には、いまを時めく老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》がついている。  永井十太夫の、苦しい弁明も、まったく効果がなかった。     老虎《ろうこ》      一  その日。  秋山大治郎が大川《おおかわ》(隅田川)をわたり、父・小兵衛の隠宅をおとずれたとき、四ツ(午前十時)をまわっていたろう。  真崎稲荷《まさきいなり》裏の、大治郎の道場には依然として入門を乞《こ》う者があらわれなかった。  いや一人、いる。  女武芸者・佐々木|三冬《みふゆ》が大治郎へあずけた飯田|粂太郎《くめたろう》少年は、このごろ、道場へ泊りこみのかたちになってしまったようだ。  つまりはそれほど、粂太郎は大治郎へ師事することに、よろこびを感じているわけだろうし、大治郎もまた熱心に少年を教えている。  田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》は、自分を毒殺せんとした旧家来・飯田平助の遺子である粂太郎に目をかけ、 (行末は召し抱えよう)  との考えで、それだけに、むすめの三冬から大治郎が粂太郎をあずかってくれたことをきくと、 「何よりのことじゃ」  毎月、金一両を大治郎へ、 〔御礼〕  として、とどけさせることにした。 「いかがいたしましょうか?」  大治郎が小兵衛に問うや、 「いかがも糸瓜《へちま》もない。いただいておけ。これがお前の剣術商売の第一歩ではないか」 「はい。では、そういたします」 「なるほどなあ……」  と、小兵衛が感服の体《てい》で、 「月に一両というのが、まことによいな」 「は……?」 「いやさ、田沼さまは苦労人だということさ。少なからず多からず、お前がいただく金高として、まことに適当といわねばなるまい」 「私には、多すぎます」 「ふふん……だからというて、いまを時めく御老中《ごろうじゅう》が一分《いちぶ》や二分を包むわけにも行くまい。あは、はは……」  さて……。  父の隠宅へ来てみると、小兵衛もおはる[#「おはる」に傍点]もいなかった。  どこの戸も閉ざされてい、庭に面した雨戸へ〔他行《たぎょう》中〕としるされた木札が掛けられてあった。  軒下に、洗ったばかりの大根がずらりと吊《つ》り下げられてあった。  今朝早く、白くふとやかな大根を洗っているおはるに、小兵衛が、 「ほう……お前がお前の足[#「お前の足」に傍点]を洗っているようだのう」  と声をかけ、 「先生のばか」  おはるから、ひどく叱《しか》られたものだ。  この大根は、小兵衛の大好きな沢庵漬《たくあんづけ》にするのである。  けれども大治郎が、白い干大根を見ても何の連想をよぶわけではなく、ここへ来たのも別に急用あってのことではない。この四、五日、道場へ顔を見せぬ父へ、きげんうかがい[#「きげんうかがい」に傍点]に出たまでだから、不在と知ってすぐさま、堤の道へ引き返した。  ところで……。  この日、このとき、秋山大治郎が父の家を訪れなかったら、彼は久しく会わぬなつかしい人に、おもいがけなく出合うこともなかったろうし、ひいては、その人にかかわる事件に巻きこまれることもなかったろう。  人びとの、日常における何気もない行動にも、その人びとの人生にぬきさしならぬ意味がふくまれ、波瀾《はらん》もひそんでいるのだ。  大治郎は、橋場への渡舟《わたし》には乗らず、大川沿いの道を散歩がてらに南へ下り、大川橋のたもとへさしかかった。  この橋は四年前に架《か》けられたばかりで、俗に吾妻橋《あずまばし》ともよばれている。  冬は、すぐ傍にまで忍び寄って来ていた。  昨夜などは、まるで凩《こがらし》のような強い風が吹き、道場をかこむ木立の葉が一度に叩《たた》き落されてしまった。  しかし今日は、風も絶えた暖かい日和《ひより》で、雲ひとつない青空が深く深く澄みわたっている。  橋上の人通りも多い。  大川橋の東詰から橋をわたる秋山大治郎が、行き交う人びとの中から、なつかしい人の顔を見出《みいだ》したのは、このときであった。 「あっ……」  おもわず駆け寄り、 「山本先生」  その人の腕を、つかんだ。 「や……?」  ぽかん[#「ぽかん」に傍点]と口をあけて大治郎を見たその人は、六十がらみの老人で、白髪の髷《まげ》も小さく細く、しかし、いかにも剣客らしいがっしりとした体格に洗いざらしの木綿の着物・袴《はかま》をつけ、腰には武骨な拵《こしら》えの大小を帯し、素足に草鞋《わらじ》ばき。肩に小荷物を背負い、笠《かさ》もかぶらぬ旅姿であった。  いかにも、 〔田舎剣客〕  そのものの風体《ふうてい》だと、江戸の剣客たちは笑うやも知れぬが、この老剣客・山本|孫介《まごすけ》の手練《しゅれん》のほどは、大治郎がよくよく見とどけている。  山本孫介は、信州・小諸《こもろ》の城下外れに、見すぼらしい道場をかまえ、大治郎が諸国をまわって修行にはげんでいたころ、山本道場へ立ち寄り、二ヵ月も滞在し、いろいろと教えをうけたのであった。 「こ、これは秋山さん……」  孫介もおどろき、 「江戸へ帰っておられたかい」 「はい。その後、無音《ぶいん》のままにて、申しわけもありませぬ。おゆるし下さい」 「なんの、なんの……」  手を振り振り、大治郎を見やった孫介が、 「ふうむ……立派になられたのう」  そういわれて身をすくめつつ、 「ときに先生。江戸へは何の……?」 「それがさ」 「は……?」 「この夏に、江戸見物へ出たせがれ[#「せがれ」に傍点]めが、まだ帰って来んので、心配になり、探しに出て来たのよ」 「源太郎どのが?」 「はぁい。秋にな、せがれめの母親……つまり、わしの女房どのの七回忌があってのう。何事があったにせよ、そのときまでにもどらぬというは……いささか、気がかりでな」 「さようでしたか」 「せがれめは、何事につけ手荒き男だから、尚更《なおさら》に、な」  山本孫介は幅のひろい肩をすくめ、ふとい鼻すじを指で掻《か》き掻き、独りしきりにうなずいている。      二  間もなく……。  秋山大治郎は、山本孫介をともない、金竜山《きんりゅうざん》・浅草寺《せんそうじ》(浅草観世音)の境内へ入り、奥山にある亀玉庵《きぎょくあん》という蕎麦《そば》屋へ案内をした。  浅草寺の本堂前へぬかずき、一心に祈っている孫介老人を見て、 (親というものは……)  つくづく、ありがたいものだと、大治郎はおもった。  数年前、大治郎が小諸《こもろ》の道場に滞留していたころ、孫介は、わが子の源太郎に対して寸分の容赦もなく、きびしい修行を強い、源太郎の体には生傷《なまきず》の絶え間がなかった。  なにしろ、山本孫介の四天流《してんりゅう》というのは、戦国のころの実戦さながらの術技を重んじた流儀で、剣術を主体に組打ち、居合いから馬術までふくめられたもので、流祖は九州の成田清兵衛高重という人物だそうだが、いまどき、このように猛烈な剣術をまなぶものは、あまりいない。  山本孫介は、小諸在の郷士の家に生まれ、若くして一刀流をまなび、諸国を遍歴するうち、豊前《ぶぜん》・小倉《こくら》城下に道場をかまえていた四天流の星野権七郎とめぐり合い、たちまちに星野へ傾倒し、小倉にとどまること十五年におよんだとか……。  大治郎が孫介の道場へとどまっているとき、十名ほどの門人のうち、武士はひとりもいなかった。  門人たちはいずれも、農家の頑健な子弟たちであって、小諸藩士などは見向きもせぬ。 「ふふん……」  と、山本孫介は鼻で笑い、 「いまどきのさむらいどもに、四天流の修行ができるかよ」  こういっていた。  なるほど、すさまじい。  わら[#「わら」に傍点]屋根の粗末な道場の内においてばかりでなく、近辺の山野を利用し、夜も昼もちからずくの力闘を強いるのである。四尺もある太い鉄棒(鉄杖剣《てつじょうけん》と称する)をふりまわし、叩《たた》き合い、なぐり合い、組み合ってころげまわり、走り、飛ぶ。なんともはや、よほどの体力と気力のもちぬしでなくては、とてもつとまらぬ修行なのだ。  大治郎も孫介父子と立ち合ったのだが、いかに大治郎が木刀をもって叩き伏せても、そのようなことは物ともせぬ。負けたともおもっていないらしい。たちまちに組みついて来て、そうなると今度は、大治郎が嫌というほどに投げ飛ばされ、叩きつけられるという……後に、そのことをきいた秋山小兵衛が、 「なある……そんなのは、わしもはじめてじゃ。一度、見たいな」  と、いった。  孫介は、源太郎の前に、男女ひとりずつをもうけたが早世されてしまい、いまは源太郎が、ただ一人の息子である。  源太郎のちから[#「ちから」に傍点]というものが、また物凄《ものすご》い。平常は淳朴《じゅんぼく》な若者で、無口ながらいつもにこにこと笑顔を絶やさず、父をたすけて畑仕事もするし、亡母のかわりに飯も炊《た》くし、汁も煮る。  しかし、大治郎が二ヵ月の滞留中、源太郎と口をきいたのは十の指で数え得るほどだ。  あるとき……。  庭の柿《かき》の木の葉の茂りが、わら[#「わら」に傍点]屋根の上へ押しかぶさって来たのを見て、孫介が、 「あの柿の木が、邪魔になったのう」  そうつぶやくのをきくや、源太郎がのそりと庭へ出て行き、柿の木へ抱きついた。  何しろ樹齢四十年。幹は屋根を越え、枝葉は屋根をおおっているほどの木を、 「やあ、おう!!」  気合声を発して、源太郎がゆさぶりたてると、たちまちに柿の木がぐらぐらとかたむきはじめ、ついに根もとが土を割ってあらわれた。  こうして、無造作に引きぬいた柿の木を肩へ担《かつ》ぎ、彼方《かなた》へ去って行く源太郎の後姿を、さすがの大治郎もあきれ果てて見送ったものである。  この夏に、源太郎が、 「父《てて》よ。わし、江戸見物に行きたい」  といい出したのは、言外に、江戸にある諸流の道場を歴訪し、わが腕を、 (ためしてみたい)  と、考えているにちがいないことを、父の孫介は看取《かんしゅ》した。  はじめ孫介は、賛成をしなかった。  江戸の剣術道場なぞ、胸の底で歯牙《しが》にもかけぬ孫介老人であったけれども、箱根山中で熊《くま》や鹿《しか》と共に育った金太郎同然のわが子を、ひとりで出してやるにしては、江戸という大都会が、 (まことにもって、ゆだん[#「ゆだん」に傍点]がならぬ)  ことを、かつて江戸に暮した孫介は、よくわきまえている。  で、いったんは「やめろ」といったが、源太郎はきくものではない。そこで「それなら、わしも一緒に行こう」と、孫介がいうと、源太郎は、 「いや、ひとりで行く。わしも二十四歳。小諸からわずか四十里ほどの江戸へ行くのに、父は子供あつかいにするのか。そんなことで剣術の修行ができるものか」  そういわれてみると、いかにもそのとおりなので、孫介に反対する理由がなくなってしまう。自分が若き日に諸国を遍歴した自慢ばなしを何度もくり返してきているだけに、尚更《なおさら》であった。 「では、江戸見物だけじゃぞ。諸方の道場へ出かけて試合《しお》うてはならぬ。わしやお前の流儀は、とうてい江戸のなまくら[#「なまくら」に傍点]剣客どもにはわからぬものとおもえ。じゃから暴れてはならぬ。よいか、よいな」  くどいほどに念を押すと、源太郎は即座に「わかった」と、こたえたのである。  そして、孫介からもらったわずかな金をふところに、山本源太郎は父親ゆずりの巨体をのっしのっし[#「のっしのっし」に傍点]と江戸へ運んで行った。  そのとき、孫介がわたした金高からいっても、一ヵ月の滞在がよいところで、しかも秋の亡母の七回忌に、孝心ふかかった源太郎が帰って来ぬはずはない。  はじめのうちは、 (やはり源太め、道場荒しをやってのけているにちがいない)  苦笑していた山本孫介も、急に、心配となり、 「こうして出てまいったのじゃよ」  と、秋山大治郎に語った。  いま、二人がいる奥山の蕎麦屋・亀玉庵は、父の小兵衛に二度ほどつれて来られたことがあって、このひろい江戸で、大治郎が外で物を食べる店といえば、ここだけしかない。  好晴の浅草寺境内は、参詣《さんけい》の人びとの群れにみちあふれているが、亀玉庵の奥座敷は実にしずかで、西にひろがる浅草|田圃《たんぼ》の上を一羽の鳶《とび》が悠々と舞っているのが見えた。  ふだんは、入れこみ[#「入れこみ」に傍点]で他の客たちと共に蕎麦を食べる大治郎なのだが、今日は山本孫介のはなしをきくためもあり、席料をとられるのを承知で奥座敷へあがったのだ。  大治郎は、孫介老人のために酒もとってあげた。 「では、そろそろ、行ってみようわい」  と、孫介がいった。  本所の四ツ目に、長明寺《ちょうめいじ》という小さな寺があり、そこの和尚《おしょう》が、孫介と同郷の人で、いまも交際《まじわり》が絶えぬ。  で……。  山本源太郎は、父・孫介の手紙をたずさえ、江戸へ来てから長明寺をおとずれ、しばらくは滞在していたらしい。和尚からも源太郎からも、そのことを裏づける手紙が来ているそうな。  その後、音沙汰《おとさた》なしとなったので、孫介が長明寺へ手紙で問い合せてやると、和尚から、 「源太どのは、当寺に一ヵ月余を滞在していたが、故郷《くに》へ帰るといって、八月の中ごろに出て行った。まだ帰郷せぬというのは妙なことだが、若い者のことゆえ、あまり案じなさるな」  という、のん気[#「のん気」に傍点]な返事が来たそうである。  いずれにせよ、 「江戸へ来たからには、長明寺をたずね、和尚に、源太郎のことを、いろいろと問うてみねばならぬ」  そこで、今朝早く、板橋の旅籠《はたご》を発して江戸へ入った山本孫介が、その足で、本所の長明寺へ向う途中、大治郎と出合ったことになる。 「それでは、私も同道いたしましょう」  大治郎がいうと、 「いや、おかまいなく。わし一人でまいる」 「では明朝、私のほうから長明寺へ出向きましても、かまいませぬか?」 「それは、かまわぬが……」 「父も、ぜひ、山本先生にお目にかかりたいと申しておりますし、私の道場にもお泊りいただきたい」 「ありがとう、ありがとう」 「私も、源太郎どのをさがす手つだいをいたしたい。父も顔がひろいことですし……」 「さようか、それは何より、こころ強い」  孫介老人は、さもうれしげに何度もうなずき、 「よろしゅう、たのむ」  両手をつき、白髪あたまをたれた姿に、父親の愛情がにじみ出ていた。  やがて、山本孫介が長明寺へ向うのを見送り、大治郎は自分の道場へ帰った。  飯田粂太郎少年がひとり、道場で白刃をぬきはらい、抜刀術の稽古《けいこ》をしていた。  食事の世話をしている近所の百姓の女房・おこう[#「おこう」に傍点]がととのえた夕飯をすませてから、大治郎が、粂太郎に、 「いま一度、父の家へ行って来る。先刻、お前にはなした山本孫介先生のことでな。父も、もはや帰っていよう」  立ちかけた折も折、 「ごめん。秋山大治郎殿のお住居《すまい》はこちらか?」  おとなう声が、きこえたではないか。 「あ……山本先生だ」  飛び立つように、大治郎が出て行き、山本孫介を迎え入れた。  孫介は、長明寺で旅装を解いて来たので、衣類は変らぬが、脚絆《きゃはん》も草鞋《わらじ》もつけていない。  すでに、唖《おし》の百姓の女房・おこうは家へ帰っている。 「先生。どうなさいました?」  黙念と、そこへすわりこんだ孫介老に、大治郎は異常を感じた。 「先生……?」 「どうも、な……」  わずかにかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って、孫介が、 「後をつけられていたらしい」 「え……?」 「先刻、おぬしと別れ、大川橋をわたり終えたころから、わしの後をつけて来る者がいてな」 「どのような……?」 「しか[#「しか」に傍点]とはわからぬが……編笠《あみがさ》をかぶっていて、侍らしかった。ちら[#「ちら」に傍点]と見えたわい」 「まことのことですか?」 「うむ……そしていまも、長明寺から此処《ここ》へ来るまでの間、やはり、だれかが、わしの後をつけて来たような気がしてならぬのじゃ」      三  あれから、長明寺へおもむいた山本孫介が、和尚《おしょう》からききとったところによれば、 「やはり源太郎め。江戸の、諸方の道場を経巡《へめぐ》り歩いていたらしい」  と、いうことだ。  長明寺の和尚は、源太郎が何処の道場へ出かけて、どのような暴れ方をしていたものか、いちいちは知らぬが、なんでも外出《そとで》をするときは三尺余の木刀を持ち(小諸《こもろ》を出て行くときは木刀を持っていなかった)早朝に寺を出て、日暮れまでにはもどって来たそうだが、そうしたときは上きげんで、無口な源太郎が夕飯の給仕に出た小坊主《こぼうず》に、 「江戸の剣術つかいなどは、屁玉《へだま》のようなものだよ」  胸を張って、おもわず、たまりかねたようにもらしたことが、数度あったというのだ。  だが、その後で小坊主に、 「おれが、こんなことをいうていたと和尚さまの耳へ入れてはいかんぞ。故郷の父に知れたら、大変だからな」  と、念を入れたらしい。  源太郎は、諸方の道場へ出かけて行き、連戦連勝の成果をあげていたと見てよい。  そして、もう一つ。  それは、旅仕度をした源太郎が「故郷へ帰る」といいおいて、長明寺を去った日の前日のことだそうだが……。  夜に入って、長明寺へ、 「拙者は、桜井勘蔵と申すが、山本源太郎殿へお取次ねがいたい」  と、あらわれた侍がいる。  三十七、八歳に見え、たくましい体つきで、小鼻の傍《わき》にそら豆[#「そら豆」に傍点]ほどの大きな黒子《ほくろ》があったのを、小坊主はよくおぼえていた。  身なりもととのってい、夏羽織に袴《はかま》をつけ、とても浪人には見えぬ。  源太郎は、それ[#「それ」に傍点]ときいて、にやりと笑い、 「よし。ここへ通して下され」  と、小坊主にいった。  源太郎が泊っていた部屋は庫裡《くり》の外れの、わたり廊下でつないである茶室めいた部屋で、件《くだん》の侍は小坊主に案内をされ、庭づたいにそこへ入った。  約|一刻《いっとき》(二時間)も、二人が、そこで何を語り合っていたかはだれも知らぬが、一度だけ、小坊主が茶菓をはこんで行くと、立派な身なりの侍が両手に袴をつかみ、何やら青ざめ、上目づかいに源太郎をにらんでいる体《てい》が、 「何やら、無気味でござりました」  と、小坊主が山本孫介にいった。  それにひきかえ、源太郎は大あぐらをかき、はだけた胸肌を平手《ひらて》でぴしゃぴしゃ[#「ぴしゃぴしゃ」に傍点]と叩《たた》きつつ、愉快げに笑っていたという。 「どうも、腑《ふ》に落ちぬことばかりで……」  孫介老人が、大治郎に、 「どうも、その、桜井なにがしという侍が、妙な……」 「と、申されますと?」 「もしや、佐倉勝蔵ではないかと……」 「御存知の人なのですか?」 「鼻の、大きな黒子というのが、どうもそれ[#「それ」に傍点]らしい。もしも佐倉なら、この江戸で源太めと会《お》うているのは、すこしもふしぎでないのじゃ。なぜというに、勝蔵は、小諸藩中の佐倉勘右衛門殿の子息で、一刀流をまなび、以前、小諸城下にいたとき、わしの道場へもよく見えたものでな。それが、四、五年前に家をつぎ、間もなく江戸屋敷詰となり、こちらへ来ておる。源太郎が勝蔵をたずねたとしても、ふしぎはない」 「桜井勘蔵と、佐倉勝蔵……偽名を名乗ったとして……どこか似ておりますな」 「さようさ。しかも、小坊主の申すことをきくと、二人の間には、どうも只ならぬこと[#「只ならぬこと」に傍点]があったように、おもわれてならぬのじゃよ、大治郎殿」  山本孫介は、どうにも不安になってきて、 「落ちついていられなくなり、こうして、おぬしのところへやって来たのじゃ。大治郎殿。わしはな、牧野侯の江戸屋敷へ行き、佐倉勝蔵殿に会うてみようとおもうが、どうじゃろ?」  信州・小諸一万五千石、牧野|遠江守康満《とおとうみのかみやすみつ》の江戸藩邸は、神田・水道橋外にあって、佐倉勝蔵は藩邸内の長屋に住んでいるはずだ。 「それがよいとはおもいますが……」  大治郎は、しばらく考えたのちに、 「山本先生。これは、とりあえず私の父・小兵衛へわけ[#「わけ」に傍点]をはなし、知恵を借りたほうがよいかとおもいます」  孫介老人は、素直に、 「おまかせする」 「では、今夜のうちに……」  すぐさま、大治郎は身仕度にかかった。 「粂太郎。お前は山本先生を御案内し、橋場《はしば》の船宿・大崎屋から舟を出すよう手筈《てはず》をたのむ。船宿へは私の名をいうより、父の名をいったほうがよい」 「はい」 「山本先生。私は、すこし後から出ます」 「なるほど……」  わけを語らずとも、孫介老人はさすがに、大治郎の意図を察したようであった。  山本孫介を案内する飯田粂太郎の手の提灯《ちょうちん》のあかりが、木立をぬけ、細道へかかるのを見すまし、大治郎はわざと裏口から出て、石井戸のうしろをまわり、木立をぬって音もなくすすんだ。  と……そのときである。  道場の向う側の木立から、二つの黒い影が走り出て、孫介と粂太郎の後をつけて行くのを、闇《やみ》の中にもするどい大治郎の眼がとらえた。 (やはり、山本先生が出て来るのを待っていたのだ)  であった。  大治郎は、ふたたび、木立の中へ飛びこんだ。先まわりをして真崎|稲荷《いなり》の玉垣の裏から、農家の間をぬけ、畑道を駆け、大川へそそぐ思川《おもいがわ》を飛びこえ、道に沿った竹藪《たけやぶ》の中へひそみ隠れたのである。  間もなく、粂太郎と孫介が川沿いの道へあらわれ、大治郎の前を通りすぎて行った。二人とも後をふり返らず、何やら仲よく語り合っていたようだ。  その姿が橋場の方へ曲って行ったかとおもうと、今度は、後をつけて来た二人が背を屈《かが》め、小走りにやって来た。  その前へ……。  竹藪の中から、秋山大治郎がすい[#「すい」に傍点]と出て行った。  二人の尾行者にとって、これは、おもいもかけぬことであった。  二人とも、棒を呑《の》んだように立ちすくんだ。 「何をしておられる?」  と、大治郎。 「う……」  つまったが、二人はぱっと飛び退《しさ》り、同時に大刀をぬきはらった。 「うぬ!!」  一人が振りかぶった大刀の下へ、つけ入ると見せて大治郎が身をひねりざま、別の一人へ躍りかかり、拳《こぶし》で、そやつのひ[#「ひ」に傍点]腹を強打した。 「う……」  大刀を落し、がっくりとひざをつくのを見返りもせず、 「来い」  大治郎が、ゆっくりと大刀をぬく。  残った一人は、振りかぶった刀のもって行きどころがなくなってしまった。修行のちがいは恐ろしいものだ。  じわじわと間合《まあい》をせばめて行く大治郎へ、 「あっ、ああっ……」  曲者《くせもの》は悲鳴のような声を発し、めったやたらに刀を振りまわしつつ後退し、ついにたまらず、一散に逃げてしまったのである。  気絶した男を肩へ担《かつ》ぎ、橋場の船宿〔大崎屋〕の前へ来た大治郎を見て、山本孫介が駆け寄り、 「やはり、な」 「はあ」 「さすがは、おぬしだ」  三人……いや四人を乗せた舟が大川へすべり出て行ったのは、それから間もなくのことだ。      四  秋山小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]と共に帰宅していた。やはり関屋村のおはるの実家へ、あそびに行っていたらしい。  大治郎が引っ捕えた侍は、まだ若い。  月代《さかやき》もきれいに剃《そ》りあげているし、きちんと袴《はかま》もつけてい、浪人者ともおもえなかった。  大治郎は、こやつを縛りあげ、物置小屋へ放りこみ、粂太郎少年に見張りを命じた。  小兵衛は、大治郎に山本孫介を紹介されるや、 「これは、これは……」  かたちをあらためて両手をつき、 「そのせつは、せがれめが御世話に相なり、かたじけのうございました」  いんぎんに、あいさつをしたものだから、朴訥《ぼくとつ》な孫介老人がへどもど[#「へどもど」に傍点]と、これも両手をつき、何度もあたまを下げるありさまは、双方とも、抜群の力量をそなえた剣客でありながら、いささかの衒《てら》いもなく、大治郎が見ていても、こころよかった。  大治郎はあらためて、世故《せこ》にたけた端倪《たんげい》すべからざる父の、別の一面をはっきりと見たおもいがした。  いつであったか小兵衛が、こんなことをいったことがある。 「わしはな、大治郎。鏡のようなものじゃよ。相手の映りぐあいによって、どのようにも変る。黒い奴《やつ》には黒、白いのには白。相手しだいのことだ。これも欲が消えて、年をとったからだろうよ。だから相手は、このわしを見て、おのれの姿を悟るがよいのさ」  さて……。  山本孫介と大治郎が、こもごも語るのを聞き終えてから、 「よし。では、物置小屋の若い男《の》を、ちょいと責めてみよう」  小兵衛は、そういって立ちあがった。  そして、堀川|国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》を腰へさしこみ、孫介老人のみをつれ、庭先から物置小屋へ出て行った。 「ほう……だいぶんに、粂太郎の面《つら》がまえがちがってきたのう」  と、小兵衛が、見張りをしていた飯田粂太郎へ、 「どうしている?」 「ぐったりと、なっております」 「ふうん、そうかえ」  手燭《てしょく》のあかりに、物置の中の若者は顔をそむけた。 「粂太郎。こやつを庭へ引き出せ」 「はい」  井戸の傍《そば》へ、若者が引き出されると、小兵衛は手燭を粂太郎へわたし、 「こやつの面を、よく照らしなさい」  と、いった。  大治郎も、庭へ出て来た。  おはるは怖がって、奥へ入ったままである。 「おい、若いの」  よびかけた小兵衛に、若者はこたえようともせぬ。 「きさま、剣術つかいか、それとも、どこぞの子弟か?」  返事はない。 「いつまで、だまっている気だえ?」  こたえぬ。  小兵衛が、にやりとして、 「粂太郎や。こやつを立たせなさい」 「はっ」  張り切った飯田粂太郎が、若者を縛っている縄尻《なわじり》をぐい[#「ぐい」に傍点]と引き、 「立て!!」  若者が、ふらりと立ちあがった、その瞬間に……。  秋山小兵衛が腰をひねって、国弘の脇差を抜き打った。  といっても、若者を斬《き》り倒したのではない。  ちょんちょん[#「ちょんちょん」に傍点]と、まるで、大根でも切るように脇差をふるったとおもったら、 「あっ……」  見ていた山本孫介が、驚嘆の声を発した。  ばらり[#「ばらり」に傍点]と、若者が身につけていた着物から袴までが、数ヵ所にわたって切り断たれ、 「う……」  若者が身をすくめたとき、彼が身につけていたすべての衣類は、下帯ひとつを残し、切り落されていたのであった。  ふらりと、若者が倒れかけるのを、粂太郎がささえた。  若者は、衝撃のあまり、ほとんど気をうしないかけている。 「物置小屋へ、放りこんでおけ。裸のまま、しばりつけておきなさい、よいか」  事もなげに、粂太郎へいいつけておき、小兵衛は山本孫介をうながし、座敷へもどった。 「あの若いのは、わしが明日、泥を吐かせてやろうよ。いま、ちょいと威《おど》しただけで、ふるえあがったらしい。そこで大治郎。お前は明日、山本先生のお供をして、牧野侯の藩邸へおもむき、その、小鼻に大きな黒子《ほくろ》のあるという……そうそう、佐倉勝蔵とやらに会《お》うて、さぐりをかけてごらん」 「心得ました」 「あ、いや、それよりも……それよりは、山本先生おひとりで、佐倉に会うたほうがよい。大治郎は藩邸の外に待っているのじゃ、よいか」  と、それから小兵衛が、おはるに酒を出させ、山本孫介と大治郎を相手に、いろいろ打ち合せをとげたようだ。  この夜、孫介老人は小兵衛の家へ泊り、大治郎は粂太郎をつれて道場へ帰った。  翌朝、孫介はおはるがあやつる舟に乗って大川をわたり、大治郎の道場へもどり、大治郎と共に水道橋外の牧野|遠江守《とおとうみのかみ》・藩邸へ出かけて行った。  小兵衛は朝飯をすませてから、物置小屋へ行った。  小屋には、外から厳重な戸締りがしてある。戸を開けて見ると、裸体の若者が夜もすがら初冬の冷気に抱きすくめられ、がちがち[#「がちがち」に傍点]と歯を鳴らしつつ、生きた心地もなく土間にころがっていた。 「おい、これよ……」  その前へ、しゃがみこんだ秋山小兵衛が、 「今日は、ひとつ、お前の、そのかたちのよい鼻柱を、ちょいと切り落してやろう」  こういって、脇差の柄《つか》へ手をかけた。 「ま、待って下さい……」  悲鳴のごとく、若者が叫んだ。 「それなら、すべてを打ちあけるか……よし。ならばきこう。お前は、どこのだれにたのまれて、あの老先生の後をつけたのだ。いえ」 「う……」 「鼻柱が、いらぬと見えるなあ」 「ま、ま、待って……」 「では、いえ」 「う……あの……実は、麻布《あざぶ》・三ノ橋の、森川平九郎先生の……」 「なんじゃと……?」  森川平九郎|善武《よしたけ》といえば、無眼流《むがんりゅう》の剣客で、ここ十年ほどの間にめきめきと頭角をあらわし、諸大名の庇護《ひご》も大きく、三ノ橋の道場はすばらしい構えで、門弟の数は二百を越える、と、小兵衛も耳にしていた。  この若者は、青木|数馬《かずま》といい、旗本・青木左門の次男で、森川道場の門人であった。  数馬が昨日、道場で稽古《けいこ》をしていると、師の森川平九郎の〔右腕〕といわれている石掛《いしがけ》亀之助が、 「青木。こちらへ」  と呼び、奥の一間へつれて行った。  そこに、岩瀬団次郎という門人がいた。青木数馬より先に、呼びつけられたらしい。  岩瀬は、三千石の大身旗本・岡部|外記《げき》の家来なのだが、年齢は四十に近く、剣術も相当につかう。  石掛亀之助は、二人に、 「森川先生と、この道場のために、はたらいてもらいたい。ただし、事は隠密《おんみつ》にはこばねばならぬ。つまり、この世に生かしてはおけぬ悪人を、われらが天に代って成敗をするわけだ。いまは、これだけより申されぬが、よろしくたのむ」  と、いい、二人が承知をすると、秘密を厳守する意味の〔念書〕に署名血判をさせられた。  岩瀬も青木も「悪人を成敗する」ときいて、勇躍した。  石掛は浪人あがりの剣客で、森川平九郎が江戸へ出て来たときから、絶えず身辺につきそい、いまは門人たちへ稽古をつけるよりも、道場の運営にちから[#「ちから」に傍点]をそそぎ、森川平九郎の〔秘書〕でもある五十男で、なかなか立派な風采《ふうさい》をしている。  石掛は、二人をつれて裏門から外へ出た。そこに町駕籠《まちかご》が二つ、待っていた。 「行先は告げてある。早く乗りなさい」  石掛にいわれて、二人が乗ると、駕籠は走り出した。  駕籠が着いたのは、本所《ほんじょ》・四ツ目通りを北へ行った左側にある〔米滝《よねたき》〕という料理屋であった。 「どうぞ、二階へ」  と、女中が心得顔にいうので、青木と岩瀬があがって行くと、二階の奥座敷に、これも森川平九郎の門人で、牧野遠江守の家来・佐倉勝蔵がいるではないか。 「石掛先生から、よくよく、うけたまわって来たのだな?」  佐倉が念を入れたので、二人は、うなずいた。  すでに、夕暮れであった。  佐倉は細目に開けた窓の傍へ、二人をまねき「あれを見よ」と、いう。  通りをへだてた筋向いが、長明寺の正門である。  しばらく三人が見張っていると、正門から山本孫介が出て来た。 「あの老人の後をつけよ。かまえて気《け》どられるな」  と、佐倉が二人に命じた。 「あの老人が、悪いやつなので?」 「数馬。むだ[#「むだ」に傍点]口はきかぬでもよい。さ、早く。二人とも、いま、われらが打ち合せたとおりにしてくれ。わしは、ここで待つ」  青木の父や、岩瀬の主人の屋敷へは、森川平九郎から、 「夜稽古をもよおしますので、帰邸されずとも御安心を……」  と、知らせが行ったそうだから、二人も安心をして、わけがわからぬながらも、冒険への昂奮《こうふん》に酔っていた。  その後のことは、あらためてのべるまでもあるまい。 「なるほど……よう、わかった」  秋山小兵衛が、にんまりとなって、 「よし、よし。いま、着るものを持って来てやろう」  青木数馬へ、やさしげな声を投げた。      五  着物と、あたたかい汁や飯もあたえられた青木だが、また小兵衛によって手足を縛りつけられ、物置小屋へ閉じこめられた。  さも不安げに、眼を屡《しば》たたいている青木数馬へ、小兵衛が、 「明日は帰してやるから、心配するな」  と、いった。  山本孫介が、小兵衛の隠宅へもどって来たのは九ツ半(午後一時)ごろであったが、その前に小兵衛は、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》へあてた手紙を書き、 「すまぬが、おはる[#「おはる」に傍点]。これを関屋《せきや》村のお父《とっ》つぁんにとどけてもらうよう、たのんできておくれ」  と、おはるを使いに出してやっている。 「いかがでござった?」  迎えた小兵衛に、孫介が語るところによると……。  孫介が牧野屋敷へ行き、佐倉勝蔵に面会をもとめると、それを取次に行った門番の足軽が、やがてもどって来て、 「佐倉様は、いま、外へ出ておられる。またのことにしなされ」  胡散《うさん》くさそうに孫介を見まわしながら、そういった。 「さようか。では、またのことに……」 「ああ、そうしなされ、そうしなされ」  孫介は、さからわずに引き下った。  それから二人は、水道橋門外の水戸屋敷|塀外《へいそと》にたたずみ、彼方《かなた》の牧野屋敷を見張っていると、しばらくして、門番が通りへあらわれ、あたりを見まわし、異状がないと見てとるや、潜《くぐ》り門の内へうなずいて見せた。  すると……。  佐倉勝蔵が出て来て、編笠《あみがさ》をかぶり、急ぎ足に何処《いずこ》かへ去った。 「今度は、私の番です。先生は、ひとまず父のところへおもどり下さい」  と、大治郎。 「では、よろしゅう」  山本孫介は、佐倉を尾行する大治郎を見送り、すぐに、もどって来たというわけだ。 「そりゃどうも、佐倉なにがしというやつが、臭い」 「秋山先生。なれど、せがれめは……」 「ま、大治郎がもどるまで、ゆるりとして下され。万事は、それからのこと」 「かたじけのうござる」  日暮れになってから、大治郎が帰って来た。 「佐倉勝蔵は、なんと、麻布《あざぶ》・三ノ橋の、森川平九郎道場へ駆けつけて行きました」 「そうかえ、なるほどな」 「しばらく、見張っておりましたが、出てまいりませぬ。いずれにせよ、このことを父上にお知らせをとおもい、そのままにして立ち帰りました」 「それでよし、それでよし」  そこへ、おはるが、関屋村の実家から帰って来た。  おはるの父・岩五郎は、小兵衛の手紙を持ち、すぐに四谷の弥七のもとへ出かけたそうである。  おはるは、父親が持たせてよこした鴨《かも》の肉と、見事な葱《ねぎ》を一束と、芹《せり》と、手打ちの饂飩《うどん》を小兵衛の前へひろげ、 「お父つぁん、今日は、これをとどけに来るつもりでいたんだとよ、先生」 「何よりの御馳走《ごちそう》だ」  小兵衛は、おはるに命じ、鉄鍋《かななべ》で葱と共に焼き、酒をふくませた醤油《しょうゆ》につけて、食べることにした。  酒が出た。  秋山父子は、悠々として鴨を食べ、酒をのんでいるが、さすがに山本孫介は、口に入れるもの[#「もの」に傍点]の味もわからぬ体であった。  酒のあとは〔鴨飯〕である。これは、おはるが得意の料理で、鴨の肉を卸し、脂皮を煎《せん》じ、その湯で飯を炊《た》き、鴨肉はこそげて叩《たた》き、酒と醤油で味をつけ、これを熱い飯にかけ、きざんだ芹をふりかけて出す。  それまで黙念としていた孫介老人も、この鴨飯には、おもわず舌つづみを打ち、 「かようなものが、この世に、ござったのか……」  おどろきの声を発したのである。  翌朝。  四谷の弥七が、下っ引の〔傘《かさ》屋の徳次郎〕をつれ、小兵衛の隠宅へ駆けつけて来た。 「おお、御苦労。毎度、すまぬな」 「徳次郎だけでいいと、お手紙に書いてございましたが、とりあえず私も……」 「すまぬ、すまぬ」  それから、小兵衛と弥七がしばらく打ち合せをとげたのち、弥七は帰って行き、徳次郎は残った。  小兵衛は物置小屋へ行き、青木数馬の縄《いましめ》を解いてやり、 「さ、帰れ」  事もなげに、いった。  青木は、蒼惶《そうこう》として、よろめきながら、一刻も早く、この場を逃れたい様子で、堤の道へ去った。  そのあたりの木陰に、傘屋の徳次郎が待機してい、見えがくれに青木数馬の尾行を開始した。  徳次郎は、昼前に小兵衛の家へ引き返して来た。 「徳。どうであったな?」 「へい。駿河台《するがだい》の、青木左門さまという、お旗本の屋敷へ入りましてございます」 「ここから、まっすぐに……どこへも立ち寄らずにか?」 「へい。まるで駆けるようにして……」 「よし。これ徳よ。これからも何ぞ、使い走りをしてもらわねばならぬやも知れぬ。今夜は、ここへ泊ってくれ」 「かしこまりましてございます」  この夜。  山本孫介と徳次郎を十畳の間に寝かせ、小兵衛とおはるは次の間の、納戸《なんど》兼用の三畳でねむった。 「先生……よう、先生……」  灯を消してからも、おはるが、なやましげにささやいてくる。 「なんだよ?」 「明日《あした》も、また、客を泊めるの?」 「わからぬ、まだ……」 「もう、いや」 「なぜじゃ?」 「だって、もう……」 「だって、もう?」 「もう、十日も、抱いてくれないのだもの」  いうや、おはるがいきなり、火のように燃えた太腿《ふともも》を小兵衛のそれ[#「それ」に傍点]へさしこんできた。 「だって、おはる。お前はあのとき[#「あのとき」に傍点]の声が、大きすぎるからさ」 「先生のばか……」 「いますこしの辛抱じゃよ。わしもな、もう、たまりかねているところなのだから……」  いいつつ、小兵衛が手をのばし、むっちりと脹《は》ったおはるの双乳《もろぢち》を撫《ぶ》してやると、 「わかりましたよう」  おはるも、どうにか、なっとくしてくれたようだ。  六十歳と二十歳。これでも四十ちがいの夫婦なのである。  翌日。  小兵衛は、傘屋の徳次郎に、その後の青木数馬の様子をさぐることを命じ、朝早くから隠宅へやって来た大治郎には、 「いちおう、牧野屋敷の近くへおもむき、佐倉勝蔵にさぐり[#「さぐり」に傍点]を入れてくれよ」  と、いい、自分は羽織・袴《はかま》に大小を帯し、めずらしく正装し、神田橋・御門内の、田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の上屋敷へ出向いて行った。  隠宅の留守居は、山本孫介とおはるである。      六  それから三日後に……。  いまを時めく老中・田沼意次から、牧野|遠江守《とおとうみのかみ》へ、 「貴藩の藩士・佐倉勝蔵は、麻布《あざぶ》の森川道場において手練の士とききおよんでいる。ぜひぜひ、その剣談をきいてみたいので、一夕《いっせき》、まげて当家へさしつかわされたい」  との口上をもって、使者がおとずれた。  牧野家では、 「佐倉の剣術が、御老中のお耳にまで達していたのか……」  おどろきもしたし、また、光栄にもおもった。殿さまの遠江守康満も、悪い気もちではない。  田沼意次が、武術の興隆にちから[#「ちから」に傍点]を入れていることは、周知の事実で、来春も、おそらく田沼邸において、江戸の剣客たちをまねいての、剣術の試合がおこなわれるにちがいない。  そのことをおもい合せると、佐倉勝蔵も一個の剣士として、胸が躍ってくる。  もっとも佐倉は、すぐる日、浅草寺境内で、山本源太郎の老父・孫介の姿を見かけ、これを長明寺まで尾行してから今日まで、別の心労[#「別の心労」に傍点]にさいなまれていたことはたしかだ。  だが、 (それと、これとは、また別のこと)  なのだ。  剣士として、これほどの光栄はない。  別の心労[#「別の心労」に傍点]のほうは、佐倉ひとりだけのものではないのだし、師の森川平九郎をはじめ、石掛亀之助にとっても、 「捨てては置けぬ……」  ことなのである。  ともあれ、佐倉勝蔵は、田沼意次の招きによろこんで応じ、当日は紋服の正装で、神田橋・御門内の田沼屋敷へ出かけて行った。  その日は、冷え冷えと曇っていて、いかにも冬めいた午後であった。  佐倉は、丁重に迎えられた。 「さ、こちらへ。殿も、お待ちかねでござりましてな」  田沼家の用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》があらわれ、佐倉を奥まった小書院へ案内をした。  佐倉は別の心労[#「別の心労」に傍点]のほうを、ほとんど忘れかけてしまうほどに、上気していた。  すぐに、田沼意次があらわれる。  平伏する佐倉へ、田沼老中は気さくに、 「ま、くつろいでもらいたい。実は、来春の試合のことにつき、おぬしからいろいろと、耳に入れておきたいこともあっての」 「恐れ入りたてまつりまする」 「牧野侯は、おすこやかにおわすかな?」 「はっ。おかげさまをもちまして……」 「何よりのことじゃ。おぬしの師匠・森川平九郎先生は、ふしぎに、まだ一度も、わしの屋敷での試合におまねきをしておらぬ」 「は……」 「諸侯の庇護《ひご》も大きい森川先生ゆえ、別に、わしが手をさしのべることもないとおもっていたが、ぜひ一度、先生のお手なみ[#「お手なみ」に傍点]を拝見したいとおもうてな。どうじゃ、手びきをいたしてくれるかな?」 「承知つかまつりました。先生も、いかほどよろこばれますことか……」  と、こたえたが佐倉、自分のことではないらしいので、いささか興醒《きょうざ》めなおもいがせぬでもない。  そのとき、田沼意次が、 「ときに、佐倉」 「ははっ」 「わしの、古くからの友だちで……もはや年老いて剣の道からもはなれてしもうた男がいてな。ちょうど、わしをたずねて来てくれたので、おぬしにも引き合せたいとおもう。会《お》うてくれるか、な?」 「仰《おお》せまでもござりませぬ」 「さようか、それはうれしい」  いって田沼が、生島用人に|めくばせ《めくばせ》[#「めくばせ」は「目」+「旬」 第3水準1-88-80]をすると、うなずいた生島次郎太夫、次の間の襖《ふすま》をしずかにひらいた。  そこに、老剣客・山本孫介が端坐《たんざ》し、凝《じっ》とこちらを見つめているではないか……。 「あっ……」  おもわず、佐倉勝蔵が低く叫び、腰を浮かせた。  さらに、佐倉が色を失ったことは、孫介老人のうしろに、かの、青木数馬がうなだれているのに気づいたからであった。  田沼意次が、淡々として、 「実はな、佐倉。この山本孫介がひとり息子にて、源太郎と申す若者、すぐる夏ごろ、江戸へ出てまいったきり、行方知れずに相なったのじゃ」  佐倉が顔面|蒼白《そうはく》となり、がっくりと両手をついた。 「ところが、その源太郎の行方を、おぬしが知っているそうな。知っていたら、山本孫介に教えてやってくれぬか、どうじゃ。老中・田沼主殿頭意次からもたのむ。たのむぞよ」  もう、どうにもならない。  別の心労[#「別の心労」に傍点]どころのさわぎではなく、同じことであったのだ。  ついに……。  佐倉勝蔵は、すべてを白状した。  その前に、田沼老中は、 「すべてを、おぬしが打ちあけてくるるならば、この田沼が大公儀の老中として、おぬしと、おぬしの主《あるじ》・牧野侯へは、何の風あたりもなきようにはからうゆえ、安心をして、すべてを語れ」  やさしく、いいさとすことを忘れていなかった。      七  佐倉勝蔵が、慚愧《ざんき》に堪《た》えぬ体で、口ごもりつつ語りのべたところによれば……。  山本源太郎は、はじめ、江戸の小さな道場をめぐり、自分の力量に自信を抱くと同時に、 (こうなったら、一流の大道場で、腕だめし[#「腕だめし」に傍点]をしてくれよう)  と、決意するにいたった。  麻布《あざぶ》・三ノ橋の森川平九郎道場の名は、きこえが高い。 「よし!!」  出かけて行ったが源太郎は、 「当道場は他流試合をせぬことになっているので……」  ことわられた。  二度、三度、根気よく立ち合いを申しこんだが、いずれも、石掛亀之助があらわれ、にべ[#「にべ」に傍点]もなくはねつけた。  四度目は、夕暮れ近くなってから、源太郎が乗りこんで行き、 「今日は、ぜひとも森川先生から、一手の御指南にあずかりたい」  一歩も退《ひ》かぬ面がまえを見せ、玄関でこれを阻止せんとする二人の門人をはね飛ばし、投げつけておいて、道場へ押し通ったものである。  このとき、一日の稽古《けいこ》はすでに終ってい、女中や小者以外は、道場に住みこんでいる三人の門人と石掛亀之助。それに折しも森川平九郎の酒の相手をしていた佐倉勝蔵のみであった。 「けしからぬやつ!!」  さすがに石掛が殺気だち、 「よし。わしが打ち懲《こ》らしめてくれる!!」  木刀をつかんで、道場へ出て行った。  森川平九郎は悠然として、 「石掛。腕を叩《たた》き折ってやれい」  事もなげに、いったそうである。 「先生。何者で?」  佐倉勝蔵が問うのへ、 「先日より、うるさくやって来る田舎の剣術つかいだ。相手にするのも汚《けが》らわしいので、来るたびに追い返したのだが……それにしても、ゆるしを得ずに押し通るとは、不埒《ふらち》なやつだ」 「どこの、だれなので?」 「なんでも、四天流の、山本源太郎とか申していたそうな」 「えっ……」  と、このときはじめて、佐倉がおどろいた。  佐倉は山本父子の剣法が、どのように物凄《ものすご》いものか、小諸《こもろ》にいたころ、知りつくしている。 「せ、先生。その男は、恐ろしいやつです」  いう間もあらず、道場の方で、山本源太郎のすさまじい気合声がきこえた。  森川平九郎が、道場へ駆けつけた。佐倉が、これを押しとどめる間もなかったという。  石掛亀之助は木刀を叩き折られたあげく、いや[#「いや」に傍点]というほど、道場の羽目板へ叩きつけられ、目をまわしていた。 「うぬ!!」  森川は怒り心頭に発し、木刀をつかんで、源太郎の前へ出て、 「森川平九郎じゃ。小僧、死ぬ覚悟でまいれ!!」  と、叫んだ。  叫んだ、その転瞬……。  三尺余の木刀をふりかぶった山本源太郎が、 「うおっ!!」  咆哮《ほうこう》して、巨体もろとも、森川へぶつかって来たのである。 「ぬ!!」  飛び退《しさ》って、さすがに森川が源太郎の肩を撃ったのだが……。  撃たれようが叩かれようが、怒濤《どとう》のごとき源太郎の突進を喰いとめることはできなかった。  源太郎を撃つのと、ほとんど同時に、森川平九郎も源太郎の猛烈な体当りをくらってはね飛ばされ、 「おのれ……」  片ひざを起して立ちあがらんとするとき、 「やあ!!」  正面から打ちこんだ源太郎の、棍棒《こんぼう》のごとき木刀を右肩へうけ、森川が、 「うっ……」  わずかにうめいたきり、なんと、その場に気絶してしまったではないか。 「あは、はは……」  肩をゆすって笑い出した山本源太郎が、 「なんだ、これで江戸の名流か」  引きあげかけたが、廊下で、このありさまを見て立ちすくんでいる佐倉勝蔵を見つけ、 「や……佐倉さんじゃないか、久しぶりだなあ……。あんた、ここの門人になっていたのか」 「む……」 「あんたはすじ[#「すじ」に傍点]がよいと、小諸の父もいうていた。こんな師匠のもとについていてはいかん、だめだ。わし、いま本所・四ツ目の長明寺にいる。あそびに来てくれ、待っている」  茫然《ぼうぜん》としている佐倉へ、さも愉快そうにいいおき、山本源太郎は意気揚々と引きあげて行った。  とにかく、大変なことになった。  この醜態が、大勢の門人たちの眼にとまらなかったのは不幸中の幸いというべきだが、それにしても、三人の門人たちや奉公人の眼や口をふさぐことはできない。  それよりも、森川道場にとって、 「怖《おそ》るべきこと」  は、田舎剣士の山本源太郎の口から、この日の醜態が、 「かならずや、諸方へ、ふりまかれるにちがいない」  ことであった。  そうなれば、一流も名流もあったものではない。  土屋|能登守《のとのかみ》(常陸《ひたち》・土浦《つちうら》の城主)、松平|周防守《すおうのかみ》(石州《せきしゅう》・浜田)、奥平|大膳大夫《だいぜんだいふ》(豊前《ぶぜん》・中津)、佐竹|右京大夫《うきょうだいふ》(出羽・久保田)をはじめ、佐倉勝蔵の主《あるじ》・牧野|遠江守《とおとうみのかみ》など、森川道場の有力パトロンたちは、 「なんのことだ。そのように名も知れぬ田舎剣客に遅れをとるとは、なさけないことじゃ」  と、いっせいに手を引き、森川道場へ稽古に出ていた諸家の家来たちも、引きあげてしまうであろう。  そこで、とりあえず、 「なんとか、山本源太郎の口を封じてしまわねばならぬ」  と、いうことになり、佐倉勝蔵がたのみこまれ、長明寺へおもむき、山本源太郎へ、 「森川先生が、おぬしの手練に敬服され、ぜひとも一献《いっこん》さしあげたいと申されている。小諸へ帰る前に、拙者《せっしゃ》の顔をたてて、おつきあいをねがいたい」  と、たのみに行った。  後にわかったことだが、この〔いやな役目〕を引きうけさせられたかわりに、佐倉勝蔵は、石掛亀之助から金二十両をもらっていたのである。  そして……。  山本源太郎は、翌日、芝神明《しばしんめい》前の料亭〔車屋〕へさそい出され、森川一派の饗応《きょうおう》をうけたのち、森川道場へ滞留し、門人たちへ、 「ぜひとも、四天流の妙技をおつたえねがいたい」  などと、うまいことをいわれ、車屋から駕籠《かご》へ乗せられ、広尾《ひろお》の原《はら》へつれこまれて殺害《せつがい》された。  人の善い源太郎は、すっかりよいこころもちになり、大酔《たいすい》していたものだから、どうにもならなかった。  長明寺を出るとき「故郷へ帰る」と、いいおいたのは、あらかじめ、森川道場へ二、三泊する予定でいたと見てよい。 「なるほど……」  すべてをききとり、田沼意次は相変らず、おだやかな表情で、 「よう、申したててくれた。約束どおり、今日のことは何もなかったことにいたそう。安心をして帰ったがよい」  と、佐倉勝蔵にいったが、 「事のついでに、わしのたのみ[#「たのみ」に傍点]をきいてはくれぬか、どうじゃ?」 「ははっ……な、なんなりと……」 「きいてくれるか、ありがたい」  田沼に何やらいいふくめられ、佐倉は次の日に、森川道場へおもむいた。      ○  その翌々日の四ツ(午前十時)ごろ、森川平九郎は、石掛亀之助を帯同し、威儀を正した堂々たる風采《ふうさい》で、田沼意次の浜町《はまちょう》・中屋敷へ出かけて行った。  これは、佐倉勝蔵から、 「御老中・田沼様が、ぜひとも、先生の手練のほどをごらんになりたいとの仰《おお》せでござる」  と、きいて、森川平九郎は欣喜雀躍《きんきじゃくやく》した。  殺害した山本源太郎の老父が江戸へあらわれたというので、そのことは気がかりであるが、それも近いうちに、うまく手をまわし、暗殺してしまうつもりでいる。 「ときに佐倉。山本孫介のうごきは、じゅうぶんに見張っているのだろうな?」 「大丈夫で、ござる」 「青木数馬と岩瀬団次郎は、どうした?」  実は、岩瀬も、あのとき以来、主人の屋敷へ逃げ帰ったまま、道場へあらわれないのだ。 「いま、山本孫介を、見張っております」  こたえる佐倉勝蔵は、冷汗《ひやあせ》をかいている。  森川平九郎の相手にえらばれたのは、いま、江戸の剣術界から隠退している秋山小兵衛だときいて、森川は勇躍した。  小兵衛の名は、森川も耳にしている。名人ときいているが、 (六十の老いぼれに負けてたまろうか)  であった。  山本源太郎を相手にしたときは、森川も相当な衝撃をうけたけれども、 (あのときは、いささか相手を侮《あなど》っていた……)  と、ひそかに反省をしていた。  森川平九郎は、剣客として恥ずかしくない力量をそなえている。なんとしても源太郎のように無鉄砲な相手をばか[#「ばか」に傍点]にしてかかったため、あのような失態を演じてしまったと、いえぬこともない。  今度、田沼老中の前で、秋山小兵衛を打ち負かすことを得たなら、田沼老中の愛顧を得ることもできようし、今後の栄達も約束されたようなものだ。  試合の場所は、田沼家・中屋敷の奥庭である。  正面に、田沼意次。その傍《かたわら》に、意次のむすめで女武芸者・佐々木三冬がひかえているのみ。  審判は、田沼の依頼をうけた一刀流の名手・金子|信任《のぶとう》であった。  この日。いまにも雪が落ちて来そうに冷え曇って、風が空に唸《うな》っている。  田沼に一礼した森川平九郎が、向き直り、東の方の柴垣《しばがき》の向うからあらわれた相手を見て、 (……?)  いぶかしげな顔つきになった。  秋山小兵衛は、体の小さな老人だときいていたが、いま、襷《たすき》・鉢巻《はちまき》に身をかため、洗いざらしの綿服《めんぷく》の裾《すそ》を高だかと端折《はしょ》り、素足に庭の土をふみしめ、長く太い木刀をひっさげ、こちらへすすんで来る老人は、がっしりとした巨体のもちぬしなのである。  向き合って、一礼し、 (これが秋山……?)  かと、森川が先《ま》ず、 「無眼流、森川平九郎」  名乗りをあげたのへ、うなずき返した相手が、破《わ》れ鐘《がね》のごとく怒鳴った。 「四天流、山本孫介!!」  名乗り声などというものではない。すでに真剣で切り合っているときの気合声であった。 (あ……こ、これが……源太郎の父親か……)  森川は脳天を、何か見えざるものになぐりつけられたような気がした。  したが、名乗った以上は立ちあがらねばならぬ。  立ちあがった以上は、闘わねばならぬ。  ふらりと立った森川の眼の中へ、らんらんと光る孫介老人の双眸《そうぼう》が矢のように飛びこんで来た。  勝負は、一瞬の間に決した。  森川平九郎の手をはなれた木刀が中天《ちゅうてん》に舞いあがったとき、 「ぎゃあっ……」  森川の絶叫がきこえ、孫介の木刀に胸を突かれた森川平九郎が仰向《あおむ》けに、板戸でも倒すように打ち殪《たお》されていた。  森川の口中から血がふき出し、庭土へながれた。  即死である。  山本孫介は、田沼意次へ向って平伏し、 「おかげさまにて、せがれめの敵《かたき》を、この老いの手で討ちとることができましてござる」  しずかに礼をのべた。  広尾の原の一角に埋め隠されてあった源太郎の遺体は掘り出され、長明寺へ手厚くほうむられている。  いつの間にか、秋山小兵衛が孫介老人のうしろへ来て、これは無言で両手をつかえた。  このとき突如、霰《あられ》が叩いてきた。  にっこりとうなずき、廊下を去る田沼意次へ追いすがった秋山小兵衛が、 「殿……」 「何かな……?」 「またしても小兵衛、殿に借り[#「借り」に傍点]ができてしまいましたわい。何から何まで、かたじけのうございました」 「なんの、貸したとはおもわぬ。なれど秋山先生が借りてくるるなら、これほど、こころ強いことはない。は、はは……」  たばしる霰をあびつつ、山本孫介は両手を合わせ、瞑目《めいもく》したまま、身じろぎもせぬ。     悪い虫      一  その日は、朝から冷え冷えと曇ってい、雪でも落ちて来そうな空模様であった。  日中は混雑する深川・富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》門前も、急に人通りが絶え、夕闇《ゆうやみ》が濃くたちこめている。 「かまわん、叩《たた》き斬《き》れ!!」 「よし、足か、腕か?」 「腕がええ。右の腕をちょいと切れ」 「わかった!!」  門前の広場の南端にある船着場のあたりで、ぎらり[#「ぎらり」に傍点]と刃《やいば》が光った。  たまぎるような、男の悲鳴があがった。  乱酔した浪人が三人、町人ふうの若い男を囲み、乱暴|狼藉《ろうぜき》のかぎりをつくしているのである。  と、そのとき……。  広場の中央に、まだ店を仕舞っていなかった葭簀《よしず》張りの茶店から走り出た黒い影が一つ、矢のように無頼浪人たちの中へ躍りこんだかと見る間に、 「ぎゃあっ……」  絶叫をあげた浪人がひとり、翻筋斗《もんどり》をうって堀川へ落ちこんだ。 「うぬ!!」 「邪魔いたすか!!」  ぱっと飛びはなれた残る二人が、腰をひねって大刀を抜きはなった。  まだ、腕は切り落されていなかった若者をうしろにかばい、茶店から走り出た、これも若いさむらいが、 「おやめなさい」  しずかに、いった。  秋山大治郎である。 「何い。おやめなさい、だと……」 「おやめなさいとは、どういうわけだ、こいつめ!!」  酔っているだけに前後の見境もなく、左右から大治郎へ迫った浪人たちが、 「くそ!!」 「たあっ!!」  猛然と、打ちこんできた。  刃と刃が噛《か》み合う、すさまじい音がした。  抜き合せた大治郎に強く打ち払われ、右から切りつけた浪人の手から、大刀がはね飛んだとき、左から切りつけたはずの浪人は、われから刀を落し、落した両手で顔を押え、得体の知れぬわめき声を発し血をふりまきつつ後も見ずに、仲間も捨てて、狂人のごとく逃げ去った。鼻を切り落されたのだ。  残ったやつは、あたまを抱え、われから堀川へ飛びこんでいる。  先に投げこまれた浪人は、川を泳いで何処《どこ》かへ逃げてしまったらしい。  すばらしい大治郎の早わざを目撃した町の人びとが遠巻きにして、感嘆の声をあげた。  天下泰平の世の中なのはよいが、ちかごろは宿なしの無頼浪人が江戸市中に激増し、腰の刀にもの[#「もの」に傍点]をいわせて乱暴をはたらくので、町民たちは困りぬいている。 「ありがとうござりました。かたじけのうござりました」  両手をつき、泪声《なみだごえ》でしきりに礼をのべる若者を、大治郎は、どこぞの商家の手代《てだい》と見た。  浪人どもは、これに難くせをつけ、手代のふところにある店の金でもねらったのではないか……。 「早く、お帰り」  と、手代にいった秋山大治郎は刀を鞘《さや》におさめ、歩み出した。  この日。大治郎は、父・秋山小兵衛の手紙をとどけに、深川・黒江町の足袋問屋《たびどんや》〔丸屋忠右衛門〕方へおもむいた帰途、富岡八幡宮へ参詣《さんけい》し、門前の茶店で熱い饂飩《うどん》を食べていたのである。  顔のひろい小兵衛は、足袋問屋の主人とも親交があるらしい。  大治郎が永代橋《えいたいばし》をわたりきるころ、あたりがいよいよ暗くなってきたので、橋の西詰にある番小屋へ立ち寄り、大治郎は用意の提灯《ちょうちん》へ入れる火を借りた。  そして、また歩き出したとき、 (や……?)  大治郎は、妙な気がした。 (私の後を、だれか、つけているらしい)  このことであった。  だが、歩調もゆるめず、うしろを振り向いてもみぬ。  夜道のことだし、尾行して来る者は提灯を持っていない。  ために必然、大治郎の提灯をたよりに尾行することになる。  当時の江戸の夜の闇の深さ暗さは、現代東京に住み暮す人びとの想像をはるかにこえていた。 (たしかに、つけて来ている。だが……だが、別に、殺気は感じられぬ)  のである。  すぐうしろから尾行して来るのだから、それが、はっきりとわかった。 (何者なのか……?)  わからぬ。  殺気をおびているのなら、いろいろと見当もつこうというものだが……。  翌朝になって……。  秋山大治郎は父・小兵衛の隠宅へおもむき、昨日の手紙の返事をつたえたのちに、昨夜の尾行者のことをはなした。 「……私の家の近くまで、たしかに後をつけてまいりました」 「見たのかえ?」  と、小兵衛。 「いいえ」 「それから?」 「べつだん、今朝まで、何のこともございません」 「わからぬなあ、わしにも……大治郎よ。江戸はひろい。わけのわからぬことが、いろいろと起るものだよ」 「ははあ……」  父の家を辞し、真崎稲荷《まさきいなり》裏の我が家へ帰って間もなく、客が一人、あらわれた。  大治郎へ入門申しこみの男であった。      二  男は、二十五、六歳に見えた。  顔がまるい。背が低くて体もまるい。顔と体で正月のお供《そな》え餅《もち》を彷彿《ほうふつ》とさせる。若者の額はぐい[#「ぐい」に傍点]と突き出し、その下の両眼が、これに負けじとむき出されている。一種、異様な顔だちなのだが、いうにいわれぬ愛嬌《あいきょう》が、その〔まじめ顔〕に浮いて出て来てしまう。  腹掛けの上から、洗いざらしの盲縞《めくらじま》の筒袖《つつそで》を着て、素足にわら[#「わら」に傍点]草履《ぞうり》という見すぼらしい風体《ふうてい》なのだが、髷《まげ》もきちん[#「きちん」に傍点]とゆいあげ、すこしも垢《あか》じみてはいない。 「おれは、又六といいます」  と、若者が名乗った。 「秋山大治郎です」 「お初《はつ》に……」  ぺこりとあたまを下げた又六が、緊張のためか、この寒いのにびっしょり汗をかいて、 「剣術を、教えてくんなさるか?」 「教えぬこともないが、なんのために剣術をおぼえたいのかね?」 「む……」  又六の、ふとくてまるい鼻のあたまが、汗に光っていた。 「わ、悪い奴《やつ》に、ばか[#「ばか」に傍点]にされたくねえから……」  と、又六が呻《うめ》くようにいった。  その押しころした声音《こわね》に、何やら必死のおもいがこめられているのを、大治郎は感じた。 「ところで、お前さんは、なぜ、私の道場をえらんだのだ?」 「見た」 「え……?」 「見た、見た。見たんですよう」 「何を、ね?」 「昨日、暮れ方、八幡《はちまん》さまの門前で、お前さまが、ごろつき浪人どもを……」  ひざ[#「ひざ」に傍点]を叩《たた》いて大治郎が、 「では昨夜、私の後を此処《ここ》までつけて来たのは、お前さんか?」 「はぁい」 「それで、私を見こんでくれたというわけだな」 「はぁい」  大きくうなずいた又六が、ふところから、うす[#「うす」に傍点]汚れた胴巻きを引き出し、 「こ、これを……これを……」  せかせかと中味を、そこへつかみ出した。  銭もあれば二分金もある。 「ぜんぶで、五両あります」  又六が、そういった。  いかにも、おもいきわめた体《てい》に見えた。 「これは、何だね?」 「こ、これだけしか、おれの持ち金はねえのです。この金で、おれに剣術を教えて下せえ。おれの腕を強くして下せえ。たのンます、たのンます」 「剣術の修行というは、なまなか[#「なまなか」に傍点]のものではないよ。十年かかっても……さて、どうか、というところだ」 「じ、じゅ、十年……」 「さよう」 「と、とんでもねえ。じょ、冗談ではねえ」 「なぜだね?」 「十年なんて、そんな……おれは毎日、朝から晩まで、はたらきづめにはたらいて、やっと、おふくろと二人、食っているんです」 「何の商売だね?」 「辻《つじ》売りの鰻《うなぎ》屋です」  辻売りの鰻屋というのは、道端へ畳二畳ほどの木の縁台を出し、その上で鰻を焼いて売る。  このごろは、江戸市中の諸方に、辻売りでない店構えの鰻屋もちらほらとあらわれたようだが、 「ありゃ、ひどいものさ」  などと、ものごとにこだわらぬ秋山小兵衛さえも、あまり、鰻を好まぬようだ。  鰻というものは、この当時の、すこし前まで、これを丸焼きにして豆油《たまり》やら山椒味噌《さんしょみそ》やらをつけ、はげしい労働をする人びとの口をよろこばせはしても、これが一つの料理として、上流・中流の口へ入るものではなかったという。  それが、上方《かみがた》からつたわった調理法で、鰻を腹から開いて、食べよいように切り、これを焼くという……そうなってから、 「おもったよりも、うまいし、それに精がつくようだ」  と、江戸でも、これを食べる人びとが増えたそうな。  この後、約二十年ほどを経て、江戸ふうの鰻料理が開発され、背びらきにしたのを蒸しあげて強い脂《あぶら》をぬき、やわらかく焼きあげ、たれ[#「たれ」に傍点]にも工夫が凝らされるようになり、ここに鰻料理の大流行となる。  さ、ところで……。  又六は、いま、深川の洲崎弁天社《すさきべんてんしゃ》の傍《わき》で、鰻の辻売りをやっているそうな。  客は、近くの木場ではたらく労働者や船頭などだが、 「その悪い奴とは?」  と、いかに秋山大治郎がきいても、こたえず、ひたすらに又六は、 「せめて十日のうちに、強くなりたい」  と、いう。  それ以上、商売を休んだら、どうにも食べて行けない。  お礼としてさしあげる金五両は、自分が四年の間、酒一本のまず、煙草《たばこ》ものまずに、 「ためこんだ金です」  と、いった。 「十日、な……」 「はぁい……」 「私も考えてみよう。明日、もう一度、来てみてくれ」  大治郎は、 (ばかばかしい)  と、おもいはしたが、又六の異常な決意を感じて、無下《むげ》にもことわれなかった。 「たのンます、たのンます。お前さまがききとどけてくれねえのなら、おれ、死んじめえてえ」  又六は、そうもいった。口先だけのこととはおもえぬ。  そして、いかに大治郎がことわっても、又六は承知をせず、強引に金五両を置いて、 「明日来る、明日来ます」  叫びつつ、走り去って行ったのであった。  その夜。大治郎は夕飯をすませて、ふたたび、父の隠宅へおもむき、このことを告げ、 「いかが、いたしましょうか?」 「五両といえば、辻売りの鰻屋|風情《ふぜい》には大金じゃな」 「さようで」  当時の五両は、現代の貨幣感覚で五十万円にも六十万円にも相当するであろう。 「やってみるか……」 「父上。まさかに……」 「十日の即席で、その又六とやらが強くなったら、金五両でも安いぞ。遠慮なく、もらっておけ。これも商売じゃからな」 「なれど、まさかに、十日では……」 「やってみることさ。むり[#「むり」に傍点]にもな。だって、そうしてもらいたいと、又六が申しているのじゃろ?」 「それはまあ、そうですが……」 「わしが、手つだってやってもよい。うふ、ふふ……」      三  翌朝……。  まだ、うす暗いうちに、 「ごめんなせえ、ごめんなせえ」  早くも、辻《つじ》売り鰻《うなぎ》屋の又六が、道場の戸を叩《たた》いた。  いつもは道場へ泊りこんでいる飯田|粂太郎《くめたろう》少年は、母が発病したので、一昨日から浜町の田沼家・中屋敷の長屋へ帰っている。  唖《おし》の百姓の女房が朝の仕度をしているので、秋山大治郎が道場の戸を開け、ころげこむように入って来た又六へ、 「早いな。飯を食べて来たかね?」  又六は、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。 「では、私といっしょに食べよう。さ、来なさい。何をするにも腹ごしらえが肝心ゆえな」 「じゃあ、剣術を教えて下さるんで?」 「ああ、やってみよう。だが、な……」 「へ……?」 「剣術というものは、一所懸命にやって先《ま》ず十年。それほどにやらぬと、おれは強いという自信《こころ》にはなれぬ。これは昨日も、よくよく、お前に申したことだ」 「だ、だから、そこを何とか、十日ぐれえで……だからこそ、おれは、この体の汗のかたまりみてえな五両もの大金を……」 「まあ、待て。そこでな、十年やって、さらにまた十年やると、今度は、相手の強さがわかってくる」 「へへえ……そんなら、おれ、もう、わかってる。けれど何としても、その野郎を負かしてえのです」 「それからまた、十年やるとな……」 「合わせて、さ、三十年もかね……」 「そうだ」  にやりと、うなずいて大治郎が、 「三十年も剣術をやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる」 「そ、それじゃあ、何にもなんねえ」 「四十年やると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる」 「だって、お前さん……いえ、せ、先生は、まだ、おれと同じ年ごろだのに……」  大治郎は苦笑した。  いまいったことは、父・秋山小兵衛のことばの受け売りだったからである。  蕪《かぶら》の味噌汁《みそしる》に里芋《さといも》の煮物。それに大根の漬物の朝飯を、又六は緊張のあまり、ほとんど喉《のど》へ通さなかった。  おどおどしている又六へ、 「むり[#「むり」に傍点]にも食べろ」  と、大治郎が味噌汁だけは強引に食べさせたものである。  そのあとで、又六が、 「昨夜から今朝、おらあ、こんなに口をきいたことはねえ。しゃべったことはねえ」  つぶやくように、いった。 「そうか。そうとも見えぬが……いつもは、それほどに無口なのかね?」  こっくりと無邪気にうなずき、又六が子供に返ったような仕ぐさで頭を掻《か》き掻き、 「おらあ、一所懸命でたのみに来た。だから、あれだけ、口がきけたんですね」 「そうか、な……」 「それに、先生が、やさしくしてくれたから……だから、たのめた。口がきけたです」 「そんなに、私がやさしかったかね?」 「うん……」  秋山小兵衛が、大治郎の道場へあらわれたのは五ツ(午前八時)ごろであったろう。 「ほう……この仁《じん》かえ」  小兵衛が満面を笑みくずしつつ、 「十日で強くなりたいというのじゃな」  この妙な老人は、 (どこのだれで?)  とでもいいたげな顔を大治郎へ向けた又六へ、 「私の父だ。私より強いお人だ」 「へえ、さようで……」  又六が小兵衛へ両手をつき、あたまを低く低く下げた。 「おお。よし、よし」  あくまでも小兵衛がやさしく、 「よいかな。お前も、たった十日の間に強くなりたいというからには、それ相応の覚悟をして来たろうな」 「へい、へい。この、若い先生が八幡《はちまん》さまの門前で、ごろつき浪人どもを……」 「きいた、きいた」 「それを見て、この先生なら、きっと、おれが強くなれるようなやり方[#「やり方」に傍点]を教えてくれると、おもいました」 「そうか。よし、よし。どんなことでも辛抱するかえ?」 「へい。撲《なぐ》られることなら、小せえときから馴《な》れているですよ」 「ほう、そうかえ」 「なぐられて蹴《け》られて……それでも、じっ[#「じっ」に傍点]とこらえて、おっ母《かあ》と二人で、生きて来たです」 「お父《とっ》つぁんはえ?」 「おれが、五つのときに、死んだ」 「ふむ。ずいぶんと苦労をしたらしいのう」  やさしくいわれ、又六がうつむき、泪《なみだ》ぐんだ。  すると小兵衛は、ふところから一枚の檀紙《だんし》を取り出し、これを細長く四つに折りたたんだ。 (父上は、何をするつもりなのか?)  大治郎は、怪訝《けげん》の面持《おももち》であった。 「大治郎。この紙をとっぷりと水にひたしてきてくれ」 「は……」  その濡《ぬ》れた檀紙を、道場に立たせた又六の額へぴたり[#「ぴたり」に傍点]と当てた小兵衛が、紙の両端を、 「お前が押えていなさい」  と、又六にいった。 「へ……?」  何をされるのだろうか、と、又六はきょろきょろ、あたりを見まわしている。 「これ、又六とやら……」 「へ、へい」 「わしの顔をごらん」  いいつつ、小兵衛がすっ[#「すっ」に傍点]と二歩ばかり退った。  又六は、真正面に小兵衛の老顔を見た。 「お前、よいおでこ[#「おでこ」に傍点]をしているのう」 「小せえとき、みんなから、ばか[#「ばか」に傍点]にされました」 「む……」  小兵衛の眼が針のように細くなり、口が一文字に引きむすばれた。  これは小兵衛が、呼吸をととのえ、剣に没入せんとするときに見せる表情なのである。  又六の顔が、さっ[#「さっ」に傍点]と蒼《あお》ざめ、口をぱくぱくさせて何かいおうとするのだが、声にならぬ。又六の体は、小兵衛の眼光をうけて、 「金縛りにでもかかったよう……」  に、なってしまった。  実に、その瞬間であった。  秋山小兵衛が腰に帯した堀川|国弘《くにひろ》一尺四寸余の脇差《わきざし》を、電光のごとく抜き打った。  大治郎の眼には、抜いたときは眼にもとまらなかったが、これを小兵衛が振りかぶって、立ちすくんでいる又六の面《おもて》へ切りつけた動作は、むしろ緩慢に見えた。      四  又六は、張り裂けんばかりに両眼を見ひらき、化石のように立ちすくみ、額にはりつけられた檀紙《だんし》を両手に押えたままである。  秋山小兵衛が、しずかに刀を鞘《さや》へおさめ、 「又六。両手を、そっと左右に引いてごらん」  と、いった。  いわれたとおりにした又六の両手に、折りたたんだ濡《ぬ》れ紙が、二つに断ち切られていた。  そして、濡れ紙をはりつけていた又六の額には微《かす》かな傷あとも見えぬ。  大治郎が、ためいきをついた。 (自分には、とうてい、できぬこと……)  と、感じたからであろう。 「又六とやら。どうじゃな?」 「へ……」  恐る恐る額へ手をやった又六が、 「切れてねえ、おでこが……」 「そうとも」 「わあ……お、おどろいた」 「いま一つ、おどろかせてやろう。肌ぬぎになって、腹掛けもおぬぎ」 「へ、へい」 「大丈夫だ。これも強くなる稽古《けいこ》じゃから、な」  不安と安心とが綯《な》い交《ま》ぜになったようなかたちで、又六が肌をぬぎ、腹掛けを外した。 (父上、おやりなさる……)  このときは大治郎も、どうやらなっとく[#「なっとく」に傍点]がゆきかけたようだ。  かつて自分も、剣の道へ足をふみ入れたとき、父に、同じことをされたからだ。  上半身が裸となった又六へ、 「そこの柱へ、寄りかかってごらん」  と、小兵衛がいう。 「はい」  素直に寄りかかった又六へ、 「よし、よし」  あくまでもおだやかに声をかけた小兵衛が、近寄りざま、いつの間に用意をしたものか、ばらりと細引きの縄をほぐし、す早く、又六の体を柱へ縛りつけてしまった。  どこをどうしたのか、あまりに早く、あまりに手ぎわがよく、それこそ「あっという間……」に、又六が柱からうごけなくなったのを見て、大治郎は瞠目《どうもく》した。 「あ……あっ、あっ……な、何をするんだ。おれを、こんな目にあわして、何を……」  おどろきわめく又六へ、 「ばかもの!!」  小兵衛の、すさまじい一喝があびせかけられた。 「強くなりたいのなら、がまんせよ」 「う……」 「わしを見よ」 「あ……」  又六の眼が小兵衛の眼と合った転瞬、またしても小兵衛が国弘《くにひろ》の一刀を抜き打ったのである。  又六、声も出なかった。  引き抜いた脇差《わきざし》で、小兵衛が無造作に、又六の体を、ちょいちょい[#「ちょいちょい」に傍点]と切った。  いや、ほんとうに切ったのである。  又六の厚い胸肉に二ヵ所、血が糸を引いてながれた。 「痛いか。これほどのことなら痛くはなかろう」 「う……」  又六が、必死の形相となった。 「鋭《えい》!!」  今度は、裂帛《れっぱく》の気合声を発した小兵衛が、すい[#「すい」に傍点]と近寄り、ちょいちょいと切った。 「く、くく……」  胸肌にまた二ヵ所、血が糸を引いて落ちる。 「鋭!!」  三度《みたび》、小兵衛は刀を振るった。  今度は切らなかった。そのかわり、すさまじい刃風《はかぜ》が又六の顔面|一寸《いっすん》のところを数度、疾《はし》った。  後ろへ退《さが》った秋山小兵衛は、刀を鞘へおさめ、 「大治郎。縄をほどいて、傷の手当をしてやれ。これで、わしの役目はすんだぞ。あとは、お前の器量ひとつだ。わしは帰る。礼がしたかったら、よい酒をたのむ」  後も見ずに、さっさと小兵衛が帰って行った。  見送った大治郎が、 「又六。安心しろ、傷は皮一枚を切っただけだよ。それでも感心に、気をうしなわなかったではないか。さ、これを見なさい」  いうや、ぐい[#「ぐい」に傍点]と双肌《もろはだ》ぬぎになってみせた。  大治郎の鍛えぬかれた見事な筋骨が、なめらかで強い、まるで鞣革《なめしがわ》のような皮膚におおわれている。その、上半身の肌身へ、うすくなったが、まさに刀の傷痕《きずあと》が幾すじもきざまれているではないか……。 「又六。私も、お前と同じような目にあったのだよ」  又六が驚愕《きょうがく》している。 「父にも切られたし、恩師の辻平右衛門《つじへいえもん》先生にも切られた。十五歳の折にな」 「じ、十五……」 「うむ。剣術をおぼえるのにも、いろいろと仕様があるけれども、私は先《ま》ず、切られた。う、ふ、ふふ……お前も、な……」  浅手《あさで》ながら、四ヵ所の傷から出る血で、又六の胸から腹のあたりがまっ赤[#「まっ赤」に傍点]になってきていた。  だが、そのことよりも又六は、大治郎の上半身の刀痕《とうこん》と、声に、こころをうばわれているかのようであった。  大治郎は又六の縄をほどき、膏薬《こうやく》をぬり、手当をしてやった。 「痛むか?」 「ちくちく[#「ちくちく」に傍点]するだけです」 「あは、はは……元気が出て来たな」 「先生がやさしいから……だけどよ、あの、おじいさんは、怖かった……」 「そうか……」 「うん」 「どうだ、又六。今度は私に切られるかね?」  こういった大治郎へ、おどろくべし、又六が、 「先生ならいい。大丈夫だ。心配ねえ、心配ねえ」  なんと、満面に血をのぼせ、昂奮《こうふん》の体で、こたえたではないか。      五  それから、十三日目の午後になって……。  秋山小兵衛・大治郎|父子《おやこ》の姿を、深川の洲崎《すさき》弁天社に見出《みいだ》すことができる。  このあたりは、元禄《げんろく》のころに幕府が、富岡|八幡宮《はちまんぐう》より東面の海浜を埋めたてた折、弘法大師《こうぼうだいし》の作とつたえられる弁財天女の像を本尊とし、社殿を建立《こんりゅう》したものである。  江戸名所|図会《ずえ》に、 「この地は海岸にして佳景なり。ことさら弥生《やよい》の汐干《しおひ》には都下の貴賤袖《きせんそで》をつらねて真砂《まさご》の蛤《はまぐり》をさぐり、または楼船《ろうせん》を浮かべて妓婦《ぎふ》の絃歌《げんか》に興《きょう》をもよおすもありて、もっとも春色を添うるの一奇観たり」  などと記されてあって、江戸の人びとの行楽地の一つだ。  なるほど、春の洲崎はよろしかろうが、いまは冬ざれの色にすべてがつつまれ、江戸湾の海も、相かわらずの曇り空の下にくろぐろと横たわっていた。  春夏のころとちがって、境内の内外に出ている茶店の数も半分に減っている。  小兵衛と大治郎は弁天社の鳥居をぬけて、北門を出たところにある槌屋《つちや》という茶店へ入った。  槌屋はわら[#「わら」に傍点]屋根の風雅な店で、ここは葭簀《よしず》張りの店とはちがい、一年中、営業をしている。  江島橋をへだてた向うは、深川の木場《きば》で、縦横《じゅうおう》にながれる堀川にかこまれた材木問屋と材木置場が、見わたすかぎりにつらなっている。  辻《つじ》売り鰻《うなぎ》の又六は、橋の向うの袂《たもと》に店を出していた。  葭簀の屋根もない、むき出しの台の上で、懸命に鰻を焼いている又六の姿が、茶店の腰かけにいる秋山父子からもよく見える。  客は、木場の人足《にんそく》たちや、近くの裏町に住む、その日暮しの労働者で、又六は、彼らを相手に鰻を売り、冷酒《ひやざけ》を売っているのだ。 「婆《ばあ》さん……」  と、茶をはこんで来た茶店の老婆《ろうば》へ、秋山小兵衛が、紙に包んだ〔こころづけ〕をわたし、 「橋向うに、辻売りの鰻が出ているね」 「はい。又六さんと申しまして、若いのに、そりゃもう、よくはたらきます。ここのところ十日ほど、休んでおりましたっけが、昨日あたりから、また……」 「そうか、そうか」 「あそこへ店を出して三年になりますのでね。病気のおっ母《か》さんを抱えて、よく孝行をして、そりゃあ感心なもので……」 「ほう。そうかね、そりゃあ、えらいな」 「ですが、可哀相《かわいそう》で……」 「どうして。何がじゃ? きかせてくれぬか」 「ここだけでのはなしでございますよ」  老婆が、声をひそめ、 「又六さんには、悪い虫がくっついているのでございますよ」 「どんな、悪い虫かね?」 「又六さんにとっては、腹ちがいの兄だとか、いいますがねえ」  はじめにわたした〔こころづけ〕がきいたらしく、老婆が、だまってはいられないといった様子で、 「端から見ていても肝《きも》が煮えくり返りますよ、旦那《だんな》……」  と、語りはじめた。  又六の父親は、木場で、下働きの人足をしていたそうな。そのとき女房をもち、又六の兄の仁助《にすけ》が生まれた。  その女房が亡《な》くなったのちに、父親は又六の母親と再婚したのである。  その腹ちがいの兄というのが、いまは、本所深川一帯で、 「鼻つまみ者」  にされている無頼漢《ごろつき》の一人だそうな。 〔大首《おおくび》の仁助〕  などと、異名をとり、数名の手下を引きつれ、手当りしだいに悪事をはたらく。  といっても、なにしろ住む家もないほどの無頼どもだから、悪事といっても知れたものなのだが、それだけに始末がわるい。  出没自在の身軽さで、土地《ところ》の目明しなど、いつも臍《ほぞ》を噬《か》まされている。本所深川には大名・武家の下屋敷(別邸)が多く、その中間《ちゅうげん》部屋の博奕《ばくち》場へもぐりこみ、寝泊りしたりしているらしい。  他人を強請《ゆすり》にかけるとか、手間暇をかけて金にするとかいうのでもない。彼らは一に暴力をもって悪事をする。女を犯す。通りがかりの人を取りかこみ、いきなり叩《たた》き撲《なぐ》って財布を奪い、たちまちに消える。店へ飛びこんで来て、物もいわずに売りあげの金を掻《か》っ払う。無銭飲食をやってのける。  これが江戸市中の繁華な場所でやるのならともかく、当時の本所深川は江戸市中というよりも、むしろ郊外のおもむきがあって、それだけに、お上《かみ》の眼もとどきかねるところがあるのだ。  こうした無頼どもの数が、近ごろはめっきりと増え、奉行所も手がまわりかねている。  いつだったか、深川・蛤町《はまぐりちょう》の御用聞きで吉兵衛というのが、 「あいつらをいちいち捕まえていたら、伝馬町《てんまちょう》(牢獄《ろうごく》をさす)が、いくつあっても足りゃあしねえ」  そういったとか……。  ところで、大首の仁助は、小づかいが不足し悪事にもつまってくると、かならず、腹ちがいの弟・又六の辻売り店へあらわれるらしい。 「否《いな》やも何もあるものじゃあございません。いきなり、又六さんを撲りつけ、蹴倒《けたお》しておいてからに、売りあげを洗《あら》いざらい、鰻もみんな、掻っぱらって引きあげて行くのでございますよ」  と、茶店の老婆が秋山父子へ語った。  風が出てきはじめ、汐《しお》の香が濃くただよってきた。  しきりに、鴉《からす》が鳴いている。 「あれっ……」  しゃべり終った老婆が、「いま、熱い茶《の》を……」と、行きかけたとたんに彼方《かなた》を見やって、 「旦那。出て来ましたよ、久しぶりで……あいつが、大首の仁助でございますよう」  と、いった。      六 「てめえ、このところ、何処《どこ》へ消えてやがった。平井新田の小屋へおふくろを残して、どこを、ほっつき歩いていやがったのだ」  大首の仁助が、青ぐろく浮腫《むく》んだ海坊主《うみぼうず》のような顔を、又六の前へ突き出してそういったとき、又六は無言で手早く、売りあげの銭を胴巻へしまいこんだ。 「ふ……この野郎。今日は妙なことをしやあがる」  仁助が、ちょっと戸惑いの表情をうかべ、うしろについている二人の手下を振り向き、くすり[#「くすり」に傍点]と笑ってみせた。  いつもなら、あきらめきった顔を口惜《くや》しげに伏せ、紙を張った笊《ざる》の中の売りあげや鰻《うなぎ》を洗《あら》いざらい強奪して行く兄の、なすがままにしている弟なのである。  辻《つじ》売り鰻なぞ、出る場所は限られているし、店を出すからには土地の顔役へいちいちすじ[#「すじ」に傍点]を通さなくてはならぬ。又六も兄を恐れ、本所深川で数回、場所を変えてみたが、すぐに見つけられてしまい、結局は、この洲崎《すさき》弁天の橋のたもとがいちばん売れるので、はじめは兄の暴力に抵抗し、そのたびに、ひどい目にあったものだが……このごろは、すっかりあきらめているように見えた又六であった。  それが、どうだ。  仁助たちが近づいて来るのを見るや、すぐさま売りあげを仕まいこんだ。  二人ほど、焼きあがる鰻を待っていた客が、仁助たちを見て逃げた。 「野郎、やい、又。てめえ、しゃれたまね[#「まね」に傍点]を……」  つかみかかろうとする大首の仁助の前で、又六が双肌《もろはだ》ぬぎになったものだ。 「う……」  仁助が、ぎょっとなった。  むっくりとした弟の、色白の肌に、刀痕《とうこん》十数ヵ所。いずれも皮一枚の浅手ながら、受けたばかりの傷であるから、実に生なましい。  仁助の手下ふたりが立ちすくみ、顔を見合せた。  早くも又六が、用意の棍棒《こんぼう》をつかんで、仁助をにらみつけた。  半月前までの、仁助への恐怖はまったく消えていた。  はじめ、仁助が木場の河岸《かし》道をこちらへやって来るのを見たときは怖かった。  それなのに、むしろ彼らが近づくにつれ、いつの間にか恐怖が消えた。  自分の裸身を刀で切ったときの、秋山小兵衛・大治郎父子の顔にくらべたら、仁助の巨体もおどろおどろ[#「おどろおどろ」に傍点]しい無気味な顔も、何やらぶよぶよ[#「ぶよぶよ」に傍点]とした青ぐろい肉のかたまりにすぎないではないか……。  又六は、小兵衛と大治郎からいわれたとおりに双肌をぬぎ、棍棒をつかみ、これを正眼《せいがん》にかまえた。  小兵衛は又六に、 「はじめから終りまで、一言《ひとこと》もいうな。人というものは口に言葉を出すと、それだけちから[#「ちから」に傍点]がぬけるものよ。何事につけ、そうなのじゃ」  と、念を入れてあった。  又六は、そのとおりにしている。 「や、や、野郎……」  腕をまくって凄《すご》んでみせたが大首の仁助の声に、ちから[#「ちから」に傍点]が失《う》せた。 (なあんだ、兄きは、こんなやつだったのか……)  又六は、いよいよ落ちついてきた。  それはそうだろう。  まる十日の間、大治郎の道場へ泊りこみ、秋山父子の真剣をもってのすさまじい居合いやら、無外流《むがいりゅう》の奔放をきわめた型を見せてもらったり、時がくれば柱へ縛りつけられて肌身を切られる。それが終ると、やさしく介抱され手当をしてもらい、熱い汁と熱い飯をたっぷりと食べさせてもらい、大治郎に、いろいろと剣術のはなしをきき、ぐっすりとねむる。  たとえ十日にしても、こういう生活をして来た又六から見ると、大首の仁助なぞは、まったく、 「虫けら」  そのものに見えてきたのであった。  仁助が、がたがたとふるえ出した。  ふところへ右手を突っ込んだのは短刀《あいくち》でも抜いて弟を威《おど》そうつもりだったのであろうが、その短刀も抜ききれない。  遠巻きに、人だかりがして来た。  いつもなら、人だかりがする前に、鰻と売りあげを掻《か》っ払って消えている仁助たちであった。  人だかりがして来ると、二人の手下は、仁助を捨てて、こそこそと姿を隠してしまった。 「や、野郎……」  又六は、こたえない。  にらみつけていた又六の眼が、いつしか涼やかに仁助を見つめ、瞬《まばた》きもせぬ。 「あ……う、う……」  仁助が、ぱくぱくと口をうごかし、縁台へかけていた片足をおろしてしまった。  そのとき又六が、小兵衛から念押しをされていたにもかかわらず、腹ちがいの兄へ声をかけた。 「兄さん。もう、来ねえがいいよ」 「う……」 「まじめにはたらきなよ、これからは……」 「う……」 「そしたら、平井新田のおれの家《うち》へも、あそびに来てくんねえ」  ふらふらと、大首の仁助が後へ退り、虚脱状態となって、河岸道を何処かへ消えて行った。  又六は棍棒を捨て、何事もなかったように、また、鰻を焼きはじめた。  これを、いつの間にか橋をわたり、人だかりに隠れて見ていた秋山小兵衛が、大治郎に、 「やったのう、又六」 「はい」  父子《おやこ》は、木場の河岸道を歩みつつ、 「わずか十日でも、あれほどのことは、できるのだな」 「さようで」 「お前もよくやったのう」 「父上にも、御苦労をおかけいたしまして……」 「礼の酒を忘れるなよ。あは、はは……」 「明日かならず……ところで、父上」 「なんじゃ?」 「あの又六から、五両の礼金をうけとるのは、いささか心苦しくおもいますが……」 「ばかな」  小兵衛が舌うちをして、 「あいつはこれから五両はおろか、十両も五十両も稼《かせ》げる男になったのだ。あれだけのちから[#「ちから」に傍点]をつけてやって、五両なら安い」 「はあ……」 「すこしは、商売気を出せ。お前だとて、又六の肌身を切ったときには、真剣勝負そのものの心構えであったはずじゃ」 「はい」 「五両なら安い、安い」  どこかで、堀川をわたる舟から船唄《ふなうた》がきこえてきた。  夕暮れも近い空から、はらはらと雪が落ちて来た。 「のう、大治郎」  秋山小兵衛が、さもうれしげに、たのしげに、こういった。 「あの又六とは、これからも仲よくしてやれよ」  雪空の下で、又六は懸命に鰻を焼いていた。  こういう天気の日暮れには、よく鰻が売れるのである。     三冬《みふゆ》の乳房      一  安永七年(一七七八年)も押しつまって、頓《とみ》に寒気がきびしくなった。  その夜。  女武芸者の佐々木三冬は、しばらくぶりで、根岸の、和泉屋《いずみや》の寮(別荘)へ帰った。  このところ、三冬は、父・田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》の屋敷に泊ることが多く、剣術の稽古《けいこ》は、湯島五丁目に立派な道場をかまえる金子孫十郎|信任《のぶとう》のもとでおこなっている。  それというのも、この夏のはじめに、田沼意次が毒殺されかかった事件があって以来、三冬は、父の身が案じられてならぬらしい。  あの事件[#「あの事件」に傍点]があってから、幕府最高の役職に任じ、最大の権力をわが手につかみかけている父の、おもいもかけなかった人間性と、政治家としての大きさを、三冬は知りかけてきていた。  これは、秋山大治郎が飯田|粂太郎《くめたろう》少年から耳にしたことであるが、 「時折、殿様が夜おそい御帰邸のときは、三冬さまが御|駕籠《かご》わきへ、つき添っておられるそうです」  とのことだ。  それをきいたとき、秋山小兵衛は、 「田沼様は、さぞ、うれしかろうな」  と、つぶやいたものである。  この日の夕暮れに……。  三冬は、亡《な》き実母おひろ[#「おひろ」に傍点]の実家である下谷《したや》五条天神門前にある書物問屋〔和泉屋|吉右衛門《きちえもん》〕方へ立ち寄った。  いまは亡きおひろは、かつて田沼屋敷へ侍女奉公をしているうち、意次の手がつき、三冬が生まれたのである。  三冬は、意次から、 「和泉屋へまいって、この書物をさがしてもらってくれ」  と、たのまれ、意次が自らしたためた書目《しょもく》を持参し、和泉屋へあらわれたのだ。  当主の吉右衛門は、おひろの実兄だから、三冬にとっては伯父にあたる。 「このごろは田沼様御屋敷へ、ずっと御逗留《ごとうりゅう》だそうで。何よりのことと、よろこんでいますよ」  と、吉右衛門は、わが姪《めい》ながら、老中・田沼意次のむすめでもある三冬には、ことばづかいも丁寧なものである。 「それはよいのですがな、おかげで根岸《ねぎし》の留守番をしている嘉助《かすけ》が、さびしがっておりますよ」 「では伯父さま。今夜は久しぶりで、嘉助に顔を見せてやります」  夕餉《ゆうげ》を馳走《ちそう》になり、三冬が和泉屋を出たのは五ツ(午後八時)をまわっていたろう。  女ながら井関一刀流の剣士で、颯爽《さっそう》たる男装の三冬だけに、夜歩きをしたところで案ずることもない。  すらりとした体を黒の小袖《こそで》と茶宇縞《ちゃうじま》の袴《はかま》につつみ、細身の大小を腰にした若衆髷《わかしゅわげ》の佐々木三冬は、むらさき縮緬《ちりめん》の頭巾《ずきん》をかぶり、上野山下から車坂《くるまざか》へ出て、坂本通りを北へすすみ、坂本二丁目と三丁目の境の小道を西へ切れこんで行く。 (あ……そうじゃ。ちょうど、去年の今ごろであった……)  三冬は、要伝寺《ようでんじ》の前へさしかかったとき、おもい出した。  あの夜。この先の木立の道で、三冬は四人の曲者《くせもの》の奇襲をうけ、あやうく重傷を負うところを、秋山小兵衛に助けられた。 (あのとき、わたしは小兵衛先生を、はじめて見たのだった……)  三冬の、小兵衛老人へ対する思慕の念は、いまもって消えはせぬ。いや、いよいよ強い。  だが、いかに小兵衛を慕ったところで、どうにもなるものではない。そして、自分と同年のおはる[#「おはる」に傍点]を小兵衛が嫁にしていることなど、三冬は夢にも考えていなかった。  小兵衛が三冬を見る眼《まな》ざしは、まるで、自分のむすめに対するようなものだし、三冬自身も、それは、さすがに感得できるのである。 (いかに、わたしが秋山先生を、お慕いしたとて……どうにもならぬことじゃ)  なればこそ、小兵衛に会うのが辛《つら》い。  三冬は胸ひとつに秘めた恋の苦しさに堪《た》えながら、わざと、小兵衛を訪ねようとしないのであった。  去年の今ごろ、曲者に襲われた寛永寺《かんえいじ》領地の木立の前を行きすぎると、根岸の田園風景が師走《しわす》の闇《やみ》の底に沈んでいた。  畑や田圃《たんぼ》、木立、小川のながれ、小鳥の囀《さえず》り、そして諸家の寮……これが、根岸である。  三冬が住む和泉屋の寮は、庭上の藤《ふじ》が有名な宝鏡山《ほうきょうざん》・円光寺《えんこうじ》の南側にある。  曲りくねった小道の両側が深い竹藪《たけやぶ》で、ここをぬけると、老僕・嘉助が待つ寮の裏手に出る。  佐々木三冬が、この竹藪の道へさしかかったときであった。 (や……?)  三冬は、人の悲鳴をきいたようにおもった。  立ちどまって屈《かが》み、耳をすませた。  何か、異常な物音が竹藪の彼方《かなた》にきこえ、すぐに熄《や》んだ。 (もしや……?)  それは、和泉屋の寮の方角できこえたものだ。  大刀の鯉口《こいぐち》を切り、三冬が駆け出そうとしたとき、竹藪の向うから数人の足音が近づいて来た。  咄嗟《とっさ》に、三冬は提灯《ちょうちん》を吹き消し、竹藪へ身を潜めた。  と……。  一挺《いっちょう》の駕籠をはさんで四人の男が、竹藪の道へあらわれた。  四人とも布で顔をおおい、裾《すそ》を端折《はしょ》り、脇差《わきざし》を差しこみ、手に棍棒《こんぼう》を持っている奴《やつ》もいる。  剣術の修行に鍛えられた佐々木三冬の眼力は、常人のそれ[#「それ」に傍点]とくらべものにはならぬ。  闇の中に、この怪しげな一団を見きわめた三冬が、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と竹藪から躍り出し、 「その駕籠、待て!!」  と、叫んだ。      二  駕籠舁《かごか》きをふくめて六人の男どもが、三冬の出現におどろいたのは当然であった。  三冬は、両腕をひろげて道に立ち、 (ただの一人も……)  通さぬかまえである。  先頭にいた大男が、手にした弓張提灯《ゆみはりちょうちん》を、三冬の顔へさしつけるようにして見て、 (なあんだ。女のような若僧ではねえか……)  と、おもったらしい。肩をゆすった大男が、 「退《ど》け」  威《おど》しつけてきたものである。  他の男たちも、三冬を見て、急に体勢が変り、駕籠の傍に一人を残しておき、残る三人が棍棒《こんぼう》をつかみなおし、三冬のまわりを取り囲むかたちになった。 「その、駕籠の中をあらためたい」  三冬が両腕をおろし、しずかにいった。 「なんだと。汝《われ》に、そんなことをいわれるおぼえはねえ」  と、大男。 「いやか……いやならば、わたしがあらためるぞ」  そのとき、早くも三冬の背後へまわっていた男が、 「ぐずぐずしては、いられねえぞ。早く、こいつを……」  と、大男にいいかけた。 「あらためるぞ」  同時に、三冬が一歩二歩と踏み出した。 「こいつめ!!」  大男が、三冬の正面から片手の棍棒を打ちこもうとしたとき、佐々木三冬は反転して、背後の曲者《くせもの》の胴を抜き打ちに撃ちはらった。 「ぎゃあっ……」  もちろん峰打ちであったが、こやつは魂消《たまぎ》るような悲鳴を発して転倒する。  三冬が、突風のごとくうごいた。 「うわ……」  たちまちに別の一人が、もんどりをうって転げ倒れる。  大男は狼狽《ろうばい》した。 「に、逃げろ」  うしろの駕籠へ声をかけておいて、もう夢中となり、三冬へ打ってかかった。大男が片手にもっていた弓張提灯が道へ落ち、めらめらと燃えあがる。  大男が棍棒を落し、両腕を夜空へ突きあげるようなかたちとなり、 「むうん……」  呻《うめ》いて、前のめりに倒れ伏した。三冬の峰打ちを、したたか腹へうけたのである。  もの[#「もの」に傍点]もいわずに、駕籠舁き二人と最後に残った曲者一人が、駕籠を置き捨てて、竹藪《たけやぶ》の中へ逃げこんで行った。  駕籠に縄がまわしてある。三冬はこれを切って放し、中をあらためて見て、 (や……?)  女である。  かたく猿轡《さるぐつわ》をかまされ、目かくしまでされ、両手両足も縛られ、気をうしなっていた。  さらに、たしかめて見て、 (これは、山崎屋のむすめごじゃ)  と、わかった。  江戸城・山下御門前の山下に店舗を張る小間物問屋〔山崎屋|卯兵衛《うへえ》〕の寮は、三冬が住む和泉屋《いずみや》の寮と道をへだてて向い合っている。  山崎屋の寮は、寮番の老夫婦がいたきりであったが、半月ほど前に、山崎屋卯兵衛の次女のお雪が、病後の静養にというので、寮へ移って来たことは、三冬も知っている。そのころ一度、三冬は根岸へ帰って来て、老僕・嘉助からきいたのだ。  その翌朝。  三冬が父の屋敷へ帰ろうとし、山崎屋の寮の前を通ると、竹垣の向うの庭に、美しいむすめが立っているのが見えた。  眼と眼が合い、むすめが三冬に目礼をした。そのむすめのうなじ[#「うなじ」に傍点]へ、見る見る血がのぼってくるのを三冬は見た。 (桃の花びらのような……)  美しさだ、と、三冬はおもった。  山崎屋のむすめ・お雪は、和泉屋の寮にすむ三冬のことを、かねて、寮番の夫婦からきいていたものであろう。  そのとき、寮番夫婦ではない中年の、山崎屋の店《たな》の者らしい男が何かあわてた体《てい》で庭へ出て来て、きびしい表情で何かお雪にいいながら、じろじろ[#「じろじろ」に傍点]と三冬を見やり、お雪を急《せ》きたてて家の中へ入ったのが不快であったことを、いまも三冬はおぼえている。  佐々木三冬が、お雪を駕籠から助け出したとき、先に三冬の一刀を受けた曲者ふたりが息を吹き返し、苦痛をこらえながら、這《は》うがごとくに逃げ出した。  三冬は、これにかまわなかったが、つづいて、件《くだん》の大男も息を吹き返したのを見るや、駆け寄ってぐい[#「ぐい」に傍点]と当て落し、ふたたび大男を失心せしめ、駕籠にまわしてあった縄で大男の手足を縛りあげ、目かくし猿轡をかませ、これを竹藪の中へ蹴込《けこ》んでおき、あらためて、お雪を抱きあげた。 「あ……」  お雪が息を吹き返し、叫びかけるのへ、三冬が、 「案じることはない。和泉屋の寮に住む者じゃ」  と、いった。  お雪を救った三冬が、山崎屋の寮へ行ってみると、大変なことになっていた。  曲者どもの仕わざであろうが、寮番の老夫婦も中年の男も、屈強の若い下男も、棍棒で強打され、この中で彼らに抵抗したとおもわれる下男は撲殺《ぼくさつ》されていた。  いましも、中年の男がよろめきつつ、助けを呼ぼうと道へ出て来たところへ、三冬がお雪を抱いてあらわれたものだから、 「あ、ああっ……」  よろこびと驚愕《きょうがく》のあまり、またしても気をうしなってしまったほどだ。  老僕・嘉助は、これだけのさわぎも知らず、ぐっすりとねむりこんでいたという。  三冬は、中年の男(山崎屋の番頭・伊平)とお雪を和泉屋の寮へ移し、嘉助に命じて戸締りを堅くさせ、自分は山崎屋の寮番をつれ、竹藪へもどり、まだ息を吹き返さぬ大男を引きずり出し、これを寮番の老爺《ろうや》に背負わせ、寮へもどった。  大男は、裏手の物置へ押しこめられ、板戸は釘《くぎ》づけにされた。  三冬のはたらきは、実にす[#「す」に傍点]早かった。  さらに三冬は、秋山小兵衛へあてた手紙をしたため、夜が明けると共に、これを嘉助に命じて小兵衛の隠宅へとどけさせた。  秋山小兵衛が、息《そく》・大治郎の道場にもどった飯田粂太郎少年をつれ、嘉助と共に和泉屋の寮へあらわれたのは、翌朝の五ツ半(午前九時)ごろだ。 「わざわざ、おそれいりました。私が此処《ここ》をはなれては、むすめの身に、またしても危ういことが起らぬともかぎりませぬので……」 「なんの、かまわぬことじゃ。それで、いま、山崎屋のむすめというのは、どこに?」 「先程、迎えがまいりまして、駕籠に乗せ、これを店の者が十名ほども取り巻くようにし、山下御門前の店へ引きあげて行きましたが……」 「ほう。ものものしい[#「ものものしい」に傍点]ことではないか」 「はい。この寮へ、病気養生にまいった、とも思われませぬ。何やら、ふかい事情《わけ》あって、身を隠していたようにも……」 「それは、どういう……?」 「わかりませぬ。むすめのお雪は、私に何やら語りたげな様子でございましたが、店の者が片時もはなれませぬ。その店の者に問うても、ただもう、おぼえのないことと申すのみにて……」 「曲者どもに襲われたことに、おぼえがないと?」 「はい。なれど、そうはおもえませぬ。番頭も店の者も、いぶかしげに落ちつかぬ体でございました」 「ふうむ……」 「間もなく、山崎屋の主人《あるじ》が、昨夜の礼にまいるとかで……いちおう会《お》うて見て、様子を聞き質《ただ》してみようともおもいますが……先生、余計なことでしょうか?」 「ま、ともかく……」  と、腰をあげた秋山小兵衛が、こういった。 「その、物置へ押しこめてあるという大男の面《つら》を、ちょいと見てやろう」      三  物置の戸を外すと、なんともいえぬ異臭が鼻をついた。  大男が息を吹き返し、汚物を猿轡《さるぐつわ》ごしに吐瀉《としゃ》したり、尾籠《びろう》なことだが、手足の自由がきかぬままに大小便をもらしたりしたからである。 「井戸端へ引きずり出せ」  小兵衛が粂太郎少年にいった。  そのままの姿で、裏手の石井戸の傍へ引き出された大男は、粂太郎少年がたてつづけにあびせかける水を全身にうけて、もう生きた心地もしないらしい。  大男は、燻《くす》んだ色の着物の裾《すそ》をからげているだけで、髪のかたちもくずれてしまっているし、どのような種類の男なのか、三冬や粂太郎には見当もつかぬ。  だが、小兵衛は、折り曲げた体を、まるで瘧《おこり》のようにふるわせている大男を、しばらく凝視していたが、ずばり[#「ずばり」に傍点]と、 「お前は、どこの中間《ちゅうげん》部屋の者だ?」  と、訊《き》いた。  大男が、びくり[#「びくり」に傍点]と小兵衛を見上げた。  萎《な》えきった眼の色である。三日も食べぬ野良犬《のらいぬ》のようであった。  大男は、猿轡の内で、わずかに呻《うめ》いた。 「お前の主《あるじ》の名は何という?……どこの大名だ?」 「う……う……」  三冬も粂太郎も、これまでの小兵衛の遣《や》り口から見て、ここで一気に、この大男を責めつけ、泥を吐かせてしまうに、 (ちがいない……)  と、おもったらしい。  ところが、ちがった。  秋山小兵衛は、 「粂太郎。こやつを、もう一度、物置へ叩《たた》きこんでおけ」  と、命じた。  ぬれ鼠《ねずみ》となった体もそのままに、大男はふたたび、物置へ投げこまれた。 「粂太郎。戸を釘《くぎ》づけにしておけよ」  と、念の入ったことではある。  そうしておいて小兵衛は、四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き・弥七《やしち》へあてて手紙をしたため、これを粂太郎に、 「急ぎ、とどけてくれ」  と、いった。  飯田粂太郎が四谷へ向った後も、小兵衛は和泉屋の寮からうごかなかった。 「三冬どのよ」  と、小兵衛が、 「深入りをしてもはじまらぬとおもうのなら、手を引いたがよい」 「は……」  三冬が考えこんでしまった。 「どうしたな?」 「は……それもよいと、おもいますが、あの……」 「あの?」 「山崎屋のむすめ、お雪と申す……」 「可哀相《かわいそう》に見ゆるかな?」 「はい。なんとなく……」 「ふむ。三冬どのがそういうのなら、わしも、退屈しのぎに一肌ぬがずばなるまい」  そこへ、お雪の父・山崎屋卯兵衛が番頭の伊平をつれて、礼をのべにあらわれた。  伊平は、頭に包帯をしている。 「わしは、出ぬほうがよい」  と、小兵衛は次の間へ入った。  山崎屋卯兵衛は、まだ五十前の年齢だそうだ。でっぷりと肥えているのだが、顔色《がんしょく》が冴《さ》えない。青い、というよりも紙のような白さであった。顔だちは尋常にととのい、おとなしげに細い眼を伏せて、番頭・伊平が三冬にくどくど[#「くどくど」に傍点]と礼をのべるたびに、あたまを下げる。  礼の口上は、ほとんど伊平がのべた。  といっても、 「危ういところをお助け下されまして、まことにかたじけなく、ありがたく……」  の、くり返しにすぎない。  卯兵衛も伊平も、くわしい事情を語ろうとはせず、あくまでも、見知らぬ暴漢どもに襲われたことにしておきたいらしい。  三冬は、小兵衛からいわれたとおりに、深く穿鑿《せんさく》をしようとはせぬ。  帰りぎわに、伊平がおそるおそる、三冬へきいた。 「昨夜の……あの、大男は、まだ物置にいるのでございましょうか?」  言下に、三冬がこたえた。 「いや、先程、つい、油断をしていた隙《すき》に、逃げられてしもうた」 「さ、さようで」  伊平の喉《のど》が、生《なま》つば[#「つば」に傍点]をのみこんだ。  残念がっている様子ではなく、伊平はそのとき、なんともいえぬ表情をうかべた。  山崎屋卯兵衛は、凝《じっ》と、うつむいたままである。  山崎屋主従は、それから間もなく帰って行った。  礼のしるしにといって、山崎屋は、麹町《こうじまち》七丁目の菓子舗・大和屋《やまとや》の、〔窓の月〕という京菓子の大箱を置いて行ったものである。  次の間からあらわれた秋山小兵衛が、にやりとして、 「三冬どの。中に小判が入っているじゃろう」  と、いう。 「え……まさか……」 「開けてごらん」 「はい」  開けて見ると、まさに、小判で五十両が菓子の下に敷きならべてあった。 「これは、いかがいたしましたら?」 「ま、あずかっておきなさい」 「なれど、このような……」 「いまは、返さぬほうがよい」 「では、そういたします」  いつの間にか、日ざしが弱まってきていた。  庭の何処《どこ》かで、コツコツと、小石を打ち合せているような鶲《ひたき》の鳴き声がしている。      四  四谷の弥七が、下っ引の傘《かさ》屋の徳次郎をつれ、飯田粂太郎の案内で根岸へやって来たのは、とっぷりと暮れてからであった。 「おお、弥七。すまなかったのう。いま、さしせまった御用はないのかえ?」 「はい。大丈夫でございますよ」 「ま、こっちへ来ておくれ」  と、小兵衛が奥の間へ弥七をさそっておいて、粂太郎少年に、 「お前は、もう帰っていいよ。ついでに、わしのところへ寄ってな、帰りは明日の朝になると、おはる[#「おはる」に傍点]につたえておいておくれ」 「心得ました」  粂太郎は帰って行った。  奥の間で、小兵衛が弥七、徳次郎と密談をかわしている間に、老僕・嘉助が夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》をととのえた。  豆腐汁に鮒《ふな》の甘露煮《かんろに》だけの簡素な膳であったが、嘉助は香の物の沢庵《たくあん》を薄打《うすうち》にし、これへ生姜《しょうが》の汁をしぼりかけたものを出した。 「こりゃあ、うまい。器用なまねをするではないか。よし、よし……」  その香の物によろこんだ小兵衛が、〔こころづけ〕を紙に包んで嘉助へあたえた。  そして……。  かれこれ五ツ半(午後九時)ごろになったとき、 「そろそろ、よいだろう」  と、小兵衛が弥七にいった。 「では……」  弥七は徳次郎へめくばせ[#「めくばせ」に傍点]をし、共に外へ出て行く。 「秋山先生。これから、何がはじまるのでございますか?」  まだ、何もきかされていない佐々木三冬が、たまりかねていい出た。 「さて……まだ、何もこたえは出ぬのじゃが、まあ、わしは、こんなふうにやってみるつもりなのだ」  小兵衛が三冬に、ひそひそと語りはじめた。  そのとき、弥七と徳次郎は寮の裏手へ出ていた。 「徳。ぬかるなよ」  と、弥七がささやいた。 「合点です」  傘屋の徳次郎は、庭から垣根を躍りこえ、道をへだてた竹藪《たけやぶ》へひそみ隠れた。  黒布で顔をおおった四谷の弥七は物置へ近づき、釘《くぎ》づけにしてある戸を開けにかかった。手にした釘ぬきで、弥七はたちまち戸を開け、するりと中へ入って、異臭に顔をしかめた。 「おい、おい……しっかりしねえか」  つくり声をかけ、大男を縛っていた縄を切りほどいてやると、 「だ、だれだ?」  かすれた声で、大男がきいた。 「だれでもいい。さ、早くしろ。早く逃げねえ」 「い、いいのか?」 「いいも悪いもあるものか、早くしろ。お前、歩けるか?」 「む……な、何とか……」 「わけあって、おれはいっしょに逃げられねえ。気をつけて行けよ」  自由にしてやった大男の体を抱えて垣根の下へ行き、両手を地について屈《かが》みこんだ弥七が、 「さ、おれの体を踏台にして、垣根をこえろ」  すると、そのとき大男が、こんなことをいい出したものだ。 「お前さんは、山崎屋から、おれを助けろとたのまれたのか?」 「む……」  とっさに、うなずいた弥七が、 「ま、そんなところだ」 「そうか……山崎屋の旦那《だんな》へ、よろしくいってくれ」 「よし、よし」  大男は、弥七の背を踏台にして、垣根の外へ転げ落ち、それでも必死に立ちあがり、闇《やみ》の中へ消えて行った。  そのあとを、傘屋の徳次郎がつけて行ったことはいうまでもない。  家の中へ、もどって来た弥七に、秋山小兵衛が、 「うまく、やったか?」 「はい。あの男が逃げるとき、妙なことを申しましたよ、先生」 「何と……?」 「山崎屋から、たのまれたのかと……」  これには、小兵衛もおどろいたらしい。  おもわず、三冬と顔を見合せ、 「ふうむ……」  と、うなった。  傘屋の徳次郎がもどって来たのは、夜半である。 「徳。やつ[#「やつ」に傍点]は、どこまで行った?」 「へい。巣鴨《すがも》まで……」  すると小兵衛が、 「どこの屋敷だったな?」 「藤堂《とうどう》さまの御屋敷でございました」  伊勢《いせ》の国・津《つ》の城主(三十二万三千九百五十石)藤堂|和泉守《いずみのかみ》の下屋敷が巣鴨にある。大男は、そこへ入って行ったというのだ。 「あいつは、藤堂さまの中間部屋にいるのでございますね。潜門《くぐりもん》を叩《たた》くと、中から一人、二人出て来た中間が、すぐに、あいつを引き入れましてございますよ」 「そんなことだろうとおもったよ。どうも、あいつを見たとき、渡り中間のような気がした。わしの勘ばたらきが当ったな」  大名の下屋敷は別邸である。公邸の上屋敷にくらべるとのんびりしたものだし、渡り中間たちの居住区である中間部屋は夜になると博奕《ばくち》場と化す。むろん例外はあるけれども、近年の大名屋敷の内側は、はかり知れぬほどに腐敗しているそうな。  中間は、武家の足軽(兵卒)の下位にある奉公人だけれども、一種の雇人であるから、口入れを通じて諸方の大名屋敷や武家屋敷を渡り歩く者がほとんどだ。  彼らの多くは、世の中に擦《す》れ枯《か》らして、酒と博奕が飯より好きであり、それが奉公先の大名や武家の威勢を借り、 「うまい汁は、吸えるだけ吸おうという……」  ことになる。  奉公先の大名家でも、それはわかっているのだが、彼らの手がないと公私にわたる日常の〔下ばたらき〕が、どうにもならぬ。 「さて、藤堂侯・下屋敷の中間というのなら、昨夜、駕籠《かご》につきそっていた他の三人も、おそらく同じ藤堂侯の……」 「そうらしゅうございますね」  と、弥七。 「だがな、弥七。今度の事件《こと》は、別に藤堂家とかかわり合いがあるわけではない、と、わしはおもう」 「さようで。何しろ、金になることなら、眼の色を変えて飛びつく連中でございますから……」 「すると、だれかが、藤堂屋敷の中間を金でさそい、山崎屋のむすめを勾引《かどわか》そうとしたわけじゃな」  三冬が、美しい眉《まゆ》をよせ、 「秋山先生。では、私の父の屋敷の中間たちも、そのような……?」 「ふ、ふふ。たまさかには、田沼様・御下屋敷の中間部屋をのぞいてごらん」  剣をとれば四人の無頼者を手玉にとる女武芸者ながら、こういうところは佐々木三冬、まだまだ世情に疎《うと》い。 「さて、そうなると……」  いいさして小兵衛が、弥七と三冬を見やった。  そうなると、大男の中間が逃走する間ぎわに、四谷の弥七へ、 「山崎屋にたのまれたのか。旦那へよろしく」  と洩《も》らしたことばが、問題となってくるではないか……。  つまり……。  江戸城の大奥へも出入りをゆるされているほどの富商・山崎屋卯兵衛が、こともあろうに大名屋敷の渡り中間どもを金でさそいこみ、おのれのむすめを何処かへ誘拐《ゆうかい》しようとしたことになる。  これは、異常なことではないか。 「弥七。明日は山崎屋を洗ってみておくれ。そしてな、藤堂家と山崎屋のこともな。おそらく山崎屋は、藤堂家へも品物をおさめているにちがいないと、わしはおもう」 「承知いたしました。では、私と徳は、これで……」 「帰るか、夜中じゃぞ」 「そこは、お上《かみ》の御用をつとめる者でございますよ」 「なるほど……」  うなずいた秋山小兵衛が、いつになく伝法な口調で、 「ちげえねえ」  と、いった。  三冬が、眼をみはった。  この夜。小兵衛は、寮の奥の間にねむった。三冬は次の間に、老僕・嘉助は、いつものように台所に接した小部屋でねむった。  秋山小兵衛は夜具に埋まって、となりの部屋に寝ている佐々木三冬の深いためいき[#「ためいき」に傍点]を何度もきいた。  空が白むまで、三冬はねむれなかったようである。      五  翌日の夕暮れ近くになってから、御用聞きの弥七が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の小兵衛隠宅へ駆けつけて来た。 「先生。どうも遅くなってしまいまして……」 「御苦労。遅くなったところをみると、さぐり[#「さぐり」に傍点]をかけた甲斐《かい》があったらしいな」 「さようで」  弥七は、傘屋の徳次郎以下三名の下っ引をつかって、山崎屋卯兵衛方の様子をききこんだわけだが、このようなことは、弥七たちの十八番であるから、一つ手がかりさえつかめば、つぎつぎに糸がほぐれてくる。  山崎屋は、江戸城・大奥をはじめ、相馬《そうま》・蜂須賀《はちすか》・西尾などの大名家にも出入りをゆるされてい、小兵衛が予想したごとく、藤堂和泉守の用達《ようたし》をもつとめていることがわかった。 「いまのあるじの卯兵衛は養子だそうで、なんでも小僧からつとめあげ、二十七、八のときに番頭の末席へ上ったのだそうでございますよ」  と、弥七がいった。 「ほう……山崎屋ほどの大店《おおだな》が、よく、小僧あがりの男を養子にしたものだの」 「それが先生。卯兵衛の前に同業の伊勢屋勘右衛門の次男で由太郎というのを養子にし、ひとりむすめのお幸と夫婦にさせたのですが、これは間もなく病死してしまったのだそうでございますよ」 「なるほど」 「女がひとりうまれていましたが、これも十か十一で病死をしたそうで」 「それで、卯兵衛を二度目の養子にしたというわけか……」 「卯兵衛と、後家になったお幸ができ[#「でき」に傍点]てしまい、お幸がお雪をみごもったので、それでは仕様もないというので、先代がゆるしたのだそうです」 「先代は、もう死んでいるのかえ?」 「いいえ、とんでもない。間もなく七十になろうというのに、ぴんしゃん[#「ぴんしゃん」に傍点]と元気で、いまも、この隠居がことごとに口を出し、卯兵衛もあたまがあがらぬそうでございます」  お幸は、おとなしい内儀だそうで、卯兵衛によくつかえているらしい。  けれども何しろ、隠居の先代が口やかましいので、当主としての卯兵衛の顔がつぶれることも、めずらしくないそうである。  店の経営についても先代の眼が絶え間なく光っており、その権力が強いので、番頭たちも親類たちも、 「先代をぬき[#「ぬき」に傍点]にしては、何につけ、事をはこべないと、ききました」 「弥七。それでは卯兵衛も、さぞ、おもしろくないことだろうな。そういえば昨日、三冬どのへ礼にあらわれたときも、口上は番頭の伊平にのべさせ、おのれは妙に陰気くさく、眼を伏せてばかりいたようじゃよ」  と、小兵衛がいうや、弥七がひざ[#「ひざ」に傍点]を乗り出し、 「先生。その伊平だけが、養子のあるじの味方だったようでございます」  養子になる前の卯兵衛と伊平は、同僚の番頭という間柄だったのであろう。  伊平のほうが、すこし先輩だったと見てよい。  それが一躍、卯兵衛が山崎屋の養子にすわり、やがて主人となった。  そのときから二人は主従の関係となったわけだが、そうなって尚《なお》、二人の友情がつづいていたことになる。 「そうか。それで、伊平が卯兵衛をたすけ、お雪を根岸の寮へ隠した」 「ほとんど、伊平がつきそっていたようでございますね」 「そうらしい」 「ですが先生。ほんとうに、山崎屋卯兵衛が、出入り先の藤堂家の中間をつかって、おのれのむすめをかどわかそうとしたのでございましょうか?」 「それがためには、なんの罪もない下男がひとり、撲《なぐ》り殺されたわえ。もっとも殺すつもりではなかったのじゃろうが……」 「とすると、伊平も、わざと撲られたことになりましょうね」 「弥七。ま、早まるな。まだ、そうと、きまったわけではない」 「ごもっともで」 「卯兵衛をはじめ、伊平。それに藤堂家下屋敷への見張りに、ぬかり[#「ぬかり」に傍点]はあるまいな」 「大丈夫でございます。ですが、先生……」 「なんじゃ?」 「これは、私どもの役まわりになってきそうで……」 「うむ。町奉行所であつかう事件《こと》やも知れぬなあ」 「どういたしましょうか?」 「お前の意見は?」 「はい……」  弥七は、しばらく考えていた。町方《まちかた》のあつかいにするのなら、このことをいち[#「いち」に傍点]早く、弥七が属している与力や同心を通じ、町奉行所へとどけておくのが定例であった。  むろん、そうなれば捜査がしやすい。 「しかしな、弥七。これが表向きになると、何しろ江戸城をはじめ諸大名へ出入りの山崎屋のことゆえ、どのような飛び火をするやも知れぬし……その上、山崎屋の先代が金に糸目をつけずに手をまわせば、もしも卯兵衛に犯行《こと》あった場合、これを、もみ消されてしまうおそれ[#「おそれ」に傍点]もないとはいえぬな」 「なるほど……そこまでは、考えがまわりませぬでございました」  そうなったとき、 「小むすめのお雪に難儀がかかるようだと、可哀相《かわいそう》じゃな」  弥七が、くすくす笑い出した。 「これ、何がおかしい?」 「先生、よほど、御退屈のようでございますねえ」  苦笑した秋山小兵衛が、 「ま、なんとでも申せ」 「わかりました。それでは先生。私が先生のお手つだいを、ということにいたしておきましょう」  うなずいた小兵衛、手文庫から金五両を出して来て、 「探りの費用《ついえ》にしておけよ」 「こんなにいただきましては……」 「なあに、元手《もと》は、ちゃんととるから安心をしろ」 「では先生。頂戴《ちょうだい》しておきます」 「もう、行くかえ」 「はい。これから下っ引の連中と連絡《つなぎ》をとらなくちゃあなりません」 「よし。わしも、ここでは、いざというときに手まわりがきかぬゆえ、大治郎のところへ行っていよう。あそこなら飯田粂太郎もおるしな」 「では、おねがい申します」  弥七は急いで去った。  そこへ、おはる[#「おはる」に傍点]が台所から出て来て、 「先生。また、今夜もいないの?」 「うむ」 「せっかく、先生の好きな納豆汁《なっとうじる》を、こしらえようとおもったのによ」  さも不満げに頬をふくらませるおはるの、このごろはめっきりと肉置《ししお》きの充《み》ちてきた腰を下から抱きよせた小兵衛が、 「そりゃ、お前。ぜひとも食べさせてもらおうよ。それから出て行けばよいのじゃ」 「それだけじゃあ、いやですよう」 「なにを、どうしろというのじゃ?」 「だって……」 「だって?」 「もう、十日も……」  いいさして、おはるがまっ赤[#「まっ赤」に傍点]になった。 「あ、そうかえ、そうかえ」  ぽんとひざ[#「ひざ」に傍点]をたたいて小兵衛が、 「ではな、お前を、むしゃむしゃと食べてから、出て行けばよいのだろう」 「まあ……いやな先生だよう」 「よしよし。たがいに食べ合うた後で、お前もわしといっしょに大治郎のところへ行き、泊ればよい。もしやすると、お前にも手つだってもらわねばならぬ」 「うれしいよう、先生」 「さ、早く、納豆汁の仕度をせぬか」 「あい、あい」  だが……。  この夜は別に、何事も起らなかった。  このごろは、何か事件が起るたびに、 「くび[#「くび」に傍点]を突っこまずにはいられなくなった……」  父・小兵衛が、じりじりしながら弥七の報告を待つ姿をながめ、秋山大治郎は苦笑して、 「父上。お暇のときには、この道場へ来て、私に稽古《けいこ》をつけてはいただけませんか」  と、いった。 「お前に……」  小兵衛がぶるぶる[#「ぶるぶる」に傍点]とかぶりをふって、こたえた。 「お前はそもそも、辻平右衛門《つじへいえもん》先生にあずけたのだ。わしがいまさら……それにな、もう剣術はたくさんじゃよ。剣術よりも、この世に生きてあるさまざまな人間のほうがおもしろいわえ」      六  それから、七日ほどが経過した。  四谷の弥七は、一度もあらわれなかったけれども、傘屋の徳次郎が弥七の手紙をもって小兵衛の隠宅へ来た。 「……山崎屋からは目をはなしてはおりません。もうすこし、お待ち下さい」  と、弥七は手紙に書いてきている。  その手紙によると……。  山崎屋卯兵衛のむすめ・お雪の縁談がまとまっているらしい。  弥七が、山崎屋の手代で口が軽い音吉というのをうまく手なずけ、さそい出して小づかいをやり、酒をのませながらききこんだのである。  お雪の聟《むこ》になる男は、これも同業の小間物問屋で、神田|明神下《みょうじんした》に店がある吉野屋清五郎の次男・富太郎だそうな。  お雪が、吉野屋へ嫁に行くのではない。  富太郎が養子となって、山崎屋へ入るのだという。 「この縁談に、お嬢さんは、あんまり乗り気じゃないらしい。御隠居さんがひとりで、取りきめなすったようですよ」  と、音吉が弥七へもらしたそうである。 (弥七は、だいぶんに、深くさぐりを入れているらしい。いささか、深入りをしすぎているのではないか……これでは相手が感づいてしまい、かえって尻尾《しっぽ》を出さぬようになるのでは……?)  などと、小兵衛はひとり、気をもんでいた。  たしかに、山崎屋には内紛が起っていると見てよい。  それも、ごく、ひそやかにだ。  根岸の寮で撲殺された若い下男の定六のことは、むろん、お上へ届け出ているが、それはあくまでも、 「押しこみ強盗の仕わざ」  だということに、なってしまっているらしい。  これも、おかしい。  強盗ではないに、きまっているのだが、山崎屋では、そのように届けている。寮番の老夫婦も番頭・伊平も、おそらく口裏を合わせているにちがいない。  町奉行所も盗賊|改方《あらためかた》も、これを、 「ごくありふれた[#「ありふれた」に傍点]事件」  と見なして、ざっと調べをすますと、後はもう手を引いてしまったようだ。  根岸には、二人の御用聞きもいることだし、四谷の弥七が事件に介入することは、弥七としてもやりにくいが、 「お上が手を引いた」  となれば、おもうままに探りを入れられる。  それだけに弥七は、懸命になってきていたのである。  傘屋の徳次郎が、つぎに隠宅へ駆けつけて来たのは、十二月二十九日の昼前であった。 「大変でございます」 「どうした?」 「山崎屋のむすめが、行方知れずになってしまいましたんで……」 「何じゃと」 「今度は、いつの間にか、消えてしまったというんでございます」  あの事件以後、お雪は山下御門前の山崎屋へ帰り、先代の隠居が、 「婚礼を来春《らいはる》にひかえた大事な体じゃ。すこしぐらいの病気なら、何も寮へ行かなくてもよい。向後《こうご》、お雪を外へ出してはなりません」  きびしく、養子の卯兵衛に、いいわたしたとか。 「それで?」 「お雪は、奥の座敷にねむっていたそうでございますが、今朝になってみると、寝床がもぬけ[#「もぬけ」に傍点]の殻だったそうで。さすがに山崎屋では大さわぎをしております」 「お前たちも、夜通し、山崎屋を見張るわけにもゆかなんだろうし……」 「四谷の親分は、うまいこと、かどわかされたのかも知れねえといってなさいますが……」 「それで、弥七は?」 「こころあたりがあるといって、何処かへ行っておりますんで。いえなに、ちゃんと連絡《つなぎ》はつくようになっております。そこで先生にも、お出ましになりやすいところでお待ちねげえてえと、こう親分が申しております」 「よし、わかった」  そこで小兵衛は、浅草寺《せんそうじ》・門前の並木町にある泥鰌鍋《どじょうなべ》が名物の〔山城屋《やましろや》〕で待機することにした。  山城屋は、小兵衛のなじみ[#「なじみ」に傍点]の店で、夜おそくまで営業をしているし、出入りにも便利である。 「おはる[#「おはる」に傍点]。今夜はお前、実家《さと》へ帰っていなさい」  いいおいて小兵衛は、おはるがあやつる舟で大川をわたり、大治郎の道場へ行って、 「粂太郎を、借りるよ」  飯田粂太郎少年をつれて、山城屋へ向った。  秋山小兵衛は、山城屋の裏座敷を借り、酒をなめつつ、弥七からの知らせを待った。 (弥七が、このようにいってよこしたからは、今夜あたり、きっと何かが起るにちがいないな)  たのしげな、小兵衛であった。  粂太郎は、はじめて食べる丸ごとの泥鰌鍋に瞠目《どうもく》したが、 「いくらでもお食べ」  小兵衛にそういわれ、恐る恐る箸《はし》をつけたが、気に入ったとみえ、夕闇《ゆうやみ》がせまるころまでに、何と三人前もたいらげてしまったものだ。  これも弥七の下っ引で、太次郎《たじろう》という者が山城屋へ飛びこんで来たのは、七ツ(午後四時)ごろであったろうか。 「四谷の親分が、すぐ先生に、おはこびねがいたいそうでございます」  と、太次郎がいった。      七  太次郎は、弥七の用がないとき、桶《おけ》屋をしているので〔桶太次〕とよばれている三十男だ。 「弥七は、どこにいる?」 「いま、押上《おしあげ》村へ向っておりますんで」 「押上じゃと……」 「へい」  押上村は、現代でこそ東京都墨田区の繁華な町になっているが、当時は江戸の郊外といってよい。日本橋から約一里半。秋山小兵衛の隠宅からは畑道をたどって東南へ、一里足らずである。  お雪が行方不明となったというので、山崎屋は大さわぎとなった。  隠居の先代は、根岸の寮での事件の裏側にひそむものなぞ、すこしも知ってはいないだけに、おどろきあわてて、これをお上へ届け出たものだから、町奉行所の同心も駆けつけて来るし、土地《ところ》の御用聞きたちもうごき出した。  しかも、節季である。商家にとっては「猫の手も借りたい……」ほどのいそがしさなのだ。  内儀のお幸は、心痛のあまり卒倒してしまった。  その混乱にまぎれて……。 「あるじの卯兵衛がひとりで、裏手から何処かへ出て行ったんでございます」  なのだそうだ。  張っていた弥七の手の者たちが卯兵衛を尾行する一方、木挽町《こびきちょう》三丁目の釣道具屋〔浜宗《はまそう》〕方に待機していた四谷の弥七へ急報した。  弥七は万端の指図をあたえ、すぐさま下っ引たちの連絡にしたがい、山崎屋卯兵衛の後を追った。  今度は、秋山小兵衛が金を出してくれるものだから、弥七もじゅうぶんに人手をあつめたらしく、いざとなると水も洩《も》らさぬ。  すると……。  山崎屋卯兵衛は、裏道をえらんで足を速め、楓川《かえでがわ》沿いに江戸橋をわたって小網町《こあみちょう》一丁目の船宿〔佐賀屋〕へ入った。  すぐに、卯兵衛は出て来た。番頭の伊平が一緒であった。伊平は一足先に店を出て、佐賀屋で待っていたのだ。  佐賀屋で舟を仕立てた二人は、三ツ俣《また》から大川《おおかわ》(隅田川)へ出て行ったので、後をつけていた傘屋の徳次郎ほか一人の下っ引も、佐賀屋のとなりの〔湊屋《みなとや》〕から舟を出させ、尾行をつづけた。  一人は残って、後から来る弥七を待ちうけている。  こうした連絡の仕方で、四谷の弥七が本所二ツ目の軍鶏鍋《しゃもなべ》屋〔五鉄《ごてつ》〕まで行くと、かねて、ここを連絡所にきめてあったところから、桶屋の太次郎が間もなくあらわれ、 「親分。山崎屋の旦那《だんな》と番頭は押上村の百姓家へ入りましたぜ」  と、知らせた。  くわしく道順をきいた弥七が、 「おい、桶太次。すぐに秋山先生へお知らせしろ。先生は、並木の山城屋にいなさる」 「合点です」  そこで太次郎が、すぐさま山城屋へ駆けつけて来たのである。  太次郎は、駕籠《かご》の用意までして来た。 「うむ。よくやった。後で、たっぷりと飲ませてやるぞ」  小兵衛を乗せた町駕籠が夕闇《ゆうやみ》を切って走り出した。  その駕籠をはさむようにして、飯田粂太郎と桶太次が走る。  大川橋をわたりきって本所へ入り、源森川《げんもりかわ》に沿った中ノ郷|瓦町《かわらまち》の道を東へすすむころには、とっぷりと暮れてきた。  押上村に、最教寺《さいきょうじ》という日蓮宗《にちれんしゅう》の寺院がある。  寛永年間に開基した小さな寺だが、日蓮|上人《しょうにん》真筆の、蒙古鎮制《もうこちんせい》のために書かれた曼荼羅《まんだら》の旗なぞがあり、このあたりでは名刹《めいさつ》ということだ。  桶屋の太次郎は、最教寺の門前で、小兵衛に駕籠から下りてもらい、駕籠|舁《か》きには酒手《さかて》をはずんで帰した。  腰から引きぬいたぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ちょうちん》へ灯《あか》りを入れた太次郎が、彼方《かなた》の畑の中の木立へ向って、提灯を二度三度と振った。  すると……。  畑道を、四谷の弥七が駆けて来た。 「先生。御苦労さまでございます」 「どんなぐあい[#「ぐあい」に傍点]だ?」 「あの木立の向うに、小さな百姓家がございます。そこへ、卯兵衛と伊平が入って行きましたが、中に……」 「中に?」 「どうも、お雪がいるらしいので」 「ふうむ……そうか……」  と、そのときであった。  畑道を、下っ引の寅松《とらまつ》というのが駆けて来て、 「親分。で、出て来ます」 「山崎屋がか?」 「へい。若いむすめと、雲をつくような大男もいっしょで……四人とも旅仕度でござんす」  それっ[#「それっ」に傍点]というので、五人は、最教寺の門の傍にそびえている松の大樹の陰へ身を潜めた。  畑道の向うに、ぽつりと提灯の灯りが浮いて出た。  それが近づいて来て、最教寺門前の道へあらわれた。  卯兵衛、伊平、お雪。それに藤堂屋敷にいる大男の中間の四人である。そのうしろから傘屋の徳次郎がついて来ているはずだ。 「引っ捕えよ」  小兵衛にいわれて、弥七、桶太次、寅松がいっせいに躍り出し、四人の前後を囲み、 「御用だ。神妙にしろ」  と、弥七が叫んだ。  四人は狼狽《ろうばい》した。  しかし大男が、 「この虫けらめ!!」  わめくや否《いな》や、いきなり寅松を撲《なぐ》り倒し、太次郎を投げ飛ばした。  だが、四谷の弥七となると、そうはまいらぬ。  なんといっても、御用聞きながら秋山小兵衛|直伝《じきでん》の剣術をやった弥七である。  ぱっと、大男の前へ飛び出した弥七が、ふところから出した十手《じって》をかまえ、 「この馬鹿野郎《ばかやろう》!!」  罵声《ばせい》をあびせると、 「何を、こいつめ」  つかみかかる大男をいなしておき、十手で肩と腕をつづけざまに撃ちすえた。 「う……」  よろめくところを蹴倒《けたお》し、飛びかかって腰の細引縄《ほそ》を引きぬきざま、たちまちに縛りあげた手ぎわというものは、 「いやはや、あのときは弥七。お前を見直したよ」  後になってから、小兵衛がめずらしく、ほめてくれたものだ。  この間に、卯兵衛たち三人は、道を南へ逃げようとした。  その前にたちふさがったのは秋山小兵衛である。うしろは飯田粂太郎少年と傘屋の徳次郎が駆けつけて押えた。  卯兵衛と伊平が、小兵衛を見るや、へなへなとくずれるようにひざをつき、お雪は泣き出した。      ○  山崎屋卯兵衛は、むすめのお雪に養子を迎え、これを当主にしようという先代に、精一杯の反抗をしたのであった。  まだ五十には間もある卯兵衛であるし、小僧から叩《たた》きあげただけに店の経営には自信もある。それが、養子に迎えられて約二十年も、先代の権力を甘受してきただけに、 「今度という今度は、たまりかねまして……」  と、卯兵衛はいった。  隠居した先代が何故、これほどまでに卯兵衛をきらいぬいたかといえば、 「店《うち》の小僧あがりの者に、山崎屋の身代《しんだい》は、わたされぬ」  という虚栄があったからである。  だから、お雪が生まれるや、 「この孫に早く、しかるべき聟《むこ》をとって、身代をゆずりたい」  先代はそう考え、そのときまでは卯兵衛を押えきり、ほとんど名のみの主人にしてしまうことにした。  先代は、孫のお雪を愛したが、お雪は父の卯兵衛に同情した。  なればこそ、お雪は吉野屋の息子との縁談が嫌だったのだ。  すこし体のぐあいがよくないので、父にいわれて根岸の寮へ移りはしたが、曲者《くせもの》たちにかどわかされたことについては、まさかに父の卯兵衛が仕組んだものと考えおよばなかった。  卯兵衛は、むすめを奪って、押上村の百姓夫婦のもとへ送りこみ、しばらく隠しておいてから、自分がお雪をつれて上方《かみがた》へ逃げるつもりであった。妻のお幸も捨てて、である。  その計画が、佐々木三冬や秋山小兵衛の出現によって、水泡に帰した。  のみならず、四谷の弥七の探索が気配で感じられてくるし、いても立ってもいられず、ついに決意し、寝間のお雪を自分がさそい出して裏木戸から外へ逃がした。  外に待っていた押上村の百姓夫婦がこれをうけとり、自分たちの家へ隠したのだ。  百姓の女房・おだい[#「おだい」に傍点]は、むかし、お雪の乳母《うば》だった女である。  そして、大男の中間・金蔵は、なんと山崎屋卯兵衛にとって、 「腹ちがいの弟でござります」  と、のちに卯兵衛が、南町奉行所の白州《しらす》で白状をしたそうである。  卯兵衛は出奔にあたり、金二百両を拐帯《かいたい》していた。  この金で上方へ行き、伊平、お雪、金蔵と共に何か商売をはじめ、新しい生活へ踏み出して行くつもりだったのであろう。  ともあれ……。  この一件は、小兵衛ひとりの裁断で解決することを得なかった。  それというのも、何の罪もない淳朴《じゅんぼく》な下男が殺されてしまったからである。  四谷の弥七は、 「どうしてもこれは、見のがせません」  と、いいきった。  それに、卯兵衛が店の大金を盗んで脱走した事は、もう隠しようがない。  卯兵衛、伊平、金蔵、それに犯行に加わった藤堂家の中間三人は、それぞれ、町奉行所の裁断をうけ、それぞれに処刑をうけることになった。  山崎屋が、江戸城・大奥をはじめ、諸家から、出入りをさしとめられたのは当然というべきであろう。  卯兵衛が菓子箱の底にひそませてよこした金五十両を、小兵衛は三冬からあずかっていた。そのうち約十五両を探索の費用につかい、残る三十五両を、小兵衛が弥七へわたし、 「この金で、牢屋《ろうや》に入っている卯兵衛たちへ、何か、うまいものでも差し入れておやり」  と、いった。  年が明けて安永八年(一七七九年)。  傷心のお雪は、母のお幸と共に根岸の寮で静養をしていたが、佐々木三冬も、一月から二月の末にかけて、和泉屋の寮へ帰っていた。  お雪と三冬が口をきき合うようになり、お雪がよく、和泉屋の寮へたずねて来るようになった。  これは、春になってからのことであるが……。  老僕・嘉助が買物に出たあと、三冬がお雪と二人きりで奥の間に語り合っているとき、 「ああ、もう……あたくし……」  こらえかね、たまりかねたように、お雪が突然、三冬のひざ[#「ひざ」に傍点]の上へ突伏してしまった。  三冬は、自分を男と信じてうたがわず、ひたむきな恋情を燃やしはじめてきているお雪に、当惑しているところであったが、 「さ、手を……」  微笑しつつ、お雪の手をとって、わがふところへみちびいた。  二十一歳になった佐々木三冬の、かたく脹《は》って、こんもりとふくらんだ乳房にふれたときの、お雪の驚愕《きょうがく》はどのようなものであったろうか……。  それは、鶯《うぐいす》の声ものどかな、春の昼下りのことであったという。     妖怪《ようかい》・小雨坊《こさめぼう》      一  先《ま》ず、はじめに、その男[#「その男」に傍点]を見たのはおはる[#「おはる」に傍点]であった。  おはるは青ざめて小兵衛へすがりつき、身ぶるいをしながら、 「先生。あ、ありゃあ、人じゃあない。化けものですよう」  と、告げた。  去年の夏。  秋山小兵衛が、下谷《したや》五条天神門前の書物問屋〔和泉屋吉右衛門《いずみやきちえもん》〕方へ立ち寄ったとき、 「これは、おもしろい」  買いもとめてきた絵本があった。 〔画図・百鬼夜行《ひゃっきやぎょう》〕と題したもので、出版元は元飯田町中坂の遠州屋弥七。絵師は鳥山石燕《とりやませきえん》である。  内容は、表題がしめすがごとく、世に知られたさまざまな妖怪|変化《へんげ》を絵にしたもので、天狗《てんぐ》・河童《かっぱ》・狸《たぬき》の類《たぐ》いから〔皿かぞえ〕とか〔天逆毎《あまのざこ》〕とか〔白粉婆《おしろいばば》〕などという、めずらしい化けものまで出ている。 「ふうむ。わしも、こんなに妖怪どもがいたとは知らなんだわえ」  小兵衛は、おはるにも見せ、 「夜中に出るぞ」  などと、おどして、 「いや、いやいや……」  おはるにかじりつかれ、よろこんでいたものである。  さて、その〔画図・百鬼夜行〕の中に、〔小雨坊〕という妖怪の絵があった。  姿は僧形《そうぎょう》なのだが、顔はまさに化けものであって、 「小雨坊は、雨そぼふる夜、大みね、かつらぎの山中に徘徊《はいかい》して斎料《ときりょう》を乞《こ》うとなん」  と、書いてある。 「あの、小雨坊の絵にそっくり[#「そっくり」に傍点]……」  だと、おはるはその男[#「その男」に傍点]の容貌《ようぼう》を小兵衛につたえた。  その日は、前日からの雪がふりつづいてい、秋山小兵衛は、居間の炬燵《こたつ》へもぐりこみ、うたた[#「うたた」に傍点]寝をたのしんでいた。  安永八年の年が明けた一月十七日の午後であった。  昼すぎに、小兵衛がなじみ[#「なじみ」に傍点]の料亭、浅草・橋場《はしば》の〔不二楼《ふじろう》〕の料理人・長次が、 「先生が、お好きでござんすから……」  とどけてくれた蛤《はまぐり》を豆腐や葱《ねぎ》といっしょに今戸焼《いまどやき》の小鍋《こなべ》で煮ながら、小兵衛に食べさせようと、おはるはおもった。 「ついでに、蛤飯も食べたい」  小兵衛が、そういうので、おはるが仕度にかかった。これは蛤を仕立てた汁で飯をたきあげ、引きあげておいた蛤は剥身《むきみ》にして飯にまぜ入れ、食べるときはもみ[#「もみ」に傍点]海苔《のり》をふりかける。これも小兵衛の大好物だ。  で……七ツ(午後四時)ごろであったろうか。  台所ではたらいていたおはるが、水を汲《く》みに外へ出た。  夕暮れでもあったし、雪は、まだちらちら[#「ちらちら」に傍点]とふりつづいている。空は灰色の壁のごとく重たげであったが、積雪の白さが意外にあたりをあかるくしていた。  台所の土間の北側の戸を開けると、石井戸があり、そのうしろに物置小屋が竹藪《たけやぶ》を背にして在った。  桶《おけ》二つへ、水を汲みこみ、おはるがひょい[#「ひょい」に傍点]と物置小屋のあたりを見て、 「う……」  あまりの恐ろしさに息がつまって立ちすくんだ。  いつの間に、あらわれたものか……。  物置小屋の戸の前に、傘もささぬその男[#「その男」に傍点]がしゃがみこんでい、凝《じっ》と、おはるを見つめていたのである。  ぬけあがった薄い髪をくび[#「くび」に傍点]のあたりへたらし、大きく張り出した額には、いくつもの凹凸《おうとつ》がある。眉毛《まゆげ》はほとんどなかった。額の下に貝の破片《かけら》のような両眼が光っていた。  そして、鼻がない。鼻の穴だけが見えた。  雪ふる中に顔の色が、紙のごとく白い。  まさに、絵本の小雨坊そのままといってよいが、その男は僧形ではなかった。  よれよれの灰色の着物、黒い袴《はかま》をつけ、大小の刀を腰に帯していたのである。  その男を見たとたん、おはるは、まるで金縛りにでもなったようにうごけなくなり、息を引いて井戸端へ、へたりこんでしまった。  男が、にっ[#「にっ」に傍点]と笑った。その口中《こうちゅう》が鮮烈に赤い。若いのだか老人なのか、それもわからぬ。 「あ……」  おはるが、目眩《めまい》をおこした。  そして、はっ[#「はっ」に傍点]と気づいたとき、その男は消えていた。  はじめて、おはるが悲鳴を発し、這《は》うようにして家の中へ逃げ、小兵衛へしがみついたのであった。  小兵衛は、すぐに外へ出て行ったが、その男の影もかたちもなかった。 「いったい、どうしたのだえ?」  それから、おはるが語ったわけだが、動転していた彼女は、男の風体《ふうてい》なぞはおぼえていない。ただもう「絵本の小雨坊のような化けものが出て来た」というだけであった。  そこで、秋山小兵衛は〔百鬼夜行〕三巻を取り出して来て、小雨坊の箇所《かしょ》をひらいて見た。 「これか……?」 「あい。これ、これ……こわい、こわいよう先生……」 「ふうむ。これか……」  小兵衛は、いつまでもいつまでも小雨坊の絵を凝視していたが、翌日になると何事もなかったようにふるまったし、おはるも、二日三日とたつうち、あまり気にしなくなったようである。  その男があらわれてから七日目の朝。久しぶりに秋山大治郎が父の隠宅へやって来た。  大治郎はこの正月から一日置きに、老中《ろうじゅう》・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の本邸へおもむき、家来たちへ稽古《けいこ》をつけることになった。 「これで、すこしは、せがれの剣術も商売になるわえ。田沼様のおかげじゃ」  と、小兵衛はよろこんでいる。 「どうじゃな、田沼様のほうは……?」 「どうにか、相つとめております」 「そりゃ、何よりじゃ。おお、そうじゃ。実はな、大治郎……」  と、小兵衛が先日の〔小雨坊〕の一件を語るや、 「ははあ……」 「どうした?」 「いえ、父上。そやつならば昨日の朝、私のところへも出てまいりました」      二  昨日は神田橋御門内の田沼屋敷へ稽古に出かける日で、六ツ半(午前七時)ごろに、秋山大治郎は家を出た。  この日は飯田|粂太郎《くめたろう》少年も田沼邸で、大治郎を待っているはずであった。唖《おし》の百姓の女房が朝食の後始末をしている物音を背にききながら、大治郎は木立をぬけ、畑道へ出た。  靄《もや》が、朝の微風にゆっくりとながれていた。 「そやつは、私が通る畑道の真中に、しゃがみこんでおりました」 「ほう。しゃがみこんで、な……」 「はい、父上」 「それから、どうした?」  大治郎と〔小雨坊〕は、幅三尺のせまい畑道に向い合って、しばらくはうごかなかった。小雨坊は、うつむいて凝《じっ》としゃがみこんだまま、道をゆずろうともせぬ。  小雨坊の妖《あや》しげな体からは、殺気も剣気もふき出していない。  あまりに面妖《めんよう》な男の出現だけに、はじめは大治郎も緊張していたのだが、やがて、 「ごめん」  声をかけておいて、小雨坊の傍《わき》をすりぬけた。  無言の小雨坊は、微動だにしなかった。  大治郎がすこし行ってから振り返って見ると、靄《もや》に淡く浮かんだ小雨坊の姿は、こちらに背を向けたままで、まだ屈《かが》みこんでいたというのだ。 「大よ。そやつにこころあたり[#「こころあたり」に傍点]はないのか?」 「ありませぬ。父上には……?」 「ない、と申すよりほかに、いいようもないわえ」 「いずれにせよ、これは偶《たまさ》かのこととはおもわれませぬ。父上か、私かを目ざして、あらわれたにちがいありませぬが、いったい、何のために……?」 「わからぬ。わしも、お前も……いや、格別にわしは、若いころからの剣術つかい[#「剣術つかい」に傍点]で、これでも多くの男たちを斬《き》って殪《たお》して来た。いつ、どこで、どのようなやつに恨みをうけているか知れたものではない」 「はあ……」 「お前も、この道[#「この道」に傍点]をえらんだのだ。こころしておけい」 「はい」  おはる[#「おはる」に傍点]は台所にいる。秋山父子の会話をきいてはいなかった。 「大治郎。きゃつめが、はじめておはるの前へ姿を見せた日に、お前は……?」 「当日。雪の中を田沼様御屋敷へ」 「あ、そうか……となると、きゃつめ。わしのところへ来る前に、お前のところへ行ったやも知れぬ。わしが目当なのか、それとも、お前か……」  相手が妖怪《ようかい》じみた男だけに、さすがの小兵衛も、あまりよい気もちではないらしい。  大治郎が帰って間もなく、台所からもどって来たおはるは、 「お父《とっ》つぁんに、泥鰌《どじょう》でも獲《と》ってもらってきますよう」  と、いい、関屋《せきや》村の実家へ出かけて行った。  朝から、よく晴れていた。  急に、日ざしが春めいてきたようにおもえる。  だが、小兵衛は炬燵《こたつ》へもぐりこみ、うごこうともせぬ。 (わしとしたことが……)  であった。  いつとはなく、絵本の中の小雨坊が、脳裡《のうり》に浮かびあがってくるのを、如何《いかん》ともしがたい。 (きゃつめの顔、わしの、この眼で見とどけたいものじゃ)  そうおもうと、何か勃然《ぼつぜん》とするものがあった。 「ごめん。ごめん下され……ごめん……」  戸口で訪《おとな》う声に、小兵衛は我に返った。 「どなた?」 「秋山小兵衛先生は、御在宅か?」 「わしが、小兵衛じゃが……」 「おお、これは……それがし、溝口主膳正《みぞぐちしゅぜんのしょう》が家来、伊藤|彦太夫《ひこだゆう》でござる。お忘れでござろうか……」  忘れるどころではない。  あれは、ちょうど去年のいまごろであった。  秋山大治郎が「第二の師」とも仰いでいた大和《やまと》・芝村《しばむら》の郷士、嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》は、 「剣士としての誓約」  を、まもって、十年ぶりに好敵手の柿本源七郎との真剣勝負をおこなうため、はるばる大和から江戸へ出て来た。  この事件は〔剣の誓約〕の一|篇《ぺん》にのべておいたが……。  柿本源七郎も嶋岡礼蔵との誓約をまもり、嶋岡の使者に立った大治郎へ、麻布《あざぶ》の広尾の原での勝負を、 「承知した」  と、こたえた。  柿本は、心《しん》ノ臓《ぞう》の病患が重くなっていたが、それをすこしもおもてにあらわさず、嶋岡と闘う決意をかためたのであった。  ところが、柿本源七郎の身のまわりを世話していた門人の伊藤|三弥《さんや》は、師の病気を案ずるのあまり、ついに、みずから大治郎の家へおもむき、そこに泊っていた師の敵《かたき》・嶋岡礼蔵を、得意の弓矢をもって射殺《いころ》した。  柿本源七郎と伊藤三弥は、単なる師弟の間柄ではなかった。  男と男でいながら、たがいに、その体も心もゆるし合ったほどの愛情にむすばれていたのである。  柿本は四十四歳。伊藤三弥は十九歳であった。  三弥の弓矢に嶋岡礼蔵が殪《たお》れたとき、一足ちがいで駆けもどった秋山大治郎は、逃げる三弥を木立の中へ追いこみ、三弥の右腕を切り落した。  そして、伊藤三弥は逃走したまま、いまも消息を絶っている。  このことをきいた柿本源七郎は、 「ゆるされよ」  と、秋山父子にわび、みずから心ノ臓を刺して自殺をとげた。  そこで……。  いま、小兵衛の隠宅をおとずれた伊藤彦太夫は、三弥の実父だ。  越後新発田《えちごしばた》五万石の城主・溝口主膳正の江戸屋敷|詰《づめ》の用人をつとめている伊藤彦太夫なのである。  秋山小兵衛は、去年の事件があった直後、これを溝口家へ届け出ている。  というのは、柿本源七郎の兄・伊作《いさく》が同じ溝口家の家来であったからだ。  柿本伊作は、剣客である弟の死を、 「弟も、おもい残すことはござるまい」  素直に、うけ入れてくれ、伊藤三弥のことについても、伊藤彦太夫へ申しつたえてくれた。  彦太夫の返事は、 「ぜひ[#「ぜひ」に傍点]もなきこと」  であったそうな。  三男の三弥と柿本源七郎の、異常な関係をすでに知っていた伊藤彦太夫は、三弥の将来を、 「あきらめていた……」  ようである。  その彦太夫が、何とおもったのか一年後の今日、秋山小兵衛をみずから訪問して来たのだ。      三  名は耳にしてはいても、伊藤彦太夫を見るのは今日がはじめての、秋山小兵衛であった。  藩邸の用人というのは、殿さまの傍《そば》近くに奉仕し、秘書官長と庶務課長を兼任しているような重い役目である。  彦太夫は、鬢髪《びんぱつ》の白さから見ても、深いしわ[#「しわ」に傍点]にきざまれた小さな顔貌《がんぼう》からおしても、 (六十五、六歳か……)  と、小兵衛には見えた。  だが、実は彦太夫、五十七歳であった。 「その節は……」 「いやいや、まことに、せがれ三弥めが不始末にて……」  居間でかわした二人のあいさつは、これだけですんでしまった。  彦太夫の供をして来た若い家来は、戸口の外に控えている。 (これは、よくできた仁《じん》じゃ)  と、小兵衛は感じた。  もっとも、それでなくては大名の用人がつとまるはずはない。たとえ、柿本源七郎との男色《なんしょく》におぼれこんだとはいえ、伊藤三弥は、末の男の子であるから、 (可愛《かわゆ》くないはずはない)  のである。 「実は……」  いいさして彦太夫が、冷えた茶をのみほしてから、 「三弥めが、江戸へもどってまいりましたようにて……」 「ほう……」 「いまだ、こなたへも、御子息のもとへも、三弥は、あらわれませぬか?」 「はい」 「ふうむ……」  溝口家の家来で、山口藤兵衛という者が一昨日、殿さまの溝口|主膳正《しゅぜんのしょう》の使者として、麻布《あざぶ》・二ノ橋にある大身旗本・保科《ほしな》感六郎|昌茂《まさしげ》の屋敷へおもむいた帰途、仙台坂を下って来る伊藤三弥を見かけた、というのだ。  三弥は、山口藤兵衛を見るや、坂の北側にある真等寺《しんとうじ》という寺の境内へ走りこみ、姿を隠してしまった。  山口は、伊藤彦太夫の遠縁にあたる藩士であったから、このことを他へもらさず、ひそかに彦太夫のみへ告げた。 「黒い着物を身につけ、まさに右腕はなきようにて……なれど、あっ[#「あっ」に傍点]という間に姿を消されまいた。それがし、すぐさま真等寺へ駆け入りましたなれど、影もかたちも見えませなんだ。墓地つづきの徳来寺へぬけ、そこから一本松のあたりへ出たのではありますまいか……」  と、山口藤兵衛が彦太夫へ語ったそうである。 「三弥どのは、これまで、いずれに?」 「さ、それが秋山先生。この一年の間、ひそかに手をまわしてさがさせましたなれど……ついに、行方知れずのままにて……」 「では、江戸へもどった、と何故、申されましたかな?」  小兵衛が、ものやわらかな口調ながら、一歩問いつめると、彦太夫は顔をそむけ[#「そむけ」に傍点]るようにして、 「さて……」  と、いったきり沈黙してしまったものである。  沈黙の仕様が、異様であった。 (彦太夫殿は、何か隠しておられる)  小兵衛は、そう看《み》た。  隠していることを小兵衛に語りたいのだが、 (どうしても、語りきれぬ……)  ように看うけられた。  つまり、伊藤彦太夫が単身、小兵衛をひそかに訪問した主旨は、息《そく》・三弥が江戸へもどって来たからには、 (かならず秋山父子、ことに大治郎へ対し、復讐《ふくしゅう》の挙に出ると見てよい)  そうなれば、将軍家ひざもとの江戸市中において、またしても血なまぐさい事件が起ることになる。それはそれでよい。すべてが闇《やみ》から闇へ消えてくれるならばよいけれど、かならずしも、そうはまいらぬ。  いま、彦太夫は溝口家の臣として重い役目にもつき、親族の中にも溝口家に奉公している者がすくなくない。  それが、もしもいま、三弥の行動が不穏なものとなってきて異変を起せば、彦太夫としては主人に対しても親族たちに対しても、 (顔向けがならぬこと……)  になってしまう。  柿本源七郎との男色におぼれ、父である自分をも捨て、三弥が柿本と同棲《どうせい》するようになってからは、彦太夫も、この三男のことをあきらめていたようだが、別に勘当をしたわけでもない。  だから当然、三弥の行動については父の彦太夫が責任を負わねばならぬ。  現代とはちがい、封建のその時代《ころ》における連帯責任の重さ、きびしさというものは、われわれの想像を絶するものがあった。たとえば、武家社会にかぎらず一人の男が殺人だの放火だのの罪をおかせば、処罰はたちまちに、その家族にまでおよぶのである。  ましてや、主人もちの武士となれば、何事にも油断はできない。体面[#「体面」に傍点]は武士の看板なのである。  ゆえに、伊藤彦太夫は、三弥が秋山父子の前にあらわれたときのことをおもい悩み、小兵衛へ相談をしかけに来たのであった。  小兵衛は彦太夫と語っているうち、先刻の、彦太夫が本当に語りたいことを打ちあけかねているらしい、との推測がいよいよ色濃くなってくるおもいがした。  彦太夫には男三人、女一人の子があり、女子はすでに他家へ嫁ぎ、後つぎは二十七歳の長男・市兵衛|直保《なおやす》である。市兵衛も殿さまの溝口主膳正の気に入られ、近習をつとめているとか……。次男は四歳で病歿《びょうぼつ》し、そのつぎが三男の三弥ということになる。  小兵衛と彦太夫の談合は、一刻《いっとき》半(三時間)におよんだ。  この間に、伊藤彦太夫は、底へ小判五十両をしきつめた菓子箱を小兵衛へさし出し、両手をついて何やらたのみこんだようだが、小兵衛は、その菓子箱の中味を見やぶり、受けとらなかった。  おはる[#「おはる」に傍点]が、関屋村の実家から鐘《かね》ヶ淵《ふち》の家へ帰って来たとき、すでに彦太夫は去っていた。  客用の茶わんが居間に出ていたので、おはるが「先生、どなたか見えたの?」ときくや、小兵衛はいつになくむずかしい顔つきで「お前の知ったことではない」と、いった。  この夜の小兵衛は、好物の泥鰌鍋《どじょうなべ》も老顔をしかめたままで食べ、ろく[#「ろく」に傍点]に口もきかず、酒もあまりのまなかった。  おはるは、おどおどしていた。  翌朝になると小兵衛が、おはるに舟をあやつらせて大川《おおかわ》(隅田川)をわたり、大治郎の家へおもむいた。  大治郎は飯田粂太郎に稽古《けいこ》をつけ終えたところであった。  これから朝飯をすませ、粂太郎少年をつれて田沼屋敷へ稽古に出ようというわけだ。 「大よ。粂太郎を、ちょいと貸してくれぬか」 「どうぞ、おつかい下さい」 「粂太郎。すまぬがな、おはるを関屋村の実家《さと》まで送りとどけてもらいたい」  大治郎が、 (解《げ》せぬ……?)  顔つきになった。  おはるは、いつも一人で関屋村の父母のもとへ出かけて行く。  それを、今日にかぎって飯田粂太郎をつけてやるとは、いったい何事が起ったものか……。おはるは、すでに小兵衛からいいきかされていたと見え、何もいわぬ。  小兵衛は、おはるに、 「わしが迎えに行くまで、関屋村にいたがよい」  と、いってある。      四  秋山小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]と粂太郎が去ったのちに、大治郎をさそい出し、橋場の料亭〔不二楼《ふじろう》〕へ出かけて行き、奥座敷を借りて二人きりになると、 「実は、昨日な……」  と、伊藤彦太夫訪問のことを告げ、 「お前は、どうおもうな?」 「なれど、あの、化けもののような男は、伊藤三弥ではありませぬ」 「そりゃ、ま、そうじゃろうが……」  冷えた酒をなめつつ、小兵衛が、 「じゃが、化けものと三弥とが、むすびついていないとは申せまい。今度の場合、うまく間が合いすぎているゆえ、二人がむすびつかぬものでもないわえ」 「と、申しますと?」 「さ、それがわかれば苦労はない。なんとなく、そんな気がしたまでのことだ。それに、そうときめこむわけにもゆかぬことじゃし……」  父子は半刻《はんとき》(一時間)ほどを不二楼にすごし、それから小兵衛は駕籠《かご》をよんでもらい、大治郎より先に不二楼を出た。  この間に小兵衛は、手紙を一通したため、大治郎へわたしている。  大治郎は徒歩で、田沼屋敷へ向った。  浅草の並木町で、いったん駕籠を下りた小兵衛は、玩具《おもちゃ》や小間物類を売っている〔常春《つねはる》〕という店で、子供の玩具をいろいろ買いもとめた。  これは、四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》に住む御用聞き・弥七《やしち》の子の伊太郎へ、みやげ[#「みやげ」に傍点]にするつもりなのだ。  だから小兵衛は、駕籠で弥七の家へ向ったことになる。  この日。いつもの外出《そとで》には国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》を帯びるだけの小兵衛が、めずらしく藤原国助の大刀を持っていた。  いっぽう、秋山大治郎は田沼屋敷へ着くと、折よく前夜から田沼邸に泊っていた佐々木|三冬《みふゆ》に、小兵衛から田沼家の用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》へあてた手紙を、 「あなたから御用人へ、おわたしねがえませんか?」 「わけもないことです」  うけとった手紙を持って三冬が、表御殿へ行き、生島用人へわたした。  生島は一読してうなずき、 「これより、三冬さまは?」 「うむ。大治郎どのに稽古《けいこ》をつけていただく」 「それでは、まことに恐れいりまするが、稽古がすみしだい、私めが秋山先生にお目にかかりたいと、おつたえ下されましょうや?」 「よいとも」  で……稽古が終ってから大治郎は、三冬が泊る部屋を借り、生島次郎太夫と小半刻ほど何やら語り合い、それから、根岸の寮(別荘)へ帰る佐々木三冬とつれだち、田沼屋敷を辞した。  ときに、八ツ(午後二時)ごろであったろう。  道行く人びとが、かならず二人に注目した。  一は、女と見紛《みまが》うばかりの(実は女なのだが……)颯爽《さっそう》たる若衆姿《わかしゅすがた》の佐々木三冬。  一は、巌《いわお》のごとくたくましい武芸者。  これが肩をならべて行くものだから、その対照の妙に、いやでも通行人の眼がゆくことになる。  どこぞの旗本らしい中年の武士が馬上にあって、ぽかん[#「ぽかん」に傍点]と口をあけたまま三冬と大治郎を見送っていたが、ややあって供の者へ、 「弁慶《べんけい》と義経《よしつね》を、目《ま》のあたりに見たおもいがするぞ」  などと、大仰《おおぎょう》なことをいった。  三冬は、あくまでも男言葉で肩を張り、 「大治郎殿。先程、小兵衛先生より生島次郎太夫への御手紙とは、何事でござる?」 「いや、私も、よくは知りませんよ」  と、秋山大治郎も、このごろは、父の惚《とぼ》けぶりをまねるようになってきたようだ。  そのころ、おはるは、すでに関屋村の実家に落ちついている。  そして、おはるを送って行った飯田粂太郎は大治郎の道場へもどっていた。  風に、雲がうごき出した。  そして、雲の層が次第に厚くなり、朝のうちの晴天が冷たく曇りはじめた。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅には、いま、だれもいない。  堅く、戸じまりがしてある。  大川を行く舟から、船唄《ふなうた》が風にのってきこえてきた。  と……。  裏手の石井戸の向うへ、滲《にじ》み出すように人影がひとつ。 〔小雨坊〕そっくりの浪人が、また、出て来たのだ。  小雨坊は、其処《そこ》にたたずみ、小頸《こくび》をかしげ、あたりの気配をうかがっているようであったが……。  ひょい[#「ひょい」に傍点]と竹藪《たけやぶ》の方へ振り向き、右手を胸のあたりへ当て、だれかを手招きするような仕ぐさ[#「仕ぐさ」に傍点]をした。  すると……。  竹藪の中から、別の人影が井戸端へあらわれた。  まさに、伊藤三弥である。  なるほど、黒い着物に袴をつけ、素足|草履《ぞうり》という浪人の風体だが、さほど見すぼらしくはない。しかし、あの少年のおもかげが何処《どこ》かに匂《にお》っていた白く美しい顔は、火鉢の灰でも塗りまぶしたように青ぐろく、きれいにすきあげてはいても総髪の風貌《ふうぼう》は、今年で二十歳になったはずの三弥を、十年も老《ふ》けさせたように見える。  傍《そば》へ来た伊藤三弥に、小雨坊が、 「いない」  と、いった。  口から出るそれ[#「それ」に傍点]ではなく、喉笛《のどぶえ》が鳴っているような声であった。 「では、待っていましょう」 「今日、やるか?」 「兄上がついていて下さるのですから、安心して死ねます。私が秋山小兵衛に斬《き》られたとて、かまわぬ。兄上が私と柿本先生の敵《かたき》をとって下さる」  三弥は死の覚悟をきわめているらしい。眼の色も声音《こわね》も沈潜し、落ちついていた。  それにしても、なんと小雨坊は、三弥から「兄上」とよばれている。  ということは、この妖怪《ようかい》じみた男も伊藤彦太夫の息子なのか……。 「そりゃ、父子《おやこ》とも、おれが斬って捨てる。三弥を死なすようなことは、せぬ」 「いえ、先《ま》ず私が立ち向います。勝負を見とどけて下さい」 「勝てぬよ。ふ、ふふ……」 「覚悟しています。私が死んでも兄上に秋山父子を斬ってもらいたい。なればこそ私は、越後《えちご》の兄上のもとへまいったのです」 「ふふ、ふ、ふふ……」 「兄上。この物置小屋へ入って、待ちましょう」 「急ぐな。ふ、ふふ……」  紅《あか》い口を開け、奇妙な笑いを笑う小雨坊を、さすがに三弥も眉《まゆ》をひそめて見ている。 「すぐに殺しても、おもしろうない。ない、ない」 「では、どうなさる……?」 「先日、この家《こや》のじじい[#「じじい」に傍点]のところに、若い女がいた。小兵衛のむすめ[#「むすめ」に傍点]かな……」 「さて……?」 「わしを見て、腰を、ぬかしかけた……」  それはそうにちがいない。 「あの女、引っさらって行くか。おもしろい。小兵衛、あわてるにちがいない。うふ、ふふ……」 「兄上……」 「お前の……お前の腕を切り落した秋山父子を、ただ殺すだけでは、わし、胸がおさまらぬ」  こういったとき、小雨坊の貝殻の破片のような両眼が、熱いものにうるみかかってきたではないか。 「三弥……わしの、可愛《かわゆ》い三弥……」  よびかける小雨坊の声も、うるんで、 「三弥だけが、わしを、兄と、おもうてくれている……」 「なれど、それに、ちがいありませぬゆえ……」  三弥の両眼も、うるんできた。 「くやしい。お前の腕を切り落した奴《やつ》どもが憎い」  いいざま、小雨坊が細い腰をひねって大刀を抜きはらった。  抜きはらうときは、まことにゆったりとした動作だったが、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と身をひるがえして石井戸を躍り越え、其処に、ほころびかけていた白梅の木を両断し、刀身を鞘《さや》へおさめたのが、 「目にもとまらぬ……」  早わざであった。      五  秋山小兵衛の隠宅から火が出たのは、それから間もなくのことであった。  だれもいなかっただけに、近辺の百姓たちや通行人がさわぎ出したときは、もう手のつけようがなかった。  わら[#「わら」に傍点]屋根の風雅な隠宅は、たちまちに炎上し、焼け落ちてしまったのである。  この火事のけむりは、大川をへだてた対岸からも、むろん見ることができたし、 (もしや……?)  と、大治郎の家にいた飯田粂太郎が隠宅へ駆けつけたのも、当然のなりゆきであったといえよう。  秋山大治郎が、このことを知ったのは帰宅してからのことで、すぐに駆けつけて来たが、隠宅は、もはや見る影もなかった。  そこで大治郎は、すぐさま、四谷の弥七の家へ急行した。小兵衛が「今夜は弥七のところへ泊るやも知れぬ」と、いっていたのをおもい出したからだ。  粂太郎少年は、関屋村にいるおはる[#「おはる」に傍点]へも知らせようとしたが、大治郎は、 「いま知らせたところで、どうなるわけでもない。父上のお指図をうけてからだ」  と、いい、 「それにしても、近辺に迷惑がかからず、この家だけの災難ですんだのが何よりだ」  むしろ、ほっ[#「ほっ」に傍点]とした様子に見えた。 「ほう……焼けたかえ」  と、弥七の家にいて大治郎を迎え、知らせをきいたとき、秋山小兵衛はいささかもさわがぬ。数えきれぬほど、生死の間をかいくぐって来た剣客ともなれば、わが家が焼け落ちたことなど、あまり重大なことでもないと見える。 「大治郎。これは、だれかが火をつけたのじゃな」 「私も、さように……」 「だれであろ……?」 「伊藤三弥の仕わざではありますまいか」 「ふうむ……ときに、わしの手紙を生島次郎太夫殿へわたしてくれたか?」 「はい。両三日の間に、溝口家の用人・伊藤彦太夫について、いろいろとさぐってみて下さるとのことでした」 「そうか。わしもな、弥七にたのんだ。これは下《しも》のほうからさぐり[#「さぐり」に傍点]を入れてくれるじゃろ」 「父上。どうなさいます?」 「ま、今夜は此処《ここ》へ泊る。だが、お前は帰れ。今度は、お前の道場へ火の手がまわるやも知れぬ」 「はい。では、これにて……」 「おはるには知らせるなよ。あれ[#「あれ」に傍点]は女じゃ。家が焼けたときけば仰天して、歯の根も合わぬことになるじゃろ」 「は、はは。いかさま」  大治郎は、すぐに帰って行った。  この夜、大治郎の家には何事も起らなかった。  夜になってから、御用聞きの弥七が四谷へ帰って来た。  四谷|伝馬町《てんまちょう》で〔武蔵屋《むさしや》〕という料理屋を女房が経営している弥七の家の奥まった部屋で、小兵衛は弥七を待っていた。  わが家が焼失したことを、小兵衛は弥七の女房にも告げていない。 「どうじゃった?」 「先生。まだ、これからでございますよ」 「そうか。わしとしたことが、どうかしているのう。年をとった所為《せい》で、いささか気が短くなったのか……」 「これは、溝口屋敷の中間《ちゅうげん》から聞きこんだのでございますが……」 「ふむ、ふむ」 「御用人の、伊藤彦太夫さまは……」  彦太夫は、いまの妻女の前に、病死をした妻がいて、その妻との間に男子をひとり、もうけているというのだ。 「つまり、その男の子……と申しても、いまは三十を越えていましょうが、それがれっき[#「れっき」に傍点]とした長男。ですが彦太夫さまの跡取りではないのでございますよ」  いまの妻女との間に生まれた市兵衛が長男になってい、伊藤彦太夫の跡をつぐことになっている。  それをきいて小兵衛が、 「ふうむ。今日一日で、すこし、糸がほぐれてきたようじゃ」 「さようでございますか」 「うむ、うむ。いま、お前のいうことをきいているうち、ひょい[#「ひょい」に傍点]と、おもい出したことがある」  それは、伊藤三弥を見かけたという溝口家の臣・山口藤兵衛が伊藤彦太夫に告げた言葉であった。  山口藤兵衛は、麻布《あざぶ》の仙台坂で伊藤三弥を見かけたという。  すると……。  以前、三弥が故柿本源七郎と同棲《どうせい》?していた麻布・西光寺《さいこうじ》裏の家は、程近い。 (もしやすると……伊藤三弥は、いま、柿本源七郎と共に住んだ家へ、舞いもどって来ているのではあるまいか?)  小兵衛は、そう直感した。  そのとおりであった。  ちょうどそのころ……。  柿本源七郎宅に見られる光景を、なんと形容したらよいだろう。  このあたりは、江戸の郊外といってよく、西光寺裏の深い松林の中にある柿本邸は、その後、住む人もなく打ち捨てられていた。  もっとも、この家は源七郎の持ち家だったし、彼が亡《な》くなったいまは、溝口家につかえている兄の柿本伊作が管理しているのであろう。  そこへ三弥が、かの〔小雨坊〕をつれてもどって来た。  家の中は、ほとんど一年前と変りがない。源七郎所有の刀剣やら文書などは伊作が持ち去って行ったけれども、あとはそのままに捨ておかれ、台所の鍋釜《なべかま》も埃《ほこり》をかぶっていた。  奥の、かつては柿本源七郎が病床に臥《ふ》せっていた部屋で、小雨坊が寝起きしている。  いま、小雨坊は、自分の寝床へ若い女をひとり引き入れ、これを執拗《しつよう》にもてあそんでいるのである。  女は、すでに気をうしなっていた。  どうして、このようなことになったかというと……。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅へ火を放ち、小雨坊と三弥は急いで引き返した。このとき三弥が、小雨坊の放火をとめたのはもちろんだが、きき入れるものではなかった。 「もっと、もっと、気長に、秋山父子をいたぶってやるのだ。そのほうがいい。そのほうが、おもしろい」  と、小雨坊はいった。  そして、二人は編笠《あみがさ》をかぶって麻布へもどって来たのだが、麻布一本松の茶店へ立ち寄り、三弥は茶を、小雨坊は酒をのんだ。  このとき二人は、いうまでもなく編笠をとっていたのだが、茶店の者たちも、さぞうす[#「うす」に傍点]気味悪かったろう。  二人が茶店を出たとき、とっぷりと日が暮れていたけれども、このあたりには他に茶店もあるし、乾物《ひもの》や魚を売る店もあって人通りも多く、夜に入っても灯があかるい。  二人が道へ出たとき、通りかかった百姓の若夫婦らしいのが、笠をかぶりかけた小雨坊の顔を茶店の灯影《ほかげ》に見て、びっくりした。  女房が「きゃっ……」と叫んで若い夫にしがみついた。  小雨坊が、じろりと二人を見た。  それだけなら、何事も起らなかったやも知れぬが、あわてて遠ざかりつつ、夫のほうが、 「まるで、化けものだ」  といった声が、伊藤三弥の耳へもきこえた。  三弥が憤然となって百姓夫婦を追わんとするのを、小雨坊が、にやりとして、 「急ぐな、急ぐな」  と、制した。  小雨坊の笑顔は、泣いているようにも見えるし、怒っているようにも見える。なんとも形容しがたい、ふしぎな笑顔なのだ。  三弥としては百姓夫婦をつかまえ、小雨坊の前に手をつかせて謝罪させるつもりでいたのだが、小雨坊は、それだけですまさなかった。      六  百姓夫婦が四ノ橋をわたって西へ……木立と畑の中の道をぬって我が家へ急ぐ、その前へ、先まわりをしていた〔小雨坊〕がふわり[#「ふわり」に傍点]とあらわれた。  提灯《ちょうちん》をさしつけて見て、夫婦が悲鳴をあげたとき、わずかに身をひねった小雨坊の腰から一すじの光芒《こうぼう》が疾《はし》り、疾ったかとおもうと鍔鳴《つばな》りがきこえた。  夫のほうは、抜き打ちに胴をなぎ払われて即死。  若い女房は、小雨坊の当身をくらって気をうしなった。すべては、一瞬のことだ。  木陰から、これを見ていた伊藤三弥は悪寒《おかん》をおぼえ、吐気をもよおしたほどであるが、それだけではすまなかった。  小雨坊は、気をうしなった女房を担《かつ》ぎ、畑道と林の中をえらんで、柿本邸へもどり、それから女房を嬲《なぶ》りはじめたのである。  それも、ただの嬲りようではない。  全裸にした女房を、おもうぞんぶんに犯してから、今度は小雨坊、ぺろぺろと酒をのみながら、短刀《あいくち》を抜いて、こんもりともりあがった女の乳房をすーっと切った。皮一重だけだが、女はもうこれだけで失神してしまう。すると、痛みに息を吹き返すまで、小雨坊は酒をのみながらながめてい、気がついたと見ると、またも、すーっと切る。今度は腹だ。つぎは頬、鼻、股《もも》と……伊藤三弥は居たたまれず、ついに家を飛び出してしまった。  いかに浅く傷つけてはいても、これほどに切るのだから、血はながれるし、異臭はたちこめるし、その中で酒をのみながら若女房を飽くことなく切りきざんでいる小雨坊の姿は、 「鬼気せまる……」  ものであって、ついに女房は衝撃のあまり、息絶えてしまった。  ときに八ツ半(午前三時)ごろであったろう。  百姓の女房が死ぬと、小雨坊はこれを肩へ担ぎ、夫が死に倒れている畑道へ運び、投げ捨てて、また柿本邸へ帰って来た。  伊藤三弥は、まだ、もどって来ない。  小雨坊は、それから寝床へ打ち倒れ、死んだようにねむりこけたのである。  この様子を、床下《ゆかした》にひそんでいた男が、すっかり見とどけていたのには、さすがの小雨坊も気づかなかった。  男は、御用聞きの弥七であった。  弥七は、単なる御用聞きではない。秋山小兵衛にみっちりと剣術を仕こまれたほどの男だし、 「柿本のところをさぐってみてくれ」  と、小兵衛にたのまれ、夕飯もそこそこに四谷の家を飛び出し、西光寺裏へ駆けつけたとき、小雨坊と三弥は、まだ帰っていなかったので、すぐさま床下へもぐりこみ、二人の帰るのを待ちうけていたのである。それゆえに小雨坊も三弥も油断をしてしまったのであろう。  明け方に、四谷へ帰って来た弥七から、すべてをきいた秋山小兵衛が、 「ふうむ……」  わずかにうなって、沈黙した。  老中・田沼意次の用人・生島次郎太夫の手紙を持ち、秋山大治郎が弥七の家へあらわれたのは、午後になってからだ。  生島用人の手紙を読み終えた小兵衛が、 「御苦労だったな」 「父上。何事で……?」 「ふむ。まあ、いまのところ、大したことでもない。それよりも大治郎、関屋村にいるおはる[#「おはる」に傍点]がことをたのむ。できるなら、お前がこれから行って、今夜は関屋村へ泊ってもらいたいのじゃが……」 「承知いたしましたが、父上は?」 「わしは、いますこし、此処《ここ》にいようとおもう」 「では……」  大治郎は何事にも、父にさからわぬ。それだけ小兵衛を信頼しきっているのであろう。  大治郎が帰ると、弥七が小兵衛がいる部屋へ呼ばれた。 「柿本源七郎のところに、見張りをつけてくれたかな?」 「はい。二人、つけております。先程、傘屋の徳次郎から知らせがまいりまして……」 「なんと?」 「あの、化けものは、まだ、ねむりこけているそうでございますよ」 「で、伊藤三弥は?」 「まだ、もどらぬらしいので」 「よし。引きつづいてたのむ」 「大丈夫でございます、先生」 「ときに弥七」 「はい?」 「今夜、な……」 「へ……?」 「わしに、ちょ[#「ちょ」に傍点]と手つだってもらいたい」 「御念にはおよびません」      七  この日。  夕暮れから雨になった。それも、しとしと[#「しとしと」に傍点]と霧のようにけむる雨で、妙になまあたたかい夜を迎えたのである。  夜に入ったとき、すでに秋山小兵衛は弥七の家にいなかった。  弥七も、幸蔵《こうぞう》という若い下っ引をつれ、小兵衛より一足遅れて家を出た。  幸蔵は、何やら荷物を積んだ小さな荷車をひいている。  小兵衛と弥七は、麻布《あざぶ》一本松の長善寺《ちょうぜんじ》門前にある茶店〔ふじ岡〕で落ち合った。これこそ、先日、〔小雨坊〕と伊藤三弥がやすんだ店であった。 「おそくなりました。はい、先生のおいいつけのように、用意をしてまいりましたよ」  と、弥七が、幸蔵と荷車を指して見せた。 「それは御苦労。今し方、柿本屋敷を見張っている傘屋の徳が、ここへ来てくれた。お前が、ここを連絡《つなぎ》の場所にしてくれたのは便利至極じゃ」 「で、徳は何と申しておりました?」 「雨もふり出したことじゃし、あの化けものめ、中へ引きこもり、ひとりで酒をなめているらしいわえ」 「伊藤三弥は、もどりましたろうか?」 「まだ、帰って来ぬらしい。まあ弥七、入って、ひとやすみしろ」  小兵衛はふじ岡の奥座敷を借りて酒肴《しゅこう》を命じ、幸蔵は土間の腰かけで酒をもらった。  弥七と二人きりになっても、小兵衛は盃《さかずき》をとらず、弥七へ酌をしてやった。 「先生。あの化けもの[#「化けもの」に傍点]と斬《き》り合いなさるおつもりでございますね?」 「うむ。だからのまぬ。お前は、かまわずにやってくれ」 「大治郎さまには……?」 「よいわ。親ごころよ。あれ[#「あれ」に傍点]はまだ若い。なるべく、剣の世界の垢《あか》に染まるのを遅くしてやりたいのじゃ。ばか[#「ばか」に傍点]なことだがの」 「おそれいりましてございます」 「そのような化けものの血は気味悪い。また、いろいろと恨みを後へ残すやも知れぬ。それは、わしが背負うつもりさ」 「それにしても、先生。あの化けものは、溝口侯の御家来・伊藤彦太夫様の長男だというのは、まことなので?」 「田沼様の御用人・生島次郎太夫殿は諸家へも顔のきいた仁《じん》ゆえ、たのんでおいたら、すぐに調べてくれたわ。いったい、どうして、あのような化けものが生まれたものか……人間というものは、ふしぎなものじゃ。生まれたときはさほどにもおもえなんだそうじゃが、十六、七になると、もはや、いかんともしがたい。そのような化けもの面《づら》では、父の跡目をついで、用人の役目を果すことは、とうていできぬことよ」  それで小雨坊……いや、長男の郁太郎《いくたろう》は十七歳の夏に、溝口家の国もとである越後《えちご》・新発田《しばた》の領内へ隠れ住むことにさせられてしまった。  新発田城下の東南四里のところにある二王子《におうじ》山のふもとの村に、むかし、伊藤彦太夫の家に足軽奉公をしていた田貝惣八《たがいそうはち》という男が帰農して住んでいる。  この惣八が忠義者で、郁太郎の身を引きうけてくれたのだ。 「おもえば気の毒じゃ。おのれが化けもの面を、郁太郎はどれほどに恨んだことだろうな。両親ともに尋常な面体《めんてい》なのに、何故、ああした子が生まれたものか……それは、わしにもわからぬ。郁太郎は、泣く泣く越後へ隠れた。その、ずっと前に、母親は郁太郎が二歳のときに亡《な》くなり、つぎの新しい母親は市兵衛という立派な男子を生んだ。小雨坊も、やりきれなかったろうよ」  しみじみと語る小兵衛を見つめ、四谷の弥七も凝然となっていた。  郁太郎は二十歳のころまで、田貝惣八の家に暮していたそうだが、突然、行方不明となった。  郁太郎をつれて行ったのは、なんでも、羽黒山の山伏《やまぶし》だったそうな。  そのまま、伊藤郁太郎は八年も行方知れずとなった。 「おそらく、その八年の間に、どこかで剣術をまなんだものか……」  八年後に、突如、郁太郎は溝口家の江戸藩邸へ姿をあらわし、父・彦太夫へ面会をもとめたという。 「金がほしい」  と、小雨坊は父にいったそうだ。  以後は一年に二度ほど、どこからか手紙をよこし、十両、二十両と大金をせびる。  伊藤彦太夫も、これをことわり切れぬ。  あの恐ろしい姿で郁太郎が藩邸へあらわれることをおもうと、いうままになるよりほかはなかった。さいわい、先々代からの蓄財が、いささかあったので、今日までなんとかつづいているが、これから先をおもうと、彦太夫も暗澹《あんたん》たるものがあったろう。 「さ、そこで……父と兄の間に立ち、金をわたす役目をしていたのが、あの伊藤三弥なのじゃ」 「なるほど……」 「どうしたものか、子供のころから三弥は、まだ伊藤家にいた郁太郎に懐《なつ》き、小雨坊も、この弟ひとりを可愛《かわい》がっていたという。そこでな、のちに三弥が柿本源七郎の家へ去ってのちも、郁太郎の使いには父の代りに出てき、兄の小雨坊と会ったらしい」 「三弥は、それで、あの化けものに助勢をたのんだのでございますね」 「さようさ」 「化け……いや、伊藤郁太郎は、どこにいたので?」 「さ、それは三弥のみが、知っていたのであろうよ」  六ツ半(午後七時)ごろに、小兵衛は弥七たちとふじ岡を出て、西光寺裏の柿本家へ向った。  柿本家の、こわれかかった門を入って左へ折れると菜園の跡らしい空地がひろがり、これを櫟林《くぬぎばやし》が囲んでいる。その林の中に、傘屋の徳次郎が待っていた。下っ引の与助は床下にもぐっているらしい。 「まだ、若《わけ》え男《ほう》は帰って来ません」  と、徳次郎が告げた。 「よし」  うなずいた秋山小兵衛が、 「弥七。すぐさま、やってのけよう。用意をたのむ。なれど、かまえて手出しは無用。もし、わしが化けものに斬られたら、お前たちは逃げよ」  おもおもしくいったものだ。  荷車が林の中へ引きこまれ、荷物が出された。樽《たる》に油がつめこまれ、松明《たいまつ》の用意もしてある。 「火をかけたら、わしにかまわず、今度は火を消しにかかれ。よいな」  と、小兵衛が弥七たちへいった。  柿本家の床下の、ちょうど、小雨坊が寝酒をやっている真下から、弥七が放った火が燃えあがったのは、それから間もなくのことだ。 「うわ……」  これには、さすがの小雨坊……いや、伊藤郁太郎もおどろいた。 「だれだっ!!」  大刀を引きぬき、火煙にむせかえりつつ庭に面した雨戸を蹴倒《けたお》し、うすい乱髪を振りたて、小雨坊が庭へ飛び下りたのへ、 「待っていたぞ」  秋山小兵衛が雨合羽《あまがっぱ》をぬぎ捨てざま、藤原国助の大刀、抜く手も見せずに小雨坊へあびせかけた。  小雨坊が怪鳥《けちょう》のごとく叫んで飛び退《の》く。  小兵衛は追わず、すっ[#「すっ」に傍点]と身を引いた。  着ながしの裾《すそ》を高々と端折《はしょ》った小兵衛は、足袋《たび》の上から草鞋《わらじ》をはき、襷《たすき》をまわしていた。  小雨坊は、庭の古びた石燈籠《いしどうろう》の傍《わき》まで飛び退き、片ひざをつき、大刀を左の小脇《こわき》へすぼめるようにして構え、 「秋山、小兵衛」  うめくがごとく呼びかけた。 「いかにも」  およそ、五|間《けん》もの彼方《かなた》で、小兵衛がこたえた。弥七も徳次郎たちも、裏の戸を叩《たた》き破り、いまは消火にかかっている。小雨坊を外へ引き出すための放火であった。  小兵衛と小雨坊は、にらみ合ったまま、うごかぬ。  と……。  小雨坊の額から血がにじみ出し、これが、顔へながれ出した。浅い傷だが、小兵衛の抜き打ちの刃先に切り裂かれていたのである。  雨戸の間から見えていた火の色が消えた。あらかじめ、消火の用意をしての放火ゆえ、消すのも早かった。  庭に闇《やみ》がもどった。  小雨坊が、うろたえ気味に大きな石燈籠の陰へ隠れ、刀を構えつつ、眼へ入る血を左の袖口《そでぐち》でふき取ろうとした。  その一瞬であった。  秋山小兵衛が猛然と駆け寄り、四尺余の石燈籠の手前から跳躍した。  小兵衛の細い小さな体は、ものの見事に石燈籠の頂点を飛び越え、小雨坊の頭を蹴った。 「ぬ……」  狼狽《ろうばい》して切りはらった小雨坊の刃風は、小兵衛にとどかぬ。  飛び下りた小兵衛と、振り向いた小雨坊とが、 「鋭《えい》!!」 「ぎゃあっ!!」  同時に、刀を打ちこんだ。      ○  弥七たちが庭へ飛び出して来たとき、秋山小兵衛は国助の一刀へぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけ、鞘《さや》におさめたところであった。 「せ、先生……」  弥七が、ほっ[#「ほっ」に傍点]として、 「化けものは……?」 「向うに倒れている。なるほど、凄《すご》い奴《やつ》じゃ。見ろ、これを……」  小兵衛は左の肩から胸にかけて、切り裂かれた傷を見せた。  傷は浅かったが、それにしても、あれだけ追いつめられながら必死の反撃に出た小雨坊の手練《しゅれん》は、なまなか[#「なまなか」に傍点]のものではない。 「死体をすぐに、そこへ埋めてやれ。おもえば、あわれな……」 「先生。伊藤三弥を待ちますか?」 「なあに、ほうっておけばよい」  火を消しとめるのが早かったので、近辺の百姓家でも、このさわぎには気づかなかったらしい。 「弥七。今夜も泊めてもらわねばならぬな」 「ようございますとも」 「なにしろ、小雨坊が、わしの家を焼いてしもうた……」  その、秋山小兵衛の隠宅が、もと通りに再建されたのは、この年の夏であったが、ちょうど、そのころ、どこからか舞いもどって来た伊藤三弥は、焼失をまぬかれた柿本源七郎の家の中で、喉《のど》を突いて自殺をとげたという。     不二楼《ふじろう》・蘭《らん》の間《ま》      一  あの妖怪《ようかい》〔小雨坊《こさめぼう》〕に似た剣客・伊藤|郁太郎《いくたろう》の放火により、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅は全焼してしまった。  小雨坊との決闘で、浅い傷をうけた小兵衛は、五日ほど、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》の家へ厄介になっていた。  むろん、大治郎もおはる[#「おはる」に傍点]も駆けつけてきたが、 「なあに、大したことはない」  小兵衛は起きたままで近辺の医者の手当をうけた。  このことは、佐々木|三冬《みふゆ》を通じて老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の耳へ入り、意次はすぐさま、三冬へ、 「火事見舞として、秋山先生へおとどけせよ」  と、金百両を小兵衛に贈った。  現代の価値感覚からいうと、およそ千万円ほどか……。  そのとき小兵衛、いささかも悪怯《わるび》れることなく、 「田沼様の御《おん》ふところより出《い》でたるものなれば、ありがたく頂戴《ちょうだい》いたそう」  押しいただいて、もらい受けた。  六日目に、小兵衛は弥七の家を出て、町駕籠《まちかご》で、関屋《せきや》村のおはるの実家へ移った。  そこへ、小兵衛が、かねてからなじみ[#「なじみ」に傍点]の浅草・橋場《はしば》の料亭〔不二楼〕の亭主夫婦が見舞いにあらわれ、 「ぜひとも、手前どもの奥の離れへ……」  と、すすめてくれた。 「そんなにしてもらっては、わるいような……」 「とんでもございませぬ。秋山先生なれば、一生涯うち[#「うち」に傍点]に居ていただきたいほどでございますよ」  と、亭主の与兵衛がいった。  そうかも知れぬ。なにしろ此《こ》の頃は、天下泰平の世の中で結構なことにはちがいないが、それだけに種々雑多な悪の芽がふき出して、不二楼のように名の通った料亭でも、十日に一度は物騒な事件が、 「起りかねませぬ」  のだそうな。 「あは、は、は……それで、わしを用心棒にしてくれるのかえ?」 「と、とんでもございません」 「ま、よろしい。では、厄介になろうかね」 「おききとどけ下さいましたか。それはありがたい、ありがたい」 「ときに御亭主。わしとても、いつまで不二楼に居候《いそうろう》をしているわけにはゆかぬ。元の場所へ、元どおりの家を建てたいとおもうのじゃが……だれか、よい大工を引き合せてくれぬか」 「万事、心得ましてございます。そのようなことなら不二楼の与兵衛におまかせ下されば御安心でございますよ」  というわけで、小兵衛とおはるは、次の日に、不二楼の離れ屋へ引き移った。  なにしろ上げ膳《ぜん》、据え膳だものだから、おはるは大よろこびで、 「先生。たま[#「たま」に傍点]には、こんなのもいいよう」  と、大よろこびなのである。  不二楼の亭主は、浅草・聖天町《しょうでんちょう》に住む大工の棟梁《とうりょう》で富治郎というのを小兵衛に引き合せた。  富治郎は、まだ三十をこえたばかりで亡父の跡をついだ棟梁だが、小兵衛は一目で気に入ったらしく、その場で打ち合せにかかった。半刻《はんとき》(一時間)ほどで富治郎は帰って行ったが、その後で小兵衛が不二楼の亭主に、 「あれなら大丈夫じゃ」  といった。  さて……そろそろ、今度の物語へ入らねばなるまい。  月が替って、如月《きさらぎ》(陰暦二月)の七日の昼下りに、秋山小兵衛は離れ屋を出て、ぶらぶらと廊下をたどるうちに〔蘭の間〕という奥座敷の前へ来た。  この座敷は、井村|某《なにがし》という絵師が蘭を襖《ふすま》に描いたことから名がつけられたのだそうである。  そして、この蘭の間は、かつて、不二楼の座敷女中・おもと[#「おもと」に傍点]が料理人の長次とあいびき[#「あいびき」に傍点]をしていて、客の悪だくみを盗み聞いた座敷でもある。  小兵衛はふらりと蘭の間へ入り、襖の絵をながめた。  あまり、感心もしなかった。 「ふうん……」  また、廊下へ出ようとしたとき、おもとの案内で、この奥座敷へ近寄って来る客の足音がきこえた。  そのとき小兵衛が、くび[#「くび」に傍点]をすくめて身をひるがえし、前におもとと長次が隠れた障子外の土間に接した雪隠《せっちん》(便所)へ飛びこんだのは、どうした神経のはたらきだったのであろうか……。  その瞬間に小兵衛は、長次とおもとのことをおもいうかべたのやも知れぬ。  また一つには、このところ毎日が退屈で、体をもてあまし、好奇心が旺盛《おうせい》になっていたものか……。  おはるは三日前から、兄嫁に子が生まれたというので、関屋村の実家へ手つだいに帰っている。  蘭の間へ入って来た客は男女の一組であったが、その前に座敷付きの雪隠へ身をひそませた小兵衛は、二人の顔を見ていない。  酒が運ばれて来て、間もなく二人きりになった男女の声をきいて、小兵衛は一層、好奇心をそそられることになった。  雪隠の戸を細目に開けておくと、座敷から洩《も》れてくる低い声が、どうにか小兵衛の耳へ入ってきた。  だからといって、二人のことばのすべてがきこえたわけではなかったが、 「それがさ、千両は間ちがいない。あたしは、そうにらんでいるけれど……」  女のふくみ[#「ふくみ」に傍点]声をうけた男が、 「ふうむ……」  唸《うな》ってから、しばらく沈黙があって、 「そんな爺《じじ》いなら、わけもねえことだが……」 「百五十石どりの御家人・横川鉄五郎なんて、名前だけは強そうだけれども、七十を四つも越して、枯木のような老いぼれだもの」 「だが、その、養子の小金吾というのは……?」 「そりゃあ、年は若いけれども、大小の刀を腰に差したら、その腰がふらつくような……いまの侍は、みんなそれ[#「それ」に傍点]さ」 「よし。ついでに、その養子も……」  ここで、急に、声が低くなった。  それだけでも、小兵衛には凡《およ》そのみこめたが、何よりも好奇心をそそられたのは、 「百五十石どりの御家人・横川鉄五郎」  という名前であった。  秋山小兵衛、その名を知っている。  小兵衛は、横川鉄五郎から金三十両を借りたことがある。  それは、四年ほど前のことになるが……。  そのころ、すでに小兵衛は剣術界から引退をしていたが、折しも、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ隠宅をかまえることと、諸国をまわって剣の修行をはじめていた息《そく》・大治郎への仕送りのこともあって、 「ふところぐあいが、ちょ[#「ちょ」に傍点]と、さびしくなり……」  人伝《ひとづて》にきいて、横川鉄五郎家へおもむき、三十両を借りたのである。  そのときの抵当として、秘蔵の、堀川|国弘《くにひろ》二尺二寸二分の銘刀ほか、二振《ふたふり》の大刀を横川老人へわたした。  三十両の抵当としては、あまりにも立派すぎる。  しかし、それでなくては、 「お貸しできぬ」  と、横川鉄五郎がいい張るので、仕方もなかった。  むろん、高利の借金である。  しかし、小兵衛は急の入用だったから、敢《あ》えて借りたのだし、また二月《ふたつき》後には他《ほか》から金が入り、返済できる見込みがあった。  それが延びてしまい、高利に苦しんだことを、小兵衛は今も、おぼえている。 (ほ……あの爺いか……)  であった。  老人ながら背丈が高く、骨と皮ばかりに痩《や》せた体格だが、小兵衛が見ると、それは、もちろん貧困の故《ゆえ》でなく、 (強壮の体格じゃ)  そう感じられたものだ。  その長身|痩躯《そうく》の上に、これはまた、がっしりとした大きな老顔が載っている。光のない白い両眼が剥身《むきみ》のように無気味で、鼻もふとく、口は大きくて厚く、紫暗色を呈している。  髪は、たしかまっ[#「まっ」に傍点]白であった。  幕臣も二百石以上は、御目見得《おめみえ》といい、将軍に目通りができる資格をもっていて、これがいわゆる〔旗本〕であり、二百石以下は〔御家人〕とよばれ、同じ幕臣でも大分にちがってくる。  横川鉄五郎は、だから御家人の上ノ部へ入るが、下は三十俵二人|扶持《ぶち》の貧乏暮しに甘んじている連中まで、形態はさまざまなのである。  横川鉄五郎は、むかし、諸方の〔代官〕をつとめたことがあり、そのころ、職権を悪用し、ずいぶんとひどいことをやって金をためこんだそうな。  現在は御役目に就いていないが、まだまだ養子の小金吾に家督をゆずらず、ひそかに高利の金を貸しつけることをやめぬらしい。  小兵衛の推察では……。  いま、蘭《らん》の間《ま》にいる男女は、どうやら、 (横川鉄五郎・小金吾の父子《おやこ》を殺害《せつがい》し、鉄五郎の金を奪い取ろうとしている……)  らしくおもわれる。  男は、三十五、六。女は二十六、七と、小兵衛は、彼らの声音《こわね》で測った。  すると、そのうちに……。  座敷の中が、妙な気配になってきたではないか。  帯が畳に擦《す》れる音にまじり、女のあえぎが高まって来て、鼻を鳴らしつつ、男に何かささやいている。  男が猛《たけ》りたって、烈《はげ》しくうごきはじめたようだ。 「か、変らない。三年前と、お前は、ちっとも変らないよう」  叫ぶように、女がいった。 (これは、いかぬな……)  小兵衛は、くび[#「くび」に傍点]をひねった。  あわただしい情事の後で、女のほうが雪隠へあらわれることは知れている。この座敷に雪隠が付いていないとおもっているなら別のことだが……。  這《は》うようにして、秋山小兵衛が土間へ出て来た。  男と女は、益体《やくたい》もないことを口走りながら無我夢中の態《てい》であった。  さいわいに、土間との境の障子は閉《た》て切ってある。  土間は奥庭に面していて、そこは腰高障子になっていた。  それを、小兵衛は音もなく開け、するり[#「するり」に傍点]と庭へすべり出た。  蘭の間の二人は、いささかも気づかぬ。小兵衛は腰高障子を閉めてから、そっと離れ屋へもどった。  それから蘭の間の客は一刻《いっとき》半(三時間)もいた。 (妙なこと[#「妙なこと」に傍点]を……)  した後で、また酒を運ばせ料理をとり、ゆっくりとしてから、女のほうは駕籠《かご》をよばせて帰って行き、男は、それを見送ってから帰って行った。  小兵衛はそれを、不二楼の裏手から見とどけておいた。  年のころは、まさに小兵衛の推察どおりで、女は御納戸《おなんど》色の頭巾《ずきん》に顔を隠していたけれども、見るからに男好きのする体つきで、駕籠へ乗るとき、裾《すそ》からこぼれた足頸《あしくび》の白さが抜けるようであった。  男は、小ぎれいな身なりの、遊び人ふうのこしらえだが、小兵衛は一目で、 (こやつ、以前は二本差していたな)  と、看破した。  離れ屋へもどった小兵衛が、女中のおもと[#「おもと」に傍点]をよび、 「いま帰った蘭の間の客は、なじみかえ?」 「男のほうは知りませんけれど、女のほうはたしか、一年ほど前に二度ほど、室町《むろまち》の大坂屋の旦那《だんな》といっしょに見えたことがございますよ。向うは知られていないとおもっていましょうが、そこは先生、こっちも商売でございます。一度見たお客のことは決して忘れませんので……へえ、大坂屋さんは線香問屋で、あれはどう見ても、大坂屋さんの囲いもの[#「囲いもの」に傍点]だと、みんなでうわさしていました。  それが先生、今日は妙な男をくわえこんで来て、嫌だったらありゃあしない。蘭の間で、さんざ、妙なことを……」 「これ、おもと。お前、他人《ひと》のことがいえるかえ」 「あれ、いやな……」  おもとは赤くなった顔を、袂《たもと》でおおった。      二  翌朝。秋山小兵衛は四ツ(午前十時)すぎまで、離れ屋の寝床にもぐりこんでいた。  冬の名残りが暁闇《ぎょうあん》の冷えにあり、それが夜明けと共にぬくもり、あたりが明るくなるにつれて、しだいに春めいた陽ざしに変ってくる。  春も浅いころの、 「朝寝は何ともいえぬ」  のであった。  雀《すずめ》の囀《さえず》りに、ようやく目ざめたとき、庭づたいに二人の足音が近寄って来て、 「もし……もし、お目ざめでございますか?」  座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]の声がした。 「ああ、いま、起きた」 「関屋村から、あの、お使いが……」  いいさしたおもとの声を引きとって、 「先生よう。女房が産後に弱ってしまって、もう二、三日うごいてはいけねえというだよ。女房のやつはおふくろより、おはる[#「おはる」に傍点]のほうをたより[#「たより」に傍点]にしているもんで……すみませんが、先生。もうすこし、妹を借りておいてようござりますかね?」  一気にいったのは、おはるの実兄の百姓・乙吉《おときち》であった。 「いいとも、いいとも。遠慮はいらぬぞ」 「はあい。すみませんですよう。芹《せり》と鴨《かも》を一羽、持って来ただが、この女中さんにわたしていいかね?」 「そうしておくれ」 「ここは料理屋だから、うっかりわたして、他の客に出されたりすると、つまらねえから……」 「は、はは……お前は正直じゃのう」  おもとが笑いをこらえている様子が、雨戸ごしによくわかった。 「じゃあ先生よ。たしかに、このひとにわたしただよ。いいね、いいね」 「いいとも」 「では帰ります。さよなら」 「みんなに、よろしくいってくれ」 「はあい」  乙吉の足音が遠ざかってから、おもとが笑いながら、 「お起きになりますか?」 「あ、起きる。これ、笑うな。あれでも、わしにとっては義理の兄じゃよ」 「まあ、ほんとに……」 「今夜は芹と鴨か。たのしみじゃな」  やがて、おもとが廊下からまわって来て、離れ屋の雨戸を開けはじめた。  小兵衛は風呂場《ふろば》へ行く。その間に掃除がすんでいるという寸法であった。  湯につかりながら、小兵衛は昨日のことをおもい起した。  いやしくも将軍家の家来でありながら、陰へまわって高利貸をやり、金欲の権化《ごんげ》と化している横川鉄五郎のことなど、どうでもよいが、小兵衛の脳裡《のうり》に昨日から浮かんで消えぬ若者の顔が一つある。  それは、鉄五郎の養子・小金吾の顔であった。  四年前に、金を借りに行ったとき、近所へ出かけていた横川鉄五郎が帰って来るまでの間、小兵衛に応対をしたのが小金吾であった。  そのとき小金吾は、養子に入ってから一年ほど経過していたらしい。  色白の、ふっくらとした童顔で、十八歳だといったが、月代《さかやき》を落した髷《まげ》よりも前髪立ちのほうが似合うほどの初々《ういうい》しさで、いかにもおとなしそうな若者であった。 「お茶も出しませぬで……」  と、小金吾は恐縮していたものだ。  養父の鉄五郎から、 「どのような客にも、茶など出してはならぬぞ、もったいない」  と、禁じられていたからだ。  横川家は、本所・石原町にある。  宅地は三百坪。両開きの門構えで、中間《ちゅうげん》が一人に、下男下女が一人ずつという、いかにも切りつめた奉公人がいるのは、なんといっても槍《やり》一筋の体面をとらねばならないからだが、その三人きりの奉公人も長くは居つかず、いつも変っている。給料は定《き》めがあるから支払うけれども、 「あそこへ奉公していると、飢死《うえじに》をしてしまう」  と、奉公人が近辺の人びとへこぼしぬくそうな。  鉄五郎老人は、台所へも顔を出し、飯や汁、惣菜《そうざい》の炊《た》きすぎ煮すぎに対しては、手きびしく叱《しか》りつける。  そもそも、幕臣が高利貸なぞをしていると知れたら、むかしなら、 「切腹もの」  なのである。  それがいまは、諸事万事が金ずくで運ぶ世の中であるから、あれほどに悋嗇《りんしょく》な横川鉄五郎も、しかるべき筋には、 (ちゃん[#「ちゃん」に傍点]と、金にもの[#「もの」に傍点]をいわせてあるにちがいない)  と、小兵衛は看《み》ていた。  横川鉄五郎の妻は、もう二十年も前に病歿《びょうぼつ》してしまい、むすめ[#「むすめ」に傍点]が一人いたそうだが、これは十七、八歳のころに家出をして、いまも行方知れずだということだ。  本所|界隈《かいわい》では、横川鉄五郎のうわさ[#「うわさ」に傍点]を知らぬものはない。  そのような鉄五郎老人が、なんでまた、小金吾なる養子を迎えたかというと、 「持参金が目あて……」  であったのだそうである。  小金吾は、巣鴨《すがも》の五軒町に屋敷がある三百石の旗本で、森川|斧太郎《おのたろう》の末弟だ。  長男の斧太郎が亡父の跡目をつぎ、森川家の当主となったとき、次男の源次郎、三男の小金吾を、それぞれ持参金をつけ、養子に出した。森川家の先代はこころがけがよくて、それほどの金は持っていたのであろう。  源次郎は、これも三百石の中嶋《なかじま》家へ養子に行き、そして小金吾は横川鉄五郎の養子となった。  森川斧太郎の耳へは、横川家の悪いうわさ[#「うわさ」に傍点]が入らなかったにちがいない。 「たびたび御代官をつとめ、裕福だそうだから、行先、小金吾のためにもよかろう」  その程度の考えであったらしい。 「さて……」  遅い朝食をすませてから、 「ちょ[#「ちょ」に傍点]と出て来るよ」  秋山小兵衛は、着ながしの姿ながら羽織をつけ、国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》一つを腰に不二楼《ふじろう》を出たが、出がけに若い者の豊吉へ〔こころづけ〕をわたし、厚い手紙を四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き・弥七へ、 「急いで、とどけておくれ」  と、たのんでおいた。  昨日、小兵衛が蘭《らん》の間《ま》で盗み聞いたはなしだけでは、あの男女が横川鉄五郎へ、どのような悪行《あくぎょう》をはたらこうとしているのか、はっきりとわかったわけではない。  しかし、どうやら強盗をはたらこうとしていることは、小兵衛にも察しられる。  あの二人のほかに、それを手伝う無頼者も出て来ると見てよい。  横川鉄五郎など、 (どうなってもよいが……)  だが、小兵衛の気にかかっているのは、あのとき、男のほうが、 「よし。ついでに、その養子も……」  といった言葉であった。      三  秋山小兵衛は、両国橋をわたって本所へ入り、先《ま》ず、亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者・小川|宗哲《そうてつ》を訪問した。 〔碁がたき〕でもある二人の親交は、もう十五年におよんでいた。  宗哲は、七十をこえた老医だが、見るからに矍鑠《かくしゃく》としている。  折よく宗哲は在宅で、小兵衛が、 「久しぶりに御相手をいたしましょうかな」  と、申し出るや、 「うれしいことを……」  すぐさま、碁盤を持ち出してきた。  で、碁を囲みつつ、小兵衛がそれとなく、横川鉄五郎のことにふれてゆくと、小川宗哲は、かなり、横川家のことを知っていた。  それというのも、横川家のとなりの、これも百五十石どりの平岡角之助という御家人の老母が、以前から宗哲の患者で、その平岡家から、いろいろときいたものらしい。  宗哲先生、品のよい老顔をしかめていうには、 「……どれほどの持参金を取ったか、そりゃ知らぬがな。金を取って養子にしたら、今度は小兵衛さん。出て行けがし[#「がし」に傍点]の虐待《ぎゃくたい》をする。そりゃ、ひどいもので、一汁一菜というが、菜のつかぬ膳《ぜん》が三度三度……いや、日に二度、めずらしくないそうじゃ。養子にも奉公人にも、日に二度しか食べさせぬという」 「なるほど……」 「人が日に三度、食すようになったのは、天下泰平の世となってからの悪い習慣で、戦国の時代《ころ》は、身分の上下にかかわりなく、日に二度の食事であった、と、かように申すらしいぞよ」 「ははあ……」 「それで、養子の小金吾が堪えかねてな……」 「どういたしました?」 「これまでに二度ほど、家出をしたそうな」 「どこへ逃げましたかな?」 「そりゃ、きまっている。ほかに行くところとてあるまい。巣鴨《すがも》の実家へ逃げたらしい」 「なるほど、それで?」 「くわしくは知らぬが、実家の兄というのが、これまた堅物《かたぶつ》でな。いったん横川家の人となったからには、やみやみ[#「やみやみ」に傍点]と帰って来るなど、もってのほかと叱《しか》りつけ、追い返したらしいぞよ」 「ふうむ……」 「そりゃな、小兵衛さん。弟たちは厄介払いをしたのだ。しかも持参金をつけて出してやったのだから、兄貴としては、おさまるまいよ」 「ふむ、ふむ……」 「どうも近ごろは、万事が贅沢《ぜいたく》になり、金また金の世の中になってしもうたが、そのくせ、人の暮しに余裕《ゆとり》が無《の》うなったようじゃ」 「ところで、宗哲先生」 「なんじゃな?」 「かの、横川鉄五郎なるもの、七十をこえた老人と申します」 「さよう。わしより、二つ三つ、上じゃないかな」 「いつまで生きるつもりなのでしょうかな?」 「さて、な。いつまでも死なぬつもりなんじゃろ」 「金を、たくさんにためこみ、つかいませぬので?」 「つかわぬらしい、な」 「はて。どういうつもりか……?」 「これ、小兵衛さん」 「はあ?」 「秋山小兵衛うじ[#「うじ」に傍点]ともあろうお人が、それをわからぬはずもないではないか」 「わかりませぬな」 「そうかな。わしは、ようわかるよ」 「どのように?」 「わしは、な……」  いいさして小川宗哲が女中をよび、近くの〔大金《だいきん》〕という鰻《うなぎ》屋へ走らせた。  小兵衛と、昼飯にしようというのである。  鰻がとどいて、酒をのみながら、宗哲が、 「さて、さっきのはなしのつづきじゃが……」 「はい、はい」 「わしはな、二十年ほど前までは、上方《かみがた》で開業していた」 「いつぞや、うかがいました」 「そのころは、いくらでも金が入ってな」 「ははあ……」 「この医者という稼業《かぎょう》は、やり方しだいで、いくらでも金が儲《もう》かるのじゃよ」 「ははあ……」 「何も彼《か》も知っているくせに、小兵衛さん、惚《とぼ》けていなさる。剣術だってそうやないか。現に、いまのあんたは、うまいことしてるがな」 「こりゃあ、どうも……」 「けれど、あんたは金を手に入れるのもうまいが、つかうのもうまい。つかうための金じゃということを知っていなさる。わしも、そのつもりじゃ。だがのう、二十年前のわしは、そうではなかった」 「と、申されますのは?」 「そのころ、医者稼業の骨《こつ》をのみこんだら、どしどし金が入って来るようになってのう。ま、金がたまったら、こんなぜいたく[#「ぜいたく」に傍点]をしよう、こんな屋敷を建てよう、困っている人には面倒を見てやろ……と、いろいろにおもうているのじゃが、さて、金がたまりはじめると、たまることがたまらなくおもしろい、たのしい、こりゃ全く、ふしぎなものでな。山吹色の小判を一枚二枚と、夜ふけに独りで数えているときの気もちは余人にはわからぬものじゃ」 「先生が、むかしは、そのような……?」 「そうじゃとも」  十五年も交際している小兵衛であったが、宗哲先生が、これほどに過去の自分を率直に語ったのは、今日がはじめてである。 「むかしむかしは、金だけでは事がすまぬ。物をつくり、これを別の品物と取り替えて、暮しをたてる。つまり、人が汗水たらして、はたらいただけのものが、その人の暮しをささえてきたわけじゃろ。ところが、金というものができて、この流通によって、上は一国、下は一家の経済というものが成り立つようになってから年久しい。つまり、いまの世の金のちから[#「ちから」に傍点]は万能ということじゃ」 「いかさま……」 「ゆえにこそ、小判はこころ強い、たのもしい。その、たのもしさを一枚二枚と数えるのじゃもの。他人は死んでもおのれは死なぬ気にもなろうではないか」 「いや、恐れ入りました」 「じゃがの、わしは、さいわいに医者であった。おかげで、人間の寿命については、いや[#「いや」に傍点]になるほど知りつくし、わきまえている」 「はあ……」 「そこで或《あ》る夜。ためこんだ小判を、いつものように数えているうち、ああ、こんなことして何がおもしろいのか……と、こうおもうた。小判を数えているうちに死んでしまうわな。二十年三十年なぞ、あっ[#「あっ」に傍点]という間じゃ」 「さとられましたかな」 「ま、大仰《おおぎょう》にいえば、そうじゃ。それで、それから、わしの女狂いがはじまった。博奕《ばくち》もし、酒ものみはじめた。そしてな、もっている金をすっかり、つかい果したとき、今度は、金が小判が、恐ろしゅうなってきた。それでな、江戸へ来てからは、努めて、金を避けているのじゃよ。あは、はは……」  本所|界隈《かいわい》で、小川宗哲の名声は大きいが、金のある無しにかかわらず、身分の上下にかかわらず、宗哲の診察と治療は行きとどいている。だから、本所《ところ》では、 「生き神さま」  なぞという者もいる。  それもこれも、宗哲にいわせると、 「わしが金を恐れ、金を避けているにすぎないのじゃよ」  と、いうことになる。  さらに宗哲は、こういった。 「そこへ行くと、さすがは秋山小兵衛先生。大金をつかんでも、たちまちこれを散らし、悠々として、小判の奴《やつ》どもをあご[#「あご」に傍点]で使っていなさるわえ」      四  小兵衛が手紙で依頼した用件を調べて、四谷の弥七が不二楼《ふじろう》へ姿を見せたのは、翌日の午後であった。 「や、御苦労。何か、わかったかえ?」 「とりあえず……」 「女のほうを?」 「さようで。あの女は、ついこの近くの専念寺《せんねんじ》裏の、小さいがしゃれた[#「しゃれた」に傍点]家に住んでおります」 「そこが、大坂屋の妾宅《しょうたく》というわけか、なるほどな」 「元は、そうでございました」 「すると、いまは、あの女、大坂屋の囲いものではないのかえ?」 「大坂屋清右衛門のほうで、女に嫌気がさし、半年ほど前にわかれたそうでございますよ。これは諸方でききこみました。およそ、そんな見当でございましょう」 「女の素姓は?」 「そいつが、まだ、わからねえのでございます。もう少し、お待ち下さいまし」 「それで、男のほうは?」 「こいつはいま、専念寺裏の女の家で、ごろごろしておりますが、さっぱり見当がつきません。先生がおっしゃるとおり、あいつはたしかに、元は二本差していたにちがいございませんね」 「見たかえ?」 「女の家へ出入りするところを二度ほど見ましてございます。はい、それはもう、大丈夫で。いま、傘屋の徳次郎に、女の家を見張らせてあります」 「いや、いそがしいのにすまなかったな。これは少ないが入費《にゅうひ》にしておくれ」 「いえ、先生。この前のが、まだ残っております」 「よいから、よいから取っておいてくれ」  小兵衛が酒を取り寄せ、弥七を相手にのみはじめていると、そこへ、下っ引の徳次郎が駆けつけて来た。女の家の見張りを、別の下っ引にたのんでおいてである。 「妙な奴《やつ》らが二人、女の家へ入って行きました」  と、傘徳がいった。 「どんな奴だ?」 「一人はあご[#「あご」に傍点]に凄《すげ》え傷痕《きずあと》のある奴で、もう一人は浪人です。二人とも三十がらみ。ありゃ相当の悪《わる》ですぜ」 「そうか……」  すると秋山小兵衛が、 「どうやら、横川鉄五郎の家へ押し込みをかけるのは、今夜のようだな」 「こうなれば先生。お上《かみ》の御用でございます」 「それは、まあ、そうじゃが……」  小兵衛が考えにふけりはじめたのを見て、四谷の弥七は徳次郎へ、 「いまのうちに、どこかで腹ごしらえをしておけ。そしてな、もう一度、此処《ここ》へ来てくれ」  と、いった。  徳次郎が去った後で、小兵衛が、 「わしはな、弥七……」 「はい?」 「その女が、どうも、以前は横川鉄五郎と何かの関《かか》わり合いがあったようにおもえてならぬ」 「それは私も、そうおもいますが……」 「すると、じゃな……」 「へ……?」 「このことが、明るみ[#「明るみ」に傍点]に出ると、曲りなりにも横川鉄五郎は将軍家の家来じゃ。女と鉄五郎の関係《ゆかり》がどのようなものか、それによってじゃが、こいつ、まずくすると、百五十石の横川家に傷がつくやも知れぬなあ」 「かまわねえじゃあございませんか、そんな爺《じじ》いの家に傷がついたところで……」 「まあ、待て。実はな、弥七……」  と、それから小兵衛が、養子の横川小金吾のことを弥七へ物語った。 「もとはといえば、わしがこのことへ、くび[#「くび」に傍点]を突込みかけているのも、つまりは、その養子が哀れにおもえたからじゃ」 「すると、やはり、百五十石に傷がついてはまずいと……」 「どっちにしろ、鉄五郎は十年と生きまい。その後は小金吾、辛抱の甲斐《かい》あって、跡目がつげようというものじゃ」 「ですが先生。その横川という御家人を、私は見たこともございませんが、そういう爺いにかぎって、長生きをするものなので……」 「なるほど」 「その間に、もしかすると御養子のほうがまいってしまうかも知れませぬ。そんな鳥の餌《えさ》のようなものを毎日食べさせられていたのでは、若い体はもとよりのこと、神経《き》がまいってしまいましょう」 「ふうむ……」 「どういたしましょうか?」 「ま、ともあれ、われらも腹ごしらえをしておこうではないか」  手を打って女中をよんだ小兵衛が食事の仕度をいいつけ、淡い夕闇《ゆうやみ》がただよう庭先を指し、 「見よ、弥七。梅は百花に先がけて咲くが、それだけに、また、得もいわれぬ気品があるのう」 「ははあ……」 「春もやや、けしきととのう月と梅……こんな句をきいたことがある。むかしの、何とやらいう俳人の句じゃというが……」 「風流なことで……」 「弥七……」  にやりとして秋山小兵衛が、 「こんなのも、おもしろかろう」  と、弥七の耳へ何やらささやき、 「どうじゃ?」  弥七は、呆気《あっけ》にとられ、しばらくは声も出なかった。  秋山小兵衛が、いま、弥七の耳へささやいたのは、俳句などのことではない。  そのようなことからは程遠い、もっと別のことであった。  小兵衛は、くすくす笑いながら、 「わしもこれで、ずいぶんと悪い奴じゃな」  つぶやいて、冷えた酒を口にふくんだ。      五  この夜は、何事もなかった。  女の家へ入った二人の無頼者は、そのまま、 「出てめえりません」  と、いうことであった。  その家というのは、浅草から千住《せんじゅ》大橋へ通ずる往還の、浅草・山谷町《さんやちょう》を東へ切れこんだところにある専念寺の裏手にある。ここは専念寺の地所だったのを、檀家《だんか》の大坂屋清右衛門が借り受け、妾宅《しょうたく》を新築したものだ。小ぢんまりとしてはいるが、庭もあり、さすがに妾宅らしく塀をたてまわして、ぜいたくな造りであった。  翌日の昼ごろ、四谷の弥七が不二楼《ふじろう》へ来て、専念寺の和尚《おしょう》からききとったことを、小兵衛につたえた。  女は、名をお照[#「お照」に傍点]というが、大坂屋に囲われる前のことは、 「わしも、ようは知らぬ」  と、和尚がいったそうな。  とにかく、大坂屋は一年もすると、何故か、 「あの女は、どうも油断のならぬ女だ。早いうちに別れたほうがよい」  と、相応の手切れ金と家をそっくりやって、お照と別れてしまったのだという。  大坂屋清右衛門は色好みの五十男であるが、それだけに、むざむざと女につけこまれるようなこともなく、 「別れるときには、大分に、もめたようじゃが、大坂屋さんは金ばなれもきれいな上に、肚《はら》がすわっていなさるから、あの女も歯が立たなんだようじゃ」  そういう和尚も、寺の地所の女の家へ、このごろは妙な男が出入りをするようになったので、迷惑をしているとのことだ。 「そうか、なるほど……ときに弥七」 「はい」 「押し込みは今夜と、わしは見ているが、どうじゃ?」 「私も、そうおもっております」 「ぬかるなよ」 「下っ引を二人ほど、増やしておきました」 「よし、よし」  この日は、朝から曇っていたが、夜に入ると霧のような雨がけむりはじめた。  腹ごしらえをすませた小兵衛が、不二楼の離れ屋に待機していると、かれこれ五ツ半(午後九時)ごろに、傘屋の徳次郎が庭へ入って来て、 「先生。お出ましをおねがい申します」 「お出まし[#「お出まし」に傍点]ときたな」 「あいつらが、女の家を出ましてございますよ」 「そうか。で、女は?」 「家に残っております」 「一人、見張りを残しておいたろうな?」 「伝馬町《てんまちょう》の親分にぬかり[#「ぬかり」に傍点]はございません」 「よし、よし。それでよし」 「お駕籠《かご》を、よびます」 「いいよ。仕度はしてある」  小兵衛は尻《しり》をからげて雨合羽に笠《かさ》をかぶって、庭へ出て来た。  不二楼の二階座敷から、しのびやかな三味線の音がもれている。客が一組、まだ残っているらしい。  大川《おおかわ》(隅田川)沿いに、今戸から山之宿《やまのしゅく》六軒町まで、小兵衛と傘徳がやって来ると、六軒町の〔駕籠重〕という駕籠屋の中から通りを見ていた四谷の弥七が飛び出して来た。 「おお、弥七か……」 「女の家から、男が三人、ばらばらに出ましたが、いま、花川戸《はなかわど》の三河屋《みかわや》という軍鶏鍋《しゃもなべ》屋で落ち合いましたようで」 「ふうむ……三河屋は夜明けまで店を開けている。では、そこで押し込みの刻限を待つつもりじゃろう」 「そのようで」 「それでは、わしはな。いつかほれ、一度、お前をつれて行ったことがある横網町《よこあみちょう》の鬼熊《おにくま》酒屋な、あそこで待っていよう。それでいいかえ」 「結構でございます、先生」 「徳次郎は、ついて来ぬでもいいよ」  それから秋山小兵衛は一人で大川橋をわたり、大川の東岸を南へ……本所・横網町の居酒屋〔鬼熊〕へおもむいた。 〔鬼熊〕の老亭主・熊五郎は、もう、この世の人ではないが、文吉・おしん[#「おしん」に傍点]の養子夫婦が一所懸命にはたらき、店も繁昌《はんじょう》をしている。  その後、小兵衛は何度も〔鬼熊〕に足をはこんでもいた。 「ごめんよ」  油障子を開けると、中は、客で一杯だ。 「繁昌で、結構だな」  と、小兵衛が文吉夫婦に声をかけ、入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の畳敷きの片隅へ客を掻《か》きわけてすわりこみ、注文をききに来たおしんに、 「ちょ[#「ちょ」に傍点]と用事があってな、人を待っているのじゃ。遅くなるやも知れぬが、此処《ここ》で待たせておくれ」 「はい、はい。よござんすとも、先生」  傘屋の徳次郎が〔鬼熊〕へ駆けつけたのは、九ツ(午前零時)すこし前であったろう。  客は、小兵衛のほかに一人。これは近くの藤堂侯《とうどうこう》・下屋敷(別邸)の中間《ちゅうげん》で、何が悲しいのか、酒をのみながら、すすり泣きをしている。 「出たかえ?」  と、小兵衛。 「へい。すぐにお出まし下せえ」 「また、お出ましか……」  小兵衛は、〔こころづけ〕をおしんへわたし、 「ありがとうよ。また、来る」  外へ出ると、まだ、雨がけむっていた。 〔鬼熊〕から、石原町の横川鉄五郎家までは、五、六町の近間であった。  大川の水を駒留橋《こまどめばし》の下から引きこんだ掘割の突当りの、道をへだてた東北の角地に横川家がある。  掘割の石置場に、四谷の弥七と、二人の下っ引が屈《かが》みこんでいた。 「あ、先生。こっちでございます」 「弥七。まだ来ぬか?」 「先まわりをして来ましたので……」  いう間もなく、大川沿いの道から、掘割辺りへ、三人の男があらわれた。 「来たぞ」  ささやいて小兵衛が、 「とにかく、中へ入れてしまえ。それからのほうが始末しやすい」 「わかりました」  三人の男は、わけもなく横川家の塀を乗り越えて、中へ消えた。 「それ、行け」  こちらは梯子《はしご》まで用意してあるのだ。  笠をぬぎ捨てた小兵衛と弥七が、下っ引が押えている梯子を駆けのぼり、つづいて屋敷内へ飛び下りた。  三人の男は、庭をへだてた向うの、横川鉄五郎の寝間とおぼしきあたりの雨戸を、道具をつかい、ひそかに外しにかかっていたところだ。 「おい、これ!!」  と、秋山小兵衛が怒鳴りつけた。 「盗《ぬす》っ人《と》め、こっちへ来い」  おどろいたのは、三人の男だ。 「だ、だ、だれだ、てめえは……」 「な、何しに来た?」  小兵衛があきれて、 「盗っ人|猛《たけ》だけしいとは、おのれらのことだ。何しに来たとは、よくいうたものじゃ」  三人が、いっせいに脇差《わきざし》を引きぬき、 「殺《や》っつけろ」 「こいつを早く……」  飛びかかって来るのを、 「ばかめ」  すっ[#「すっ」に傍点]と身を退《ひ》いた小兵衛の腰から、国弘《くにひろ》の一刀が鞘《さや》走った。 「ぎゃあっ……」  一人が、翻筋斗《もんどり》を打って転倒する。  峰打ちだが強烈に撃ちすえられたので、たちまち気をうしなった。  くるり[#「くるり」に傍点]と小兵衛の、細くて小さな老体がまわったとき、またしても一人が、 「むうん……」  刀を落した両手を突きあげ、がっくりとひざ[#「ひざ」に傍点]をついた。  最後の一人……こやつは先日、お照と不二楼へ来ていた男だが、とてもかなわぬと見て、庭の木立へ逃げこもうとする、その前へ立ちふさがった四谷の弥七がぴたり[#「ぴたり」に傍点]と十手《じって》を構え、 「御用だ」  と、きめつけたが、 「畜生め!!」  くみしやすしと見て、男が猛然と脇差を叩《たた》きつけたが、弥七はただの御用聞きではない。秋山小兵衛直伝の〔剣士〕でもあるのだから、たまったものではない。  脇差を叩き落され、足がらみにかけて倒された男の体へ、弥七が手練《しゅれん》の細引縄《ほそ》が、たちまちに食い込んだ。  と、そのときである。  屋内から、たまぎるような女の悲鳴が起ったではないか。  小兵衛は、雨戸を外し、中へ飛び込んだ。  横川家の下男と下女が、鉄五郎老人の寝間で立ちすくんでいる。  おおい[#「おおい」に傍点]をかけた行燈《あんどん》の灯影《ほかげ》に、寝床へ仰向《あおむ》けになったまま、血みどろになって息絶えている横川鉄五郎の恐ろしい死顔を、小兵衛は見た。  いま、潜入した三人の男の仕わざではないことは、だれよりも小兵衛が知っている。      ○  その夜。庭先のさわぎに目をさました横川家の下男が、主人の鉄五郎を起そうとして寝間へ入ったところ、すでに鉄五郎は死んでいた。あとからやって来た下女が悲鳴をあげたのである。  このとき、中間は何処《どこ》かの博奕《ばくち》場へでも出かけたらしく、不在であった。  では、その夜、養子の小金吾はどうしたか……。  小金吾は、いなかった。  その夜、横川家の人びとが寝つくまではいたのだが、養父が殺害《せつがい》されていたときは何処にもいなかった。そして、つぎの日もあらわれず、十日、半月を経てもあらわれなかった。  小金吾は、巣鴨の兄の屋敷へも姿を見せない。失踪《しっそう》したのである。  四谷の弥七が、不二楼の離れ屋へやって来て、秋山小兵衛に、こう告げた。  こうなっては、お上の手へ、すべてがゆだねられたのである。 「お照という女は、むかし、横川鉄五郎が下女に生ませた、つまりわが子[#「わが子」に傍点]だったそうで」 「ほほう、そうかえ」 「その母娘《おやこ》ともに、鉄五郎からひどい仕うちをうけたらしく、一文も貰《もら》わず、母娘で逃げたといいます」 「なるほど。その敵討《かたきう》ちをしようとしたわけだのう、お照は……それで、相手の男は?」 「こいつは、本所・三ツ目の三十俵二人|扶持《ぶち》の御家人で、早田伊之助といいまして、三年ほど前に女出入りで人を殺し、江戸をはなれていたそうでございます。そのころから、お照とは、ただならねえ仲だったそうでございますよ」 「ふむ。早田が三年ぶりで江戸へ帰って来て、お照と会い、それからあの金貸しの御家人を殺そうとしたわけかえ」 「さようで」 「ところで弥七。養子の小金吾については……?」 「やはり先生。横川鉄五郎を殺《や》ったのは、どう見ても小金吾でございますねえ」 「堪え切れなくなったのじゃろ。ああした、おとなしい若者ほど、胸の内へたまりにたまったものが弾《はじ》け出すときは、おもいきったことをしてのけるものじゃな」 「さようで」 「いくらか、養父の金を持って逃げたのだろうか?」 「と、おもいますが……ですが先生。横川鉄五郎の家には千三百両もあったそうでございます。寝間の畳を上げると、下が二坪ほどの地下蔵になっていたそうで」 「おどろいたものだな」 「ですから小金吾も、それほどの金は……」 「ふむ、ふむ……いずれにせよ、小金吾。捕まらぬとよいがなあ」 「恐れ入ります。ときに先生」 「うむ……?」 「あのときは、おどろきました」 「なんのとき?」 「いつか此処で、先生が、私の耳もとへ、そっとおっしゃいました。いっそ、お照たちに鉄五郎を殺させておいてから、これを引っ捕えたほうが、小金吾のためにはよいのではないかと……いや、どうも。こればかりは、お上の御用をつとめる私だけに……」 「ばか。冗談をいうたまでのことよ」 「そうでもございませんでした」 「ふ、ふふ……」 「あは、はは……」  秋山小兵衛は、小机に向っていた。  机の上に、これから鐘《かね》ヶ淵《ふち》の元の地所へ建て直す隠宅の図面が置いてあった。 「それが、今度の……」 「うむ。寝間をな、もうすこし、広くしてくれと、おはる[#「おはる」に傍点]がいうものじゃから、いま、図面の手直しをしていたところじゃ」 「御寝間を、ひろく……」 「うむ、うむ」 「これは、どうも恐れいりましてございます」 「どうして、恐れいるのじゃ」 「これは、どうも……」 「妙な男よ」 「へ、へへ……」 「弥七。妙な当て推量《ずいりょう》をするなよ。いまや、わしは六十一になったのだぞ」  庭のどこかで、鶯《うぐいす》が鳴いた。  今日も、おはるは関屋村へ出かけている。  弥七が帰って行ったあとで、小兵衛は退屈しのぎに、不二楼の廊下を歩きまわるうち、またしても、あの〔蘭《らん》の間《ま》〕の前へ来た。  そのとき、女中のおもと[#「おもと」に傍点]が若い男女の客を、こちらへ案内する声がきこえた。  そのとき小兵衛は、衝動的に蘭の間へ飛びこみ、襖《ふすま》を閉め、座敷に付いた雪隠へ身を隠したものである。  おもとが、男女の客を蘭の間へ入れ、注文をきいている。  小兵衛は雪隠へ屈みこんだまま、 (こりゃいかぬ。とんだ悪い癖がついてしまったわえ。これも、横川鉄五郎が小判を数えてたのしむのと、同じことなのではあるまいか……)  老顔をしかめ、白髪あたまを掻《か》いたのである。     解 説 [#地から2字上げ]常盤新平 『剣客《けんかく》商売』がはじまったころ、秋山大治郎は、荒川が大川《おおかわ》(隅田川)に変って、その流れを転じようとする浅草の外れの、真崎稲荷明神社《まさきいなりみょうじんしゃ》に近い木立の中へ、無外《むがい》流の剣術道場をかまえて、そこに独り住んでいる。父・小兵衛が、遠国《おんごく》へ修行に出て、四年後に帰ってきた大治郎のために、廊下をへだてて六畳と三畳|二間《ふたま》きりの十五坪の道場を建ててやったのである。食事の仕度は、近所に住む百姓の唖《おし》の女房、おこう[#「おこう」に傍点]がしてくれる。  大治郎の生活はじつに単調で、住まいも殺風景であるが、一つの物語が終るたびに、少しずつ変ってゆく。やがて、剣術の弟子もできるし、妻を迎えることにもなるのである。  大治郎の道場に近い橋場《はしば》町から舟で六十八|間《けん》余の大川を渡り、寺島村に着くと、田圃《たんぼ》道の向うに堤《つつみ》が横たわり、その堤の道を北へたどり、大川、荒川、綾瀬《あやせ》の三川が合する鐘《かね》ヶ淵《ふち》をのぞむ田地の中の松林を背にして、わら屋根の百姓家を改造した、小さな家がある。三間《みま》ほどのこの家に小兵衛が住みついて、もう六年になる。このあたりは、名所旧跡が点在して、四季おりおりの風趣がすばらしい。小兵衛はいま四十も年下の若いおはる[#「おはる」に傍点]といっしょに住んでいるが、この隠宅はこの『剣客商売 |辻斬《つじぎ》り』のなかの一編「妖怪《ようかい》・小雨坊《こさめぼう》」で、火を放たれて、全焼してしまう。  田沼|意次《おきつぐ》の妾腹《しょうふく》の娘・佐々木|三冬《みふゆ》は、神田橋の田沼屋敷を嫌って、実母おひろ[#「おひろ」に傍点]の実家で、下谷《したや》五条天神門前の書物問屋[和泉屋吉右衛門《いずみやきちえもん》]が持っている根岸の寮(別荘)に、老僕の嘉助《かすけ》に傅《かしず》かれて暮している。三冬の伯父にあたる、江戸城や上野の寛永寺へも書物をおさめているほどの大店《おおだな》の主人・和泉屋吉右衛門は、女武芸者のこの姪《めい》をはらはらしながら見守っている。三冬が剣術をまなびはじめたのは七歳のころ、からだという。いまは、恩師・井関忠八郎|亡《な》きあとの道場を守る[四天王]の一人である。  佐々木三冬の生いたちを秋山小兵衛に詳しく語ってくれたのは、上州・倉ヶ野の生れで、いまは浅草・元鳥越《もととりごえ》町に奥山念流の道場をかまえた、生涯独身の剣客・牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》(四十一歳)である。『剣客商売』シリーズでは、牛堀九万之助は秋山父子をしばしばたすける名|傍役《わきやく》の一人だ。  小兵衛の手足となって、貴重な情報をつかんでくる、まだ四十前の御用聞きの弥七《やしち》は四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》に住んでいる。彼は人柄のよくねれた男で、女房が[武蔵屋《むさしや》]という料理屋を経営しているところから、[武蔵屋の親分]とも呼ばれている。お上《かみ》の風を吹かせて、陰にまわると悪辣《あくらつ》なまねをする御用聞きが多いなかで、珍しく弥七は人望が厚い。小兵衛が四谷に道場をかまえていたころ、弥七は剣術の稽古《けいこ》に熱心に通っていた。小兵衛はこの探偵を深く信頼しているし、弥七も老剣客を深く尊敬しているが、こんなことも小兵衛に言うのである。 「女を抱くときの、差す手、引く手も剣術の稽古だとおっしゃいましたのは、どなたさまでございましたかね」 「三冬の乳房」ではじめて登場する下っ引きの〔傘徳《かさとく》〕こと、傘屋の徳次郎は弥七に頭があがらない。弥七は徳次郎の恩人なのである。彼の経歴は『剣客商売 辻斬り』ではまだ明らかにされていないが、「婚礼の夜」(『剣客商売 |陽炎《かげろう》の男』所収)で知ることができるだろう。 『剣客商売』では、本所・亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》の存在も欠かせない。小兵衛と宗哲の親交はすでに十五年におよんでいて、〔碁がたき〕でもある。七十歳を過ぎて、かくしゃくとしている宗哲は、本所|界隈《かいわい》で評判がすこぶるよろしい。身分の上下にかかわらず、その行きとどいた診察と治療に変りがなく、小兵衛が剣の名人であるように、名医なのである。小川宗哲は小兵衛の理解者であり、小兵衛の人柄を見抜いている。以下の小兵衛と宗哲の会話(「不二楼《ふじろう》・蘭《らん》の間《ま》」)が面白い。 「この医者という稼業《かぎょう》は、やり方しだいで、いくらでも金が儲《もう》かるのじゃよ」 「ははあ……」 「何も彼《か》も知っているくせに、小兵衛さん、惚《とぼ》けていなさる。剣術だってそうやないか。現に、いまのあんたは、うまいことしてるがな」 「こりゃあ、どうも……」 「けれど、あんたは金を手に入れるのもうまいが、つかうのもうまい。つかうための金じゃということを知っていなさる。わしも、そのつもりじゃ……」  また本所で「生き神さま」ともしたわれる小川宗哲はそのあとでこうも語っている。 「わしが金を恐れ、金を避けているにすぎないのじゃよ。/そこへ行くと、さすがは秋山小兵衛先生。大金をつかんでも、たちまちこれを散らし、悠々として、小判の奴《やつ》どもをあご[#「あご」に傍点]で使っていなさるわえ」  小川宗哲のこの言葉は、『剣客商売』の、そして秋山小兵衛の魅力をみごとに語っている。小兵衛はお金に不自由しないし、金ばなれがじつにきれいだ。おはるの父親、関屋村の百姓・岩五郎がびっくりするのも不思議ではない。彼は女房に言う。 「それにしてもよ、あんな小《ち》っぽけな爺《じい》さんの剣術つかい[#「つかい」に傍点]が、よくまあ、あれだけの暮しをしているもんだ。ふしぎでなんねえ」  小兵衛自身は、戦のない時代が百何十年もつづいたことについて、息子の大治郎にふと洩《も》らしている。 「さむらいの腰の刀《もの》も……そしてな、さむらいの剣術も世わたりの道具さ。そのつもりでいぬと、餓死《うえじに》をする」  なればこそ、「剣客商売[#「商売」に傍点]」なのである。  さて、『剣客商売』の登場人物紹介をつづけよう。  一人は、「悪い虫」に登場する辻《つじ》売りの鰻《うなぎ》屋の又六である。このころは、鰻は高級な料理ではなかったことが、この一編で知ることができる。「顔と体で正月のお供《そな》え餅《もち》を彷彿《ほうふつ》とさせる」又六は秋山父子に剣術をおそわったことを深く恩に着て、ときどき旬《しゅん》の魚をもって、鐘ヶ淵の隠宅を訪れるようになる。  小兵衛がなじみの料亭、浅草・橋場の[不二楼《ふじろう》]の料理人・長次と座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点](二人は、小兵衛の口ききがあったのか、夫婦になり、駒形堂《こまかたどう》裏に小兵衛の命名になる〔元長《もとちょう》〕を開く。いまでいう小料理屋である)。ここの主人の与兵衛。小兵衛とおはるは、家を焼かれたあと、不二楼を仮り住まいにする。与兵衛は懇願する。 「……秋山先生なれば、一生涯うち[#「うち」に傍点]に居ていただきたいほどでございますよ」  小兵衛は不二楼においても優雅な生活を送っている。離れ屋の寝床から午前十時ごろに起きだし、風呂場《ふろば》へ行く。その間に、おもとが雨戸を開け、部屋の掃除をする。 「冬の名残りが暁闇《ぎょうあん》の冷えにあり、それが夜明けと共にぬくもり、あたりが明るくなるにつれて、しだいに春めいた陽ざしに変ってくる」——これは池波節であって、『剣客商売』では、季節が大切にされている。だからこその、春も浅いころの、「朝寝はなんともいえぬ」という小兵衛のよろこびが読者にじかに伝わってくる。  それから、本書のはじめの一編「鬼熊《おにくま》酒屋」の文吉とおしん[#「おしん」に傍点]の若夫婦。この夫婦もまた小兵衛を頼りにしているし、小兵衛のほうもなにくれとなく二人の世話を焼き、また、鬼熊酒屋をひいきにしている。本所・横網《よこあみ》町にあるこの居酒屋は、『剣客商売』シリーズではしばしば「舞台」になっている。  ここに紹介した登場人物は、秋山小兵衛のいわば身内といってもいいだろう。佐々木三冬の紹介で、秋山大治郎に弟子入りする飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年も身内である。彼らは秋山小兵衛の世界に住む人たちである。小兵衛が大事にしている人たちである。小兵衛に選ばれた人たちでもある。小兵衛は人との接し方について、「老虎《ろうこ》」で語っている。 「わしはな、大治郎。鏡のようなものじゃよ。相手の映りぐあいによって、どのようにも変る。黒い奴には黒、白いのには白。相手しだいのことだ。これも欲が消えて、年をとったからだろうよ。だから相手は、このわしを見て、おのれの姿を悟るがよいのさ」  秋山小兵衛は端倪《たんげい》すべからざる人物である。小兵衛は敵に「ふわり」と、あるいは「微風のごとく」近づいてゆく。次の瞬間、敵は小兵衛に「どこをどうされたものか」たおれるか、気絶している。小兵衛は「天狗《てんぐ》さま」のような剣客である。すなわち、スーパーマンである。  そのような秋山小兵衛が、娘か孫のようなおはるとたわむれる。彼がときおり苦笑を浮べて、自嘲《じちょう》の言葉をもらすのもうなずける。しかし、そこにおいて、秋山小兵衛はまことに人間くさい男なのである。周囲の人たちもそんな秋山小兵衛をあたたかくみつめる。 『剣客商売』を読み、いま『剣客商売 辻斬り』を読めば、少なくとも私などはいよいよリッチな気分になる。実は、この拙文を書くにあたって、『剣客商売』を読みはじめたら、やっぱり途中でやめられなくなり、十三冊全部を読んでしまった。そして、十分に堪能《たんのう》したとき、最新作の『暗殺者』が発売されて、これも読んでしまった。楽しかった! 『剣客商売』を読んでいると、秋山小兵衛と池波先生とがかさなることがある。先生が小兵衛にたくして、心情を吐露されていると思うことがよくある。  秋山小兵衛は、男の一つの理想像だ。枯淡の域に達しながら、しかし、若い女を相手にして、ちょっとやにさがっているところなど、羨《うらや》ましいかぎりである。けれども、秋山小兵衛の生き方、というよりライフスタイルは、私に言わせれば、ハードボイルドである。小兵衛はハードボイルドなヒーローである。そして、息子の大治郎もその父に近づこうとしている。 [#地から2字上げ](昭和六十年二月、作家) [#地付き]この作品は昭和四十八年五月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売二 辻斬り 新潮文庫 平成十四年九月二十日 発行 平成十六年二月五日 五刷 [#改ページ] 37行 鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ帰るさ、 738行 旗本・森清右衛門方へ使いに出ての帰るさ、 「帰るさい」のような気がしますが、二回も出てくるからには、これはこういうものなのでしょうか? [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第02巻.zip 涅造君VcLslACMbx 28,924,318 cce45ee3e67cc32bb2cdaf6e430492e57e321b5b を元に、e.Typist v11と読んde!!ココ v13 でOCRし、両者をエディタの比較機能を利用して差異を修正のうえ、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。